六.
金庫もクローゼットも封印し、僕らはしばらくソファで沈黙した。
カチカチと歯が小刻みに鳴らされる音。たぶん早希先輩だ……どんな顔をしているのか怖くてとても見上げられたものじゃないけれど。りえか会長も両腕を組んだまま、怒っているのか絶望しているのか、その真顔からは汲み取れない。
訳がわからないのは僕だって同じだ。ないと思っていたお金が隠されていて、今度はそのお金がなくなっていて……?
「ほ、んとうに、金庫にしまってたんですか」
つい口にしてから、その質問が孕むリスクをまるで顧みなかった自分の浅ましさを嘆く。危惧した通り、りえか会長は電子レンジに無理やり押し込まれたポップコーンが一気に爆ぜるように憤り始めた。
「ったりまえでしょ! 他のどこに置いとくっつーのよ、あぁん⁉︎」
「だ、だから、例えば事務局に返したとか……」
「一回出たお金をほいほいアホ
やばいやばいやばい。怒りに身を任せて目についたありとあらゆる方面の大人たちにまで喧嘩をふっかけ出したぞ、このフルスペックが皮を被った内面チンピラ女子高生!
「じ、じゃあ……その、会長もたまには見ますよね、あの金庫……最後にその封筒見たのっていつ頃なんです?」
「知るか! あたしが一回ぶち込んだ時点で、そのお金はもうそこにあって当然なのよ!」
暴論だと一瞬は思ったけれど、二年前ならともかく、りえか会長が会長となった時点で、金庫の管理権はもう手放したようなものだ。むしろ、会計職を差し置いてそっちの管理にまで権利が及んでいるほうが問題かもしれない。
まさか勝手に鍵を開けることもできないわけだし。
……そうなんだよな。
金庫の鍵。南京錠──そこが、なによりも致命的だった。
急に立ち上がったりえか会長が勇み足でドアへ近付き乱暴に蹴り上げるようにこじ開け、どこかへ歩き去ったのを僕はただ見送るしかない。
その過程でたまたま早希先輩と目が合ってしまう。さっと目を逸らした早希先輩が、定まらない焦点で床やりえか会長の体温が残るソファをぼうと見つめたまま、「ごめんなさい、私が、ごめんなさい……」と何度も呟いている。
「……なんで先輩が謝るんですか」
僕は上っ面だけの笑顔を作り出し、喉のどのあたりから絞り出したのかよくわからない弁護の声を上げた。
「先輩の責任じゃないですよ。ほら、会長だっていつなくなったのか自分じゃわかってないみたいですし……実はやっぱり事務局に返してるとか、実は別の行事でもう消費しちゃった事をうっかり忘れてるとか、他にも可能性なんていくらでも……」
そう、可能性は無限大だ。封筒ひとつ出てこなかった今となっては、どんな勘違いや入れ違い、記憶違いが起きていたっておかしくない。
……でも、もし。
すべてが本当だったなら。
本当に会長の知らないうちに、あの金庫に眠っていた三十万円が紛失したのだとしたら。
それはおそらく、紛失ではない。
二年間の間に、ここ生徒会室の住人のうち誰かが、三十万円を抜き取っていったんだと、そう考えるしかなくなってしまう。
紛失ではなく窃盗。
もし、それを考えなければいけなくなったら……ああ、まずいよ。まずいって。
誰が今からこの問題を投げかけるんだ? まさか僕か? 僕なのか?
可能性はいったい誰にあるのか──誰が盗んだのか、なんてあまりにも残酷な問題を?
いやだよ。勘弁してくれ。
可能性だなんて、誰がそれを可能かなんて。
少なくとも今の生徒会じゃ、どこぞの探偵や刑事を連れてくるまでもなく、導き出される答えなんてひとつしかないじゃないか……。
× × ×
りえか会長は思いのほかすぐに生徒会室に戻ってきた。荷物がそのままになっていたから、さすがにそのまま下校とはならなかったようだ。
ソファに座り直し、自販機で買ってきたであろう炭酸水を一気に飲み干していく。弾ける気泡と冷たい水分で頭を冷やしたのか、フゥーと大きく息を吐き出したりえか会長の目から怒りの炎は抜けていた。
「……とりあえず」
極限まで感情を削ぎ落としたような冷たい声で、次の指示が出るまであまり長くは待たされなかった。
「あんたたちがさっきまで数えてた予算の余り。今回の部費は、予定通りそれでまかなうしかないでしょ」
「え? あ、ああ……」
「すべての部にってのは当然ナシ。今回は諦めて。だからここからは、増額の要請あるなしに関わらず、それぞれの活動状況を足で稼いで抜き打ちで調べて、限りある予算を使うに値する部に絞って臨時ボーナスという
僕も早希先輩もなにも言い返さない。別に反論するようなこともなかったけれど、それって、つまり……。
「良いわね?」
圧を感じて僕は仕方なく頷いた。早希先輩は肯定するために首を振っているのか、ただ揺れているだけなのかはっきりしない挙動のまま、
「は、い。……会長、あの」
今までに聞いたこともないような掠れた声で、
「……ホント、ごめん、なさい」
と、うなだれるように呟いた。
……だから。
なんで謝るんだよ、と僕は少し苛立つ。あなたもきっと知らなかったんだろう、三十万円なんて化石じみた生徒会の埋蔵金。把握していないお金を管理することなんて、会計にも誰にもできやしない。
それとも、まさか。本当にまさかとは思うけど。
あなたが盗んだんですか──とまでは、さすがに聞けなかった。
犯人が例えば辰吾先輩でしたとか言われたら、まあ呆れはするだろうけどここまで心を乱されることはなかっただろう。あの先輩ならあるいはというか、いかにも姑息な真似をしそうなイメージというか、リーゼント頭に抱きうる固定観念じみた謎の信頼感があった。
けど、現実には辰吾先輩じゃないんだろうな。日頃から生徒会の仕事をサボりがちな彼が、自力で三十万の存在に気付けるとは思えないのだ。
もちろんりえか会長も違う。論外だ。ありもしない三十万をあると騒ぎ立てる自作自演ならまだワンチャン可能性が残っているが、そんな騒ぎを無駄に起こせるほど彼女も暇じゃないだろうし、なにより、彼女には三十万でさえ、その気になればすぐ稼ぎ出せるような小遣い未満のあぶく銭に見えているんじゃなかろうか。
けど、だからって。その二人がありえないからって。
早希先輩はもっとないだろう。絶対ないって。あの早希先輩だぞ。
第一、こうやって事が明るみになれば、真っ先に疑われるのは当然彼女だ。南京錠の鍵を持っているのが彼女しかいない以上、物理的にも、あの金庫を誰も見ていないところで開けられる人間も他にいないってなるわけだから。
絶対に自分が犯人だとバレるような罪を犯すバカはいない、はずだ。そんなことを思いつきもしないような、正真正銘のバカでもない限りは。
よりにもよって早希先輩を、そんなバカだったとでも言うつもりか僕は。
ああ、でも。
りえか会長はこれほど激昂しておきながら、頭を冷やしに行ったきり一度だって、三十万を探そう、犯人を見つけようなどとは言い出さなかった。僕でもできるくらいに安直な推理を、あの明晰な頭脳をお持ちのりえか会長もわざわざやりたいとは思えなかったのだろう。
なにより。
今後の方針が決まってからもずっと、窓の外が赤るんできて時計の針がやたらうるさく聞こえるほどに、早希先輩は終始黙ったまま、青い顔して震える指先でシャープペンシルを折れそうなほど握りしめていたんだ。
× × ×
金曜日はいつも、早希先輩は家の用事とやらで午後六時には帰ってしまう。
今日も例外ではなかったらしく、何度も何度も理由不明な謝罪を繰り返しながら、とぼとぼと生徒会室を出て行ってしまった。
最悪な空気が残った生徒会室で、僕はりえか会長と二人きりを強いられた。
「……あの」
意を決し、僕は核心に触れた。
「例の三十万円は、結局どうするんですか?」
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