二.
本当はそれほどサッカーが好きじゃない──と気付いたのは、廻谷高校に入学してまもなくだった。
小学校からサッカー部で、地元の中学校はたまたまインターハイで全国大会まで進めるような強豪だった。僕はインターハイ含め全試合において補欠だったけれど、レギュラー陣のおこぼれに預かり、スポーツ推薦の枠で容易く高校受験をパスしてしまったのである。
入学式を終え、新入生の僕らが体育館を出て行った先の通路では、あらゆる部活動によるビラ配りと勧誘活動が熱狂的に繰り広げられていた。
そのタイミングで僕はようやく、廻谷高校サッカー部の部員不足を知る。それこそ『フットサル部』への名称替えも検討されているほどに。
よくぞそんな状況で推薦を取れたものだなと、部員よりも顧問や学校サイドに呆れつつ、喪失感のままにサッカー部への返答を先送りにしていた頃。
生徒会執行部に誘われたのである。それも、目を引くほど涙袋と胸が大きな女子の先輩に。
「廻谷って、特に部活動は生徒の自主性に任せてるっていう部分を学校側も強くプッシュしてるじゃない? ホントにそうなの。外部コーチのお願いとか学外活動のスケジューリングとか、どこの部もだいたい自分たちだけで回してるんだ」
早希先輩は口を開けばその見てくれにぴったりの春風みたいな声をしていた。自然な感じに巻かれたセミロングの黒髪を指ですきながら、
「そのお手伝いをするのが私たち生徒会のお仕事でね。文化祭・体育祭みたいな学校全体が関わる行事の運営と、すべての部活の予算管理がメインかな。うーん、なんていうか……会社で例えるなら中間管理職? 先生たちと生徒の繋ぎ役、みたいな? そういう部活動も、社会に出ていく予行練習みたいで面白くない?」
活動内容云々よりも、まだ入部の見当が立っていない一年生に狙いを定めて話しかけてきた早希先輩の甘いマスクとヴォイス(そしてバスト)にまんまと乗せられてしまう。
「今年は書記の枠が空いていてね。生徒会長だけは前の年に選挙で決めてるんだけど、他の役職はいつもこうやってスカウトしてるから。どう? まずは去年まで書記やってくれてた先輩の、仕事の引き継ぎから一緒にやっていこ?」
人もろくに集まらない部で怠けるくらいなら──とその場で頷いてしまった。
少しでもサッカーへの未練があったなら、どんなに早希先輩が魅力的な人でもそう簡単には応じなかったはずだ。今は人が足りていなくても、サッカー部に入って練習して、他校と練習試合を組んだり、なんなら自分で部員を集めるという努力を講じるはずなんだ。
その努力を僕は選ばなかった。怠ったとも言う。つまり、僕は実のところ、そこまでするような情熱をサッカーに持ち合わせていなかったのだ。九年も続けていたのに。
どんな経緯でサッカーを始めたのか、それすら思い出せない。おそらく、親の勧めか友達に便乗して、やっぱり成り行きで始めたものだったのだろう。
そう、成り行き。
僕の人生はすべて成り行きでできている。
最終的にこの真理にまで至った時はそこそこがっかりしたけれど、そんな負の感情も生徒会室で過ごしていくうちに忘れてしまった。
自分に正直になろう。どうあがいたって美人の先輩には勝てない。
成り行きで始めたサッカーを惰性で続けた結果、それを辞める合理的な理由が見つかったから辞めた。そして今度は、成り行きで生徒会執行部書記の肩書きを手にしてから早三ヶ月が経とうとしてる。
……それがどうした。結構じゃないか。
× × ×
「今日は会長と副会長って来ますかね?」
大仰なデザインをした革のソファに腰掛け、できる限り静かにリュックサックを床へ落とした。
「会長はじきに来るんじゃない?」
早希先輩はまだ床に座り込んでいて、両膝を合わせスカートの裾を正す。
「
「なにかあったんですか?」
「二日目の数学、課題あったのに出さなかったんだってさ。他にも提出サボった科目あるんじゃないかな。たぶんテスト終わった日から居残りさせられるよ」
まさか、赤点を取る前から補習を食らう高校生がいるとは。
早希先輩のなんでもないような口振りからして、きっとあの先輩は居残り常習犯なのだ。別に驚きはしないけれど……まったく。
滝口
対する早希先輩は、初めのうちは見た目だけでなく内面的にも育ちの良さそうなザ・大和撫子といった印象を持っていたけれど、いざ交流を深めてみれば思ったよりもずっとフランクでフレンドリーで、こちらから話しかけやすい雰囲気を先んじて作ってくれるタイプの人だった。
よく出来た先輩だと日頃感じているのは僕だけじゃないようで、校内でたまたま姿を見かけるたびに、早希先輩は男女問わず誰かしらに囲われている。もしかしたら本当に、二年生の間ではマドンナ的存在なのかもしれない。
ともすれば僕は、なおさら、この人の誘いに応じて正解だったと思う。
……ただ。
高校って、こんなにも玉石混合な場所だったっけ──とか、時折不安になる。
中学まではいやでも地元のいろんな子と関わらなきゃいけないが、受験を経た高校であれば、もう少し自分と同じ学力や教養レベルを有した同級生ばかりが集っていて、幾分か学校生活が過ごしやすくなるものだとばかり考えていた。
ましてやここは私立校だ。よもや高校生にもなって、辰吾先輩みたいなリーゼント頭と関わりを持つことになろうとは夢にも思わなかったのだけれど。
もっとも、
なにせ、僕はこの生徒会で、辰吾先輩をも遥かにしのぐイレギュラーな存在と遭遇することになったのだから。
× × ×
ガラガラと、勢いよくドアが開かれる。
「わ、涼しっ」
早希先輩の見立て通り、りえか会長はすぐにやってきた。
ファッションモデルも夢じゃないような高身に、腰まで伸びる赤みがかった茶髪。白ブラウスは一番上のボタンを外し、学校指定の赤いリボンも鎖骨あたりで留まっていて全体的に制服の着こなしが緩い。
「ご無沙汰です、りえか会長」
「うっす」
紙袋を片手に抱えたりえか会長は大股で床を踏み鳴らし、どかりと僕の真正面のソファに座る。紙袋の中身はホイップたっぷりの抹茶ラテとホットドッグだ。
「あー、スタバ良いなあ」早希先輩が声を弾ませた。「もしかして今下山したんですか?」
「まっさか。ウーバーに決まってんじゃん」
りえか会長は涼しい顔をして答えた。校内にウーバーイーツを呼ぶ生徒会長なんて少なくとも僕は聞いた試しがない。
最寄りのスタバから校舎まで、バイクでも三〇分はかかるんじゃないか。
「あれ? 辰吾は?」
「たぶんいつもの居残りですよ」
「なあんだ残念。人数分タルト買ってきてやったのに」
「きゃー、やったあ! さすが会長」
「一人だけスタバして見せびらかす会長がどこにいるのよー。でも、課題のひとつもこなせない男に食わせるスタバはないかなあ。あたしが食べちゃう? それか、今から教室持っていって会長の優しさをアピってきちゃう? んー、どっちのパターンも捨てがたいわねえ」
「食べたければ自分で食べれば良いじゃないですか」
僕はどうでも良さげに呟く。そのタルトは会長のお金で買ったものだ。どう扱うかは会長の自由に決まっている。
ああ、間違いない。この学校のイレギュラーは彼女だ。
こんなヤンキー校のギャルみたいな装いした女子高生が、まさか全国模試で全国総合一位を取れるほどの頭脳も兼ね備えているなんて。
それも涼平とは違い、単に勉強ができる優等生というわけでもない。
全国模試(三ヶ月連続)総合一位。
全国高校ゴルフ選手権女子の部(三年連続)優勝。
全国高校クイズ選手権個人の部優勝。
全国高校eスポーツ選手権FPS部門優勝。
TOKYOリバーシ大会優勝、つくばAIオリンピック優勝、さいたま川柳コンテスト最優秀賞、みなとみらいショート動画コンテスト特別賞、エトセトラ。
すべて、会長が廻谷高校在学中に得た実績らしい。
あまりに自分の耳とりえか会長の正気を疑う話だが、高校生のうちにこれだけやらかしているなら、さぞかし中学校以前もいろいろやらかしていることだろう。それらのぶんも合わせれば、大学への内申書も企業への履歴書も、何も考えなくたって勝手に埋まっていくはずだ。その先の人生にも当分困らない。
僕が彼女を異端扱いしているのは、漫画の主人公みたいなフルスペックよりも、そのスペックでなぜか廻谷に通い続けているところだ。
廻谷でなくとも私立なら、どこだって授業料のひとつやふたつ喜んで免除してくれるだろう。なんならゴルフ単体で推薦が取れる──僕程度ですらまかり通ったくらいだ。そうでないほうがおかしい。どこの学校にとっても、喉から手が出るほど欲しい逸材のはず。
それでもりえか会長は廻谷を選んだ。今も当たり前みたいに選び続けている。下手な学校七不思議よりも奇怪な存在だ。僕らとは立っている次元が違いすぎて、掃き溜めの鶴にすらなれないだろうに。
……まあ。
実のところ僕も、僕と同じ疑問を抱くであろう誰も彼もが、最終的にはその答えにおおかた見当をつけていたのだけれど。
鳩ノ巣りえか。学長の娘。
将来的には学長、もしかしたら『鳩ノ巣グループ』の後継となりうる才媛。
本当に後を継ぐつもりかどうかまでは知らない。でも、その肩書き以外で彼女が廻谷に在籍するバックグラウンドとして有力な材料などないだろう。だいたい、鳩ノ巣という苗字がオプションに付いてでもいなければ、いくら中身がフルスペックでもこんなヴィジュアルギャルが生徒会長になれるはずもないし。
そういえば、生徒会なんてどこからどう見てもガラじゃない辰吾先輩を、やや強引に副会長の椅子へ座らせたのも彼女だと噂に聞く。
変な人だ。さすがは廻谷の生徒会長。生まれついての天才が考えることなんて、生まれついての凡才には到底計れないのだろう。
「淘汰も食べないの? 三つはデブになるからヤダよ」
りえか会長が二個目のタルトに手を伸ばしながら急かしつけてくる。どうやら辰吾先輩の居残りは待たないことにしたようだ。
「いただきます」
僕は躊躇いなく最後のタルトをつまみ上げた。彼女みたいなタイプには変な気を使うよりも、ハイかイイエかをはっきり伝えたほうが円滑にコミュニケーションが進むのだ。
いつのまにか会長の隣に座っていた早希先輩も、美味しそうに両頬をサクサクの生地でぷくと膨らませている。
タルトの上に乗っているのは桃だった。
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