第31話 初めての勝利

「翔利君」


「うん」


 翔利が華の病室の扉を開ける。


 瑠伊の腕には寝息を立てている女の子が抱かれている。


「ばあちゃん、久しぶり」


「久しぶりだねぇ」


 華が危険な状態になってから三年が経った。


 華はあれから危険な状態もあったが、余命を無視して生きている。


「高校を卒業してすぐに結婚して子供を作るなんて色々とすっ飛ばしすぎだよ」


「ばあちゃんの事もあったけど、一番は俺が我慢できなかったからなんだよね」


 華がいつ死んでもおかしくないと院長からは言われ続けていたけど、それとは別に、翔利が瑠伊を求める事を我慢できなかった。


 だから婚姻届が出せる日になったその日に出しに行き、高校卒業のその日に初夜を迎えた。


「ちょっと瑠伊の事が好き過ぎた」


「それは三年前から知ってるよ。逆によく耐えたって関心してる」


「痛いのは瑠伊だし、就職は決まってるのに難癖つけられて卒業できなかったら困るから」


 だからって先の見えない状況で子供を産んだのは早すぎるのもわかる。


「貯金はあるし、後先考えなかった訳でもないよ」


「就職先も私利私欲でクビにはしないだろうから、翔利なら平気だろうからいいけどね」


 翔利の就職先は斉藤さんの会社だ。


 どこで聞きつけたのか華のお見舞いに来た斉藤さんが有名なお菓子会社の社長だと知り、お願いしたら二つ返事で雇ってくれた。


 雇ってくれたと言っても縁故入社という形だが。


「縁故でも大変だったろう?」


「うん。他を知らないけど、ただ知り合いが居るってだけで融通とかはなかったからね」


 楽だったのは書類を出しに行く時に渡しやすかったぐらいだ。


「忙しいだろうけど頑張ってるのかい?」


「楽の仕方はわかってきたかな。周りと仕事量は違うけど」


 覚えるのが早いからといって上司から仕事を隣の人の倍量任されている。


「斉藤さんに聞いたら『縁故に対する新人いびり』って言ってた」


「斉藤はそれを許容してると」


「それがあってから縁故採用はしなくなってたみたい。だけど俺は特別にしてくれたんだよ」


「翔利の事だから全部片付けたんだろ?」


「うん。周りの倍量の仕事を一ヶ月やってたら仕事の進みが早すぎて休み貰った」


 そこで初めて翔利の仕事量がおかしい事を知った。


 そしてそれをやらせていた上司は休み明けにどこかへ消えていた。


「俺を使って厄介払いをしたかったみたいだね」


「身体を壊すんじゃないよ」


「大丈夫だよ。最近は半分の量しか任されないから逆に暇なくらいだし」


「それは普通の量って言うんだよ」


 暇だから周りの仕事を手伝っていたら、お菓子会社だからなのか大量のお菓子が机に積まれていた。


「最初は虐めかと思ったけど、感謝の言葉が付いてたからお土産を貰ってみんなで食べた」


「仲良くやってるならいいよ。それはそうと」


 華が瑠伊の腕で眠る翔利と瑠伊の子に目を向ける。


「今日はそっちが目的だよ」


「お仕事とこの子の事で忙しくて華さんと会うのも久しぶりですもんね」


「ほんとにね」


 結婚してからここに来たのは数えられるぐらいだ。


「ばあちゃん、この子が俺と瑠伊の子供だよ。名前は佐伯 好葉このはだよ」


「華さんと同じ植物の名前がいいと思って付けたんです」


 この名前を好葉が気に入るかはわからない。


 所詮子供の名前は親のエゴなのだから。


 だけど、名前を植物系にするのは決定事項だった。


「ばあちゃんみたいなすごい人になれたらいいなって期待と、ばあちゃんの恩恵でも貰えないかなって」


「勝手に期待するだけじゃないならいいよ。好葉ね。瑠伊さんに似て可愛い子だよ」


「起きてる時の目は翔利君そっくりですよ」


「きっといい子に育つよ。二人の子なんだから」


 華が優しい顔でそう告げる。


「抱けますか?」


「力はほとんどないからやめとくよ」


「じゃあせめて撫でてあげてください」


 瑠伊はそう言って華の前に好葉を差し出す。


 華は優しい顔で好葉の頭を撫でる。


「可愛い子だねぇ」


「瑠伊の子だもん」


「翔利君の子ですよ」


「二人の子だものねぇ。大事に……はするか。甘やかしすぎて駄目な子にするんじゃないよ」


 今のところは溺愛してるから危ないが、翔利が好葉をあやしてる時は瑠伊が嫉妬してるからし過ぎはない。


 瑠伊があやしてる時は翔利が嫉妬している。


「娘に嫉妬もするんじゃないよ」


「ばあちゃんはなんでもわかるよね」


「翔利君が娘とはいえ女の子の相手してるのが見てて嫌なんですもん」


「そんなんで職場の事は気にならないのかい?」


「仕事には口を出さないようにしてます」


 瑠伊はそう言うが、斉藤さんから翔利の女性事情を聞いているのを翔利は知っている。


「俺は好葉と遊ぶのも駄目って言われるのに、瑠伊は色んな男の人と連絡取ってるよね」


「別に男の人だけではないですけど、そうして繋がりを持つのも大切かと」


「嫉妬したから今日も虐める」


 翔利は瑠伊が男の人と連絡を取っている事を知ると、嫉妬して瑠伊を夜に虐める。


 嫉妬しなくても何かしら理由をつけて虐めるが。


「仕方ないですね」


「瑠伊さん、顔に出てるよ」


 翔利が虐めると言うと瑠伊は顔を綻ばせる。


 狙って言っている気さえする。


「でも繋がりを持つのは大切だよ。私も同じ理由で繋がりを持ったからね」


「ばあちゃんも旦那に寄ってくる女を知る為に色んな男と連絡取ってたの?」


「言い方に悪意を感じるけどそうだよ。結局清廉潔白だってわかって、私には沢山の繋がりが出来ただけだったけど」


「ちなみに華さんはいつの段階で清廉潔白だって判断したんですか?」


 それは翔利も聞きたい事だ。


 瑠伊がこれ以上他の男と連絡を取っていたら泣く。


「恥ずかしい話だけど、瑠伊さんと同じで最初から疑ってなかったんだよ」


「つまり?」


「旦那に嫉妬して構って欲しくてやってただけで、それが旦那への裏切りだって気づいた時にやめた。それまでに三年だったかな」


 理由が思いのほか可愛かったが、三年であの人脈を作った事に驚く。


「人脈ってのは連絡をやめたからって完全に切れる訳じゃないからね。何かで助けてればいつかそれを返してくれる。それだけは続けてたから今こうして沢山の繋がりがあるんだよ」


「心を読まないでよ。でもそうだよね、大人になると一回知り合うと結構長い付き合いになるもんね」


「付き合いが無くなるのも一瞬なんだけどね。ところで私の手はいつまでこうなんだい?」


 現在華の親指は好葉に握られている。


「無理に離すと泣くから我慢してね」


「可愛いからいいんだけどね。でもこれで思い残す事は無くなったねぇ」


 華が息を吐いて肩の力を抜く。


「何言ってんの?」


「え?」


「ばあちゃんにはこれから好葉のお世話を頼むよ? そうじゃないと瑠伊と二人っきりになるのが難しいし」


 翔利にとっては好葉も大切だけど、瑠伊との時間も大切だ。


 だから華には早く退院して貰って好葉をたまに預かって貰う予定だ。


「……死に損ないをこき使うんじゃないよ」


「ばあちゃんはまだ元気でいて貰うから」


「そう、かい」


 好葉の力が一瞬緩んだ隙に指を抜いた華が翔利とは反対の方を向いて顔に手を当てた。


「長生きはするもんだねぇ。今日はもう帰んな」


「どうしたの急に?」


「久しぶりに沢山話して疲れたんだよ。それに翔利もせっかくの休みなら瑠伊さんと好葉との時間も大切にしな」


「そうだね。わかった。またねばあちゃん」


 翔利はそう言って華に手を振り、瑠伊は綺麗に頭を下げた。


「じゃあね……」


 華の最後の言葉がどこか寂しく聞こえた。


 翔利達が角を曲がる時に華の病室に院長を含めた数人の人が入って行くのが見えた。


 あんなに大人数で入って行ったらきっと華は迷惑に思うだろうと思いながら翔利は泣いている瑠伊の服を掴む。


 その次の日に華が亡くなったという連絡が病院から届いた。


 後から聞いた話では、華は相当危ない状態で、翔利達が来ていたあの時だけは奇跡的に安定していたらしい。


 院長が「華さんが葬式はするのなら家族葬で、無理にする必要はないと言ってました」と言ったので、翔利は「そんなの聞いてやらない」と言ってちゃんとした葬式を開いた。


 華の最期の願いだが、華を弔いたい人がどれだけいるのかは数えなくてもわかるぐらいに沢山いる。


 それが翔利の最初で最後の華への反抗。


 そして華に初めて勝った時だった。


 葬式と火葬が終わり、全てが終わったその日の夜。


 翔利は泣いた。


 それまで連絡がきた時も葬式中も火葬の後も泣かなかった翔利が泣いた。


 瑠伊の胸の中で翔利は泣き疲れて眠るまで泣き続けた。

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