第29話 話さなければいけない事

「ばあちゃん……」


 華の病室に着いた翔利は穏やかに息をする華を見て安堵した。


「今は落ち着いています。ですけどまたいつ危険になるかはわかりません」


 院長がそう告げる。


 安静になってから呼びに来たそうだが、少し前までは危険な状態だったらしい。


「後どれぐらいは平気な予想ですか?」


「華さん次第ですけど、もっても一年ないぐらいです」


 あまりに少ない余命宣告で慌てる心を深呼吸で落ち着かせる。


「それはあくまで予想ですよね?」


「はい。私達は推定しか出来ないので、後十年だって大丈夫な可能性もあります」


 逆もまた然りだが、それを今考えても仕方ない。


「瑠伊」


「はい」


 扉の前で目を閉じていた瑠伊を呼ぶ。


「ばあちゃんはどっちの方が長生きすると思う?」


「期待と不安ですか?」


「うん」


 華の望みはひ孫を見る事。


 だから華に翔利と瑠伊が将来的に結婚すると伝えてひ孫を見れる期待を持たせるか、ひ孫を見れるかわからない不安を持たせれば死ぬに死ねないとなるかもしれない。


「多分ですけど、翔利君のしたいようにするのが一番いいと思います」


「丸投げではなく?」


「はい。華さんは翔利君の決めた事をそのまま聞きたいと思うので」


「わかった。じゃあまずはばあちゃんが起きるのを待つところからだね」


 そうして今日の残りの時間は華が目覚めるのを待つ事にした。


 院長は「何かあったら呼んでください」と言って病室を出て行った。


「そういえば翔利君」


 沈黙を破り、瑠伊が話しかけてくれた。


「何?」


「知ってましたか、今日って体育祭なんですよ」


「そうなの?」


 そういえば最近の体育の授業で体育祭の練習をしていた気がする。


 怜央と華の事が心配すぎて全ての授業が頭に入っていなかったから忘れていた。


「普通の土曜日だと思ってた」


「だと思ってお休みの連絡はしておきました」


「よく許してくれたね」


 普通は保護者が連絡しないと休む事は出来なかったはずだ。


「こういう時の為に校長先生と連絡できるようにしておいたので」


「さすが瑠伊だよ」


「校長先生も後で来ると言ってましたよ」


「体育祭中抜け?」


「いや、さすがにそれは……」


 校長は最初と最後の挨拶さえしたら体育祭でのやる事は接待ぐらいしか思いつかない。


 だったら中抜けして来ても不思議ではない。


「でもばあちゃんの知り合いの多さにしては誰もお見舞いに来ないよね」


「それは華さんが隠してるからだよ」


「……」


「……」


 翔利と瑠伊は隣に立っていた人物を無言で眺める。


 そこにはちょうど話していた校長が居た。


「教師が行事をサボってる」


「恩人が入院したのに仕事なんてしてられないからね」


「職務放棄なんてばあちゃんが聞いたらキレるだろうけど」


「なんの為に教頭がいると思ってるのかな」


「これが本物の丸投げ……」


 さすがの翔利も呆れる。


「それだけの人なんだよ。大内さんから連絡がきて初めて知ったから今になったけど、もっと早く知ってれば毎日でも来ていたよ」


「中抜けして?」


「時間を作ってね。様態は芳しくないんだよね」


 校長が悲しげに聞いてくる。


「今はね。すぐによくなる……いや、する」


「私自身、華さんに謝らなければいけない事もあるからそうして欲しい」


「瑠伊には?」


「それも今日はしに来たんだよ」


 そう言って校長が瑠伊に頭を下げた。


「本当にすまなかった」


「え?」


「君には本当に辛い思いをさせた。クラスでの虐めや担任からの脅迫。それを見過ごした事に関して謝りたい」


 他にも瑠伊の耳には届いてないかもしれないけど、瑠伊が屋上から落ちた事を大きく言って騒いでいた教師や生徒もいたらしい。


「私の頭程度で済む話でないのはわかっているが、謝らせて欲しい」


「虐めを見過ごしていたのは担任の先生ですし、あの人からの強迫……セクハラに関しては未遂だったので校長先生が謝る事ではないですよ?」


「華さんと約束したんです。生徒を守れる教師になると。なのに校長という立場になったのを言い訳にして、生徒や教師とのコミュニケーションを疎かにした。その被害者があなただ」


「それは少し違うような……」


 瑠伊を一番苦しめたのは親権代理人のおばさんで、瑠伊は学校での事はあのおばさんにされた事と比べたらなんとも思っていないと言っていた。


 確かに学校だけでも楽しめる空間だったら何かが違ったのかもしれないけど、それで瑠伊が救われたかはわからない。


「私としては落ちちゃって学校にご迷惑をかけた事に責任を感じてますけど」


「それこそ君はなんの責任もない。追い詰めたのはこちらなんだから」


「責任は感じますけど、悪い事だとは思ってませんよ」


「と言うと?」


 校長が聞くと、瑠伊が翔利を優しく見つめた。


「翔利君に出会えました。そのせいで怪我をさせてしまいましたけど、私は最悪だった人生が一転して幸せになりました。翔利君と華さんのおかげで」


「それを言うなら俺もだよ。瑠伊のおかげで俺は人としての当たり前を学べたし、毎日が楽しい。瑠伊を助けられた事は俺にとって一番の功績だね」


 そう言い合って二人で笑い合う。


「そうか。じゃあ私の仕事は」


「二度と生徒を不幸にしない事だよ」


 三人は声のした場所を一斉に見る。


「なんだい、まるで死人が蘇ったみたいに驚いて」


「ばあちゃん……」


「心配かけたね。それより翔利、あんた今日体育祭だろ」


「なんでばあちゃんが知ってるの?」


「翔利の事で私が知らない事があるとでも?」


 否定しようとしたけど、その通りかもしれないから何も言えなかった。


「華さん、私は」


「あんたは学校に戻りな。生徒から目を離してどうするんだい」


「……はい。また来ます」


「来なくていいよ。最期は翔利か瑠伊さんにって決めてるんだから」


 華のその言葉を聞いた翔利は睨み、瑠伊は悲しげな顔を向ける。


「冗談だよ。でもあんたが来なくていいのは本当だから来るんじゃないよ」


「わかりましたよ。それでもお元気で」


 そう言って校長は病室を出て行った。


「私のせいで仲違いしたみたいだけど解決したみたいだね」


「俺のせいだよ。でも瑠伊とは話し合えた」


「そうかい」


 華がとても優しい顔で翔利を見る。


「華さん」


 瑠伊が両手を膝の上で握りしめながら華の名を呼ぶ。


「なんだい?」


「私は翔利君をずっと大切に思い続けます。なにがあろうと翔利君だけを思い続けます」


「わかった。全部は託せなかったけど、翔利の事は頼んだよ」


 華が笑顔で瑠伊に言う。


「嫌です」


 だけど瑠伊がそれを拒絶する。


「理由を聞いても?」


「私はまだ華さん程翔利君のお世話を出来ません。だから華さんの全てを教えて貰うまでは頼まれません」


 瑠伊が涙を目元に浮かべながらキッパリと言う。


「そう思えるのなら私が教えられる事なんてないよ」


「それでも嫌です」


「わがままだねぇ。ならしばらく通ってくれるのかい?」


「毎日来ます」


「わかったよ。少しずつかもしれないけど、私の全部を叩き込んであげるよ」


 華が悪い顔で言うが瑠伊は嬉しそうに「はい」と答える。


「それで翔利はいつ私を死なせるんだい?」


「言い方考えて」


 その言い方だと、瑠伊が全部を教わったら華に死んでいいと言ってるように聞こえる。


「ごめんね。私はいつまで生きてれば大丈夫なんだい?」


「それも嫌だけど、俺との約束を果たすまで」


「それは……難しい事を」


 要は翔利の子供が生まれるまで生きていてくれと言っている。


「ばあちゃんがずっと言ってた事だよ。約束破るの?」


「じゃあここで宣言しな」


 華が無理やり身体を起こして背筋を伸ばす。


「ばあちゃん!」


「私の心配はいい。先に宣言しな」


 翔利の伸びかけた手を華の言葉が退ける。


「俺は瑠伊が好きだよ。これは家族としてとか友達としてとかじゃない。俺は瑠伊とずっと一緒に居たい。だから瑠伊」


 翔利はそう言って涙を堪えている瑠伊の方を向く。


「俺と結婚しよ。まずは付き合うとこからだけど」


「それは本心ですか?」


「俺は瑠伊に嘘つかないって言ったでしょ」


「そうですね。翔利君は疎いだけで嘘はつかないですもんね」


 さりげなく馬鹿にされた気がするが、言いたい事は伝わった気がする。


「一生大切に思ってくれますか?」


「もちろん」


「紗良さんや怜央さんの誘惑に負けたらどうします?」


「負けないように毎日瑠伊を補給する」


「それでも負けた場合は?」


「瑠伊が信じられないなら信じさせる」


 翔利はそう言って瑠伊の唇に口づけした。


「俺からは初めてだよ」


「……裏切ったら屋上行きますからね」


「俺は瑠伊の手を絶対に離さない」


 そう言ってもう一度瑠伊にキスをした。


「瑠伊好き」


「私も好きです」


 そして三度目のキスをしようと顔を近づける。


「わかったから続きは家でやりな」


 華の声で翔利と瑠伊は我に返る。


「今までしなくてよかった」


「家でしてたらどうなっていたか……」


「お互いの事好き過ぎなのはわかったよ。それなら子供も明日には出来てそうなのも」


 それはさすがにないけど、確かに今日は二人とも恥ずかしがって何もしないか、朝まで何かをするかになりそうだ。


「約束しよう。あんた達が高校卒業するまでは確実に生きてやる。だけどその後はわからないとだけ言っておくよ」


「つまり成人して自立したら俺達に丸投げって事?」


「言い方を変えればそうだね。私が死ぬ前に子供を見せておくれよ」


 華がニマニマとして翔利と瑠伊を見る。


「一つだけ言っとくけど、成人前に子供は作るんじゃないよ」


「子供ですか?」


「瑠伊さんってあれだよね」


「ち、違います。確認です確認」


「なんの?」


「翔利はわからなくていいんだよ。瑠伊さんが可愛いむっつりさんってだけだから」


 華の言葉で瑠伊の顔が真っ赤になった。


「話は終わりだよ。今からでも体育祭行ったらどうだい?」


「怜央も行ってないからサボる。どっちに帰る?」


「怜央さんのところにしましょう」


「家に帰ったら何するかわからないもんねぇ」


「華さん!」


 謎が増えた翔利と顔を真っ赤にした瑠伊を優しく眺めて華はベッドに横になった。


 二人は華に挨拶をして怜央の病室に向かった。


 そこでも瑠伊が弄られて更に顔が赤くなっていた。

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