五.
「あっ」
幸か不幸か。
僕は不自然に浮いた数字を見つけて指差す。
「見てください会長、早希先輩。ほら二年前の卒業式。めっちゃ予算余ってますよ」
「え? ……うわっ、ホントだ!」
それまでは塵をかき集めるような作業だったからこそ、わきから報告書をのぞきこんできた早希先輩も数字の大きさに目をかっと開く。
ゼロの数からして違うのだ。繰越し金として計上されたその額は──
「三十万⁉︎」
実際に口に出したのは僕だけだった。
早希先輩は口元を押さえたまま数字を凝視していて、りえか会長はもうしばらくソファに深く座り込み前髪をいじっていたが、
「……あー。そういや、あったわねそんなの」
ようやく重くなっていた口を開いた。年度からして、この行事と直接関わりがあるのも三十万に心当たりがあるのも今の生徒会では彼女しかいないはずだ。
「そんな前のやつすっかり忘れてたけど」
「いやいや、簡単に忘れられるような額じゃないでしょう。なんで次の年のほうに記載してないんですか」
らしくないことを言うなよ、ついさっき食べたスタバの値段(消費税込み)も一ヶ月は覚えておけるようなスーパー記憶力の持ち主が。
「ていうか、こんなに余ることってあるんですか? 卒業式は確かに、全員ぶんの袴とかお祝いの花や贈り物とかで例年かさんでる印象ありますけど」
僕としてはごく自然な疑問を抱いたつもりだ。
しかし現実にりえか会長は、ガンを飛ばすくらいの勢いで僕のことを注視して、
「……知らないのね?」
確かめるように聞いてきた。
なんのドッキリなんだ、余計にらしくない。自分が無敵過ぎて、他人の顔色をいちいち伺っていられるほどセンシティブなコミュニケーションができる人でもないだろうに。
「知らないなら別に良い。ただ、その三十万はあんまし縁起の良い理由で浮いたお金じゃなくてさ」
「は、はあ」
「他の行事に回したいとも思えなかったんでとりあえずキープしたってだけ。存在すら忘れてたけど。まあ良いよ。そんだけあれば足りるでしょ。それ使えば他の予算に手を出さなくて済むだろうし」
なら最初に思い出して欲しかったなあ……。僕らの丸一日の労力はなんだったんだ。
短時間でコロコロ機嫌を変えるりえか会長に首を傾げつつ、僕は聞き返した。
「どこかにちゃんと保管してあるんですか? それとも事務局預かり?」
「どこって、そこ以外にないでしょ」
りえか会長が示したのは、生徒会も冬場はコート入れに使うというクローゼットだ。
あの薄暗い小さな空間の端っこに、何世代も前から用いられているらしい生徒会の活動費を管理するための金庫が置かれてある。
金庫そのものはダイヤル式だが、長年同じ金庫を使ってきた以上、その数字を知っている生徒会関係者なら卒業生でも容易に開けられてしまう。
よって防犯のために南京錠を追加でかけていて、南京錠のほうは毎春、会計が取り替える決まりになっていた。
「古いお金だからたぶん底のほうに眠ってる。灰色の封筒じゃなかったかしら。早希、開けてみて」
鍵の持ち主は会計の早希先輩だ。
しかしりえか会長の指示が聞こえなかったのか、早希先輩はずっと僕が片手に持った紙切れの数字に視線を落としたままぼうっとしている。
「早希?」
「え、あ! わかりました」
我に返ったような返事とともに、別に急がなくても良いのに早希先輩はスクールバッグを引っ提げ早足でクローゼットへと向かう。
……三十万円か。
そんな大金があの金庫に眠っていたなんて知らなかった。
金庫の中身は僕も二、三回見させてもらったことがあるけれど、行事があるごとに事務局から渡された予算を入れてはすぐに使っての繰り返しで、中身の入れ替わりが激しくトータルではいつも大した額は入っていないという認識だ。
まあ金庫のボディも似たような灰色だから、ぱっと見ではその封筒を見つけられなかっただけかもしれない。
僕みたく凡庸な高校生にしてみればかなりの大金……でも冷静に計算してみれば、すべての部にこれを一律で分配すると、各部につき三万程度しか行き渡らない。とすれば部員一人あたりはいったい幾らになるのやら。
学期末の活動報告書と見比べても、実はそこまで大金でもないのかもしれない。それとも、僕の金銭感覚が麻痺してしまうくらいに、廻谷の部活動がどこも散財しまくっているということだろうか。
つくづくお金にゆとりのある学校だなあ、と他人事のように思う。もちろん学費も私立らしい額を払っているけれど、ここまでやりたい放題できるほどの余裕は持たせてないはずだ。
これも大学病院やらカントリークラブやら、いろんな企業と繋がっている『鳩ノ巣グループ』の財力が為せる技だというのか。
……早希先輩、なんかもたついてるな。
南京錠はとうに開けられたはずだが、金庫の蓋を押し上げてからが長い。クローゼットの床に置いてあるのを屈んで調べているせいで、スカートの裾から太ももが見え隠れしていて目に毒なんだけれど。
「バーカ。じろじろ見んな」
りえか会長の容赦ない蹴りが膝を直撃し、その場でみっともなく悶え苦しみ出そうとしていた時。
「……え? あれ……あれ……?」
もっと苦痛の色を滲ませた声が、かすかに聞こえてくる。
「なに? まだ見つからない?」
「……は、い……ないです……ないんです……」
りえか会長は何度か目を瞬かせ、自身もずんずんとクローゼットへ歩み寄る。早希先輩を押しのけ、その目で封筒の在処を探った。
「……うっそ。マジじゃん」
いやいや、ありえない。だって三十万だぞ。
存在さえ明るみになれば、万一にもりえか会長の記憶違いで色が違ったとしても、その膨らみだけですぐに見分けが付くはずだ。
しかし現実には本当に灰色の封筒も札束もなかったようで、いよいよ生徒会室の空気が重苦しくなってくる。
ああ……しまった。僕は己の軽率さを激しく悔やむ。
あの金庫に、二年前の帳簿。どちらも僕がうっかり知りさえしなければ、誰もが忘れたままでさえいたならば、それですべて終わった話だったのに。
どちらも開けてはいけないパンドラの箱だったのか。
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