三.

「でさあ、早希。今年の夏もちょっと困ったことになりそうなんだよね」


 高校生には贅沢なランチを済ませるなり、りえか会長はさほど困っていなさそうな口振りで話し始めた。


「今日になって七海ななみのバカヤローが、夏休みにててた水泳部の活動費を増やせって抜かしやがるのよ」


 どきり、と心臓が跳ねて桃を喉に詰まらせそうになる。

 夏休みはどこの部も活動が一番盛んになる時期だ。毎年のように事務局から生徒会が預かっている全体部費の取り合いが激しくなるので、生徒会は先手を打ち、テスト期間が始まるよりも前にあらかじめ部費の割り振りを済ませておいたのだ。もちろん各部活動への通達も済んでいた。


「ええーっ? 水泳部はそれなりにもらってるじゃないですかあ!」


 早希先輩は当然りえか会長よりも拗ねる。お金に絡んだ数字を管理しているのは会計の彼女だからだ。


海堂かいどう先輩がインターハイ全国常連だからってえ」

「あたしもそう思って突っぱねようとしたんだよ、お前一人にくれてやる金はねぇって。けどあんの生意気ナマ……」


 海堂七海先輩の真似事だろうか。りえか会長は額に手をあてスカした態度とわざとらしくカッコつけた低音ヴォイスで、


「『俺のじゃねえ、俺以外のための金だ!』」


 おそらく実際に返されたのであろう戯れ言を復唱してみせた。


 海堂先輩が生徒会に無茶振りばかり押し付けてくるのは元から珍しくないらしい。りえか会長には及ばずとも、部活動としては彼一人が積み上げてきた功績は廻谷校内で抜きん出ているから堂々と大きい顔ができてしまうわけだ。

 ……って言っても、それはあくまで個人の功績であって、別に水泳部全体の功績ではないんだけどなあ……。


「バカヤローのくせにもっともらしい理屈を並べてたわよ。廻谷水泳部の未来のために、次世代の育成をなんたらかんたら」

「えー……どうせ普段は自分じゃ後輩の面倒見てないくせにい……」

「七海だけじゃないわよ。和典かずのりのアホタレもだわ」


 りえか会長はまだ残っていた抹茶ラテのホイップをストローですくい上げ、舐めとる。


「例のキャンプ合宿を廻谷大のサークルと合同でやることにしたから、そのバーベキュー代を追加で寄越せってさ。それはさすがに門前払いしておいたけど」


 さかき和典先輩が部長を務める登山部も、夏場になるといろいろ生徒会に面倒事を増やしてくる常連と化していた。

 だいたい登山部って、山登りとキャンプ以外何をするんだ? 話に聞けばインターハイも存在しているらしいが、少なくともうちの登山部がそんな真っ当な大会に出場しているのを見たことがない。


「良いんじゃないですか、登山部はもう。廻谷大とやるなら、どうせキャンプ地もおく多摩たまですよ」


 早希先輩がしきりに頷けば、りえか会長も同調するようにあごを引く。


「あそこのキャンプ場、廻谷大のとこの親が経営ってるからね。そっちが絡んでくるなら生徒会じゃなくてキャンプ場と直接交渉しなって言っといた」

「そうなんですねー。……あのう、会長……」


 そこまで聞き終えると、今度は早希先輩が両膝を擦り合わせもじもじし始める。

 まさか、と僕らが邪推じゃすいするまでもなかった。


「実はあ……私もついさっき、つるちゃんといずくんにい……」


 僕もりえか会長もため息は堪えた。早希先輩はあくまでも被害者だ、彼女にやつ当たるのは良くない。

 ていうか、まずいな。とてもじゃないけど「実は俺もサッカー部から……」なんて言い出せる空気ではないぞ。


「まじか。あいつら、あたしら生徒会の一週間前の修羅場をなんだと思ってやがる」

「ですよねえ。あはは、ホント……」

「笑い事じゃないわよ。で? 理由は?」


 よほど説明が難しい事情なのか、早希先輩は少しの間しどろもどろになる。

 内藤ないとう美鶴先輩はジャズ部の部長で、早希先輩とは中学が同じらしい。生徒会部員と親しければ親しいほど、振ってくる無茶も大きい。あの先輩は前に少しだけしゃべった感じ、いかにも我の強そうな女子で正直苦手だ。りえか会長よりも苦手だ。


「それが……聞いてもちゃんとした部費の使い道を教えてくれなくて……」

「はあ? なにそれ」

「私も何度か聞いたんです! 理由を教えてくれなきゃ会長たちを説得できないよって! でも美鶴ちゃんてば、理由なんかどうでも良い、どうせ水泳部とか他の部にはうちより多く出してるんだからその不平等をうちは訴えてるんだ、とか逆ギレしちゃってえ……」


 案の定話にならない先輩だ。さすがのりえか会長も両手を挙げ、降参の意を示す。

 部によって割り当てられる額が変わってくるのは当たり前だ。水泳部みたいに一応は結果を出している部もあれば、サッカー部みたいに活動そのものが成り立っていない部だってある。生徒会もそういった活動実績諸々を加味した上で、公平な判断を下しているつもりなのだ。

 友だちだからひいしてくれる、なんて調子の良いことを考えるべきじゃない。内藤先輩も……涼平も。


 このお金は僕ら生徒会や僕らのうち誰かの所有物じゃない。

 学校が投資してくれた、僕らの青春時代に対するささやかな餞別なのだから。



「まあ良いわ。とりあえず話だけは聞いた。聞き流してやった」


 りえか会長は抹茶ラテの最後数滴を飲み干し、空になったプラスチックカップを紙袋へしまう。


「んで、もう一人のほうは? どこの部の奴だっけ、それ」

「新聞部ですよ」


 僕が早希先輩よりも先に返事した。

 出水しょうは僕のクラスメイトだから、それなりにどんな奴かは知っている。中学は文芸部だったけれど、なぜか廻谷に入るなりたった一人で新聞部を新たに作ったという不思議な奴だ。どうせ新設するなら文芸部を作れば良いのに、どこで気変わりしたのやら。

 でもまさか、将斗まで部費の増額を要求してくるとは。学業成績はそこそこでマメそうで物腰柔らかな彼が、一度部費を割り振った後にちゃぶ台をひっくり返してくるのは……ちょっと意外だ。


「あー、新聞。まあ月一で出してる学内の奴はそこそこじゃん。で、理由は?」

「それがー……」


 すると早希先輩はもう一度難しい顔をする。


「彼もかなりあいまいで……いえっ、美鶴ちゃんとはまた別の意味で。なんか、つい最近に新しい特ダネができたとかで、急遽いつもの校内新聞とは別で特別版みたいなのを作りたいらしくて。夏休みの間に籠森町内とか、町の外にまでその新聞を配り歩きたいって……」

「ふうん。印刷費ってこと?」


 りえか会長はソファの肘置きに手を付き、


「あたしも一回グループ絡みのビラ配りに混ざったことあるけど、ああいうのって刷る枚数が増えるほどコスパは良くなっていくものなのよ。そりゃ部員一人だし新設だしで他の部よりは少なめだけどさ、割り振っておいたぶんでじゅうぶん足りるんじゃない?」


 そう告げると早希先輩はいっそう縋るような目でりえか会長を見た。

 どうしたんだ急に。将斗の言い分も会長の言い分も、他の部長たちと比べたらずっと理解できるものだったけれど。


「もらえるならもらえるだけもらっておきたい……んだそうです。できることなら新聞は東京全体に行き渡るくらい刷りたいし、その内容を元に本も書いて、自費出版とか、公共交通機関やSNSで広告付けて可能な限りたくさん宣伝したいんですって」


 なんだそれ、と僕ですらいぶかしんだ。

 ジャーナリストの特ダネというやつはいつだって唐突に舞い込んでくる。それはまだわかる。でも……そこまでするほどのネタなのか?



 それに。

 どうして将斗は、僕じゃなくわざわざ早希先輩にそのお願いをしに行ったのだろう。彼も、涼平とついさっきまで教室で話していたのに。

 早希先輩が会計だから、こっちに話を通したほうがより勝算が見込めたんだろうか?



   ×   ×   ×



 りえか会長は顔色ひとつ変えず、なぜか将斗に対しては、他の部長たちみたいな罵詈雑言を浴びせることはなかった。


「じゃあその記事の内容を教えてって言ったんですが……教えてくれなくて」

「まあ、記事のネタをバラすジャーナリストはいないわよ。……ふうん」


 ホットドッグも、僕らが食べたタルトの残った紙ゴミも回収し、ひとまとめにした紙袋をぽいと背後へ放り投げる。生徒会長にしか与えられてない、いかにも執務室っぽい大きな机と回転椅子の脇に置かれたゴミ箱へ、その紙袋は難なく吸い込まれていった。


「話は確かに聞いたわ。でも、あたしの意見は変わらない。もらえるだけもらうっていう主張は、七海や和典のそれと大差ないもの」

「そう……ですよね。ごめんなさい会長、私……」

「良いのよ早希。ぜんっぜん大丈夫」


 りえか会長の声は穏やかだった。早希先輩が胸を撫で下ろしたタイミングで、本人の感情いかんに関わらず鋭い目線は僕へと注がれる。


「で? 淘汰は?」


 不意をつかれた僕の動揺心に、追撃の言葉が飛んでくる。


「えっ」

「どうせあんたも誰かしらから似たような伝言を預かってきたんでしょう? 良いわよ、聞くだけ聞いたげる」


 なんだお見通しだったか。僕も打ち明ける前から少しだけほっとした。


 そうして僕は、サッカー部の夏休みの活動費増額の相談をする。涼平に言われた通り、東京都外の学校との練習試合の交通費と試合にかかるもろもろの経費──宿泊や交流パーティといった具体的な使い道は、先輩たちに罪悪感を覚えつつ少しでも勝算が上がるよう伏せておいた。

 少額でも構わない。もらえるならもらえるだけもらえたほうが彼らも幸せだろう。

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