四.

 すべての部の申し出を聞き届け、りえか会長は長い息を吐きソファを立つ。

 ずんずんと回転椅子まで歩いていくと、どっかりと腰を落とし足を組み、いかにも偉ぶった態度で背もたれを後ろに傾けた。


「まったく。全部活動の学期末活動報告書の締め切りもあった中、なんのために予定前倒しで割り振ってやったんだか」


 返す言葉もない。僕と早希先輩は揃って下を向く。


「さすがにダメですよねえ……終業式まであと一週間しかないですし」


 つい相談を受けてしまった自分を責めているのか、早希先輩はどんどん活気を失ったように縮こまっていく。

 日頃は太陽みたいに明るい先輩の、こういう暗い顔は後輩としても男子としてもあまり見たくない。なにかフォローする手はないかと画策したけれど、残念ながら甲斐性のない僕ではどんよりした生徒会室を盛り上げる方法を探し出せなかった。


「いえ、時期はそんなに問題じゃないわ。好き勝手し放題の生徒どもを無理矢理にでもふん捕まえて前ならえさせるのがあたしらの仕事なんだから」


 りえか会長は僕らよかずっと落ち着いている。こんな風にわざとらしく偉そうにしている時の彼女は、むしろ精神的にはかなり余裕があるのだ。


「これのなにが問題かって、払わないと決めたらすべての部に対して払わないって取り決めにしなきゃ、一週間前には保たれていた公平さが完全に意味を失ってしまうことなのよ。実績とか使い道云々じゃなくね。ただひとつの部にでも増額を認めちゃったら、それこそ美鶴の逆ギレも理屈としては成り立ってしまうわけ」


 ──あの部は増額を認めてもらったのに、自分の部が認められないのはおかしい。

 確かにごもっともな主張だ。いや、今の時点では言いがかりでも、例えば水泳部あたりの要請を呑めばその場でジャズ部のクレームが正当化されてしまうわけか。



「会長は結局のところ、どうお考えなんですか?」


 僕はりえか会長の顔色を伺う。


「公平性を保つために全件却下する方針でしょうか」

「……ま、安パイを取るならそうなるわね」


 コン、コン、と長すぎる爪で机を小突いている。

 僕はりえか会長が苦手だ。同じ学び舎で過ごしているとは思えない異質さ、染髪もしていて時にはネイルしていて、自分よりも背が高いから余計感じる威圧。辰吾先輩よりも怖いと思った日がわずか三ヶ月で何度あったことか。


 ただ、彼女に関してひとつだけ信頼における部分があった。

 玉石混合な廻谷の生徒たち、その声ひとつひとつに真摯的であること。超人的なスペックに隠れた、僕らと同じ高校生なら誰もがが抱きうるごく普通の感性。

 彼女は彼女で、自分なりに青春をひた走っている最中なんだと気付かされる瞬間がある。

 だから、今回もきっと。



「でも、今日の段階でいくつもの部からそういうリクエストが出たってことは、直接言いには来てないってだけで今の予算じゃ足りないと感じている部は他にもあるでしょうね」


 りえか会長は机を鳴らすのを止めた。


「だとしたら、部費を割り振った生徒会の落ち度がまったくないとも言い切れない。特定の部に対して増額するのが不公平なら、もう決定している割り振りのぶんはそのまま固定として、追加ですべての部にボーナスを寄越してやるって線も出てくる」

「できるんですか?」


 驚いたように早希先輩が声を上擦らせる。それだけはどうしたって不可能だとハナから諦めていたんだろう。それは僕も同じ気持ちだけど……ほら、やっぱりな。

 りえか会長はこう見えて、根は誰よりも真面目なんだ。


「もちろん事務局はこれ以上は出してくれないわよ。だから、予算を捻出できるかはあんたたちの頑張り次第」


 肩をすくめて、


「これまでの学校行事で使った運営費の余りに、これから使うつもりだった経費の見直し。削減できるコストは他にもいろいろあるんじゃない? あんたらが生徒たちのために今から身を粉にして働けるなら、だけど」

「会長……!」

「あたしはヤダよ、メンドくさい。やるなら二人で勝手にやってちょうだい」


 などと悪ぶるのも彼女らしい。

 もしや、初めからこういう展開になることを見越していたのだろうか。とすれば、あの桃タルトもただの厚意や気まぐれじゃなく、りえか会長なりに用意した僕らへの前払いだったのか……。


「ありがとうございます! 会長こそ、きっと今年の夏も忙しいんでしょう?」


 一縷の希望によって活気を取り戻したのか、早希先輩はぱあっと表情を緩ませた。


「今度の日曜もグループの人とゴルフ行くって言ってましたよね」

「あーあれね。まあ楽しみっちゃ楽しみだけど。あたし、そういう場でツウ気取りのおっさんどもをボコすためにずっとゴルフ習ってたようなもんだからさ」


 高校生がなんて大人げない。そこは社交のためにも手心加えて差し上げろよ。


「夏休み入ったらすぐクイズ大会の予選でしょう? 決勝進んだらまたテレビ出ちゃうんですよね? 私、ちゃんとリアタイしますから!」

「へえ」僕は仕方なく早希先輩に同調する。「二連覇狙ってるんですか?」

「え? そっちはもう出ないわよ」


 出ないのかよ。僕の同調を返せ!


「ええーなんでえ⁉︎ 会長がテレビ出るの超楽しみにしてたのにい」

「いやいや。あれはさあ、料亭で市議員とかの自称哲学を聞かされる前に雑学喋り倒して黙らせるための、処世術としてちょっとかじっただけだから」


 なんて不純な動機なんだ。全国のクイズ愛好家たちに謝れ!


「今年の夏はむしろ暇なほう。受験勉強も、このまま廻谷大にエスカレーターするから必要ないし。んーだから……まーね、とりあえず合コン行きまくってMARCH全制覇できれば十分かしら」


 ああ確かに十分だ。合コンに混ぜろなんて身の程知らずな物言いはしないから、せめて早稲田か慶應のひとりくらい僕にも紹介して欲しい。



 まったく……こんな人が全国模試トップだなんて、神様が誰よりも不公平じゃないか。

 僕はついため息混じりに嫌味をこぼす。


「今どき、部活動そのものがお金の無駄遣い──とは考えないんですね」


 部活動に参加しなくとも習い事や独学のみで成果を上げてしまう彼女には、仮に真っ当な活動をしている部であっても、軒並みつまらない遊びに見えているんじゃなかろうか。現実問題、まともに活動している部のほうが少ないわけで。

 ましてや、ちまたでは部活動不要論まで唱えられつつある昨今の風潮。

 こんな連中に学校の予算を寄越すだけ無駄だと、無意味だと内心では見下しているんじゃないかと僕は卑屈さを演じてみる。


「なに言ってんの?」


 りえか会長はきょとんとした。


「あんたたち、そういう無駄がしたくて廻谷に来たんでしょ?」



 ──ああ、そうだっけ。そうだったかもしれない。

 ここに来る前は僕も、あの高等学校らしからぬ校風にそそられたんだ。



   ×   ×   ×



 金曜日。

 結局、今年度と前年度の活動報告書をすべて洗い直すまでに丸一日を要した。


 生徒会が管理しているのは学校行事のレポートだけではない。生徒会自身はもちろん、春に提出させていた各部活動の事前申告書とつい先週に締め切った学期末の活動報告書、それらすべてが僕らの手中にある。

 その資料の膨大さはたった一年ぶんでも相当なものだろう。

 なんやかんやとりえか会長は最後まで手伝ってくれたし、下校時間になっても日を跨いでも、辰吾先輩は最後まで生徒会室に顔を出さなかった。


「改めて見直してみると、何に使ったのかよくわかんないお金もちょこちょこあるねえ」

「なぜか余ってるお金もありますしね。でも、これだけじゃすべての部に予算を配るのは難しいんじゃないですか? かといって今年の文化祭・体育祭のぶんを削ってしまうのはやっぱりリスクがありますし」

「あはは、生徒会もちゃっかり大雑把だなあ。会計としても反省しなくっちゃ。せめて繰越し金くらいはまとめて確認できるよう整理しておかなきゃいけなかったね」

「そうですね。……そうか、繰越しといえば……」


 僕はたまたま、まだ手をつけていない紙束を視界に捉える。

 それは前年度よりもさらに一年遡った年の報告書だった。りえか会長が一年生だった頃のやつか。会長って一年の時から生徒会に入っていたのかな?


「もっと前の年のぶんを探せば、案外埋もれてる予算もありそうですよね」


 そう呟きおもむろに資料を手を取り、ぺらぺらと数字と文字の羅列を眺めていく。



 ……どうして僕は気付かなかったんだろうか。

 わざわざ目の行き届かない位置へ避けられていたそれを手にした時の、会長が急に静かになった瞬間を。

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