第10話 思考の残り湯

「ばあちゃん、家族会議をしよう」


「瑠伊さんのお風呂を覗きに行っていいかって? それはまだ駄目だよ」


 瑠伊は今お風呂に入っている。


 だから翔利はこのタイミングで華に話しかけたのだ。


「本気なやつね」


「瑠伊さんの様子がおかしいって?」


「分かってるなら茶化さないで」


「ごめんよ。それでどうおかしいんだい?」


 翔利は華に今日の瑠伊の一日を聞かせた。




「瑠伊、何か忘れたの?」


 瑠伊が机の上に鞄を置いたまま何かを探している。


「えーっと、そういう訳ではないんですけど、翔利君がずっとこっちを見ているのが恥ずかしくて」


「あ、ごめん」


 翔利は席に着いてからずっと瑠伊を見ていた。


 違和感が何かを探すのもあったけど、単純に瑠伊を見る事が癖になっている。


「見ないように善処するね」


「翔利君の善処には期待しません」


 どうやら登校の間で瑠伊からの信頼を失ったみたいだ。


 信頼を取り戻す為に渋々翔利は瑠伊から目を逸らす。


「ごめんなさい」


「なにが?」


「なんでもないです。お家ではずっと見ててください」


「うん。絶対に目を逸らさないね」


「そこまではしなくても……」


 さすがの翔利も本気でそこまではしない。


 目に入るところに居たら目で追う程度だ。


「なんかソワソワしてる?」


「なんで見てないのに分かるんですか?」


「勘?」


 瑠伊に言われた通りに翔利は瑠伊を見ないようにしている。


 だけど声を聞けばなんとなくいつもと違うのは分かる。


「違和感、ではないか。見られてるの?」


「はい。私達を見て何かを話しています」


「男?」


「翔利君怖いです」


 もしも瑠伊の事を可愛いとか言って何かしようとしてる奴だったらと思ったら、つい声が低くなってしまった。


「男の子も女の子もです。分かってた事ですけど」


「気になる?」


「多少は気になります。でも初めてではないので大丈夫です」


 瑠伊は虐待を受けていると思われていて、その事で噂や同情の目を向けられていた。


 虐待は事実だけど、そういう根拠のない視線は初めてではない。


「翔利君はやっぱり気になりませんか?」


「まぁ、うん。有象無象の視線を気にするより、瑠伊の視線を気にしてたいから」


 翔利は視線を外しているから見えてないが、瑠伊の顔がほのかに赤くなった。


「ねぇ佐伯君」


「……」


 翔利と瑠伊の会話の途中に気の強そうな女子生徒取り巻きを連れて翔利に話しかけた。


 翔利は瑠伊との会話に水を差されて不機嫌に睨む。


「怪我大丈夫? 入院するぐらいの骨折だったんでしょ? クラスのみんな心配してたんだよ」


「……」


 翔利は女子生徒の話に言葉を返さずただ睨む。


「災難だったよね。バカな自殺志願者のせいで」


「殺すぞ」


 女子生徒が甲高く笑ったから聞こえてはいないけど、翔利の言葉は本気だ。


 椅子を引いて立ち上がり、女子生徒に手を伸ばそうとした瞬間。


、ホームルームが始まりますよ。霧島きりしまさんも」


 瑠伊が静かにそう言う。


 この女子生徒は霧島と言うらしい。


 霧島は瑠伊を見て「図に乗んなよ」と言って自分の席に戻って行った。


「ごめんね」


「なんで翔利君が謝るんですか?」


「瑠伊に止めて貰わなかったら本当に手が出てたから」


 いくら人に興味の無い翔利でも、瑠伊を馬鹿にされたらキレるし、女子だろうと本気で殴る。


「でも『佐伯さん』で我に返ったよね。一瞬泣きそうになった」


「翔利君を止める時はそうしますね」


「意地が悪い」


 そう言って翔利は席に戻った。


 瑠伊はもう授業の準備をしていて、教科書とノートを机に並べていた。


「一時間目って何?」


「英語です」


「嫌い」


「私の事ですか?」


「それが一番意地が悪い」


 そんな事を話しながら翔利は英語の教科書とノートを取り出して、ホームルームが始まるのを待った。


 そして少ししたらチャイムが鳴り、担任が入ってきた。


「ホームルームを始めるぞ。全員……いるじゃん」


 担任が教室を見回して全部の席が埋まっているのを確認して驚いた。


 もちろん学校側には事前に今日から学校に行く事は伝えてある。


 だからあれは演技が怠惰だ。


「久しぶりに見たな。佐伯」


「……」


 担任に呼ばれた翔利は無言で担任を睨む。


「席が嫌なら変えてやるぞ。お前は席替えしてないからな」


 そう言って担任はホームルームを始めた。


(席替えしてないのは瑠伊もだろ)


 翔利としては瑠伊の隣で嬉しいからいいのだけど、翔利には言って瑠伊には言わないのが気になった。


 瑠伊の方をちらっと見たら、両肩を抱いて深呼吸をしていた。


 翔利の視線に気づいた瑠伊は、何もないような顔で「大丈夫です」と声には出さずに言った。


 いつもなら可愛いと思うところだけど、今はそんな事を思えなかった。


 そしてホームルームが終わると、また霧島がやって来て瑠伊と話す時間が取れなかった。


 お昼休みになってやっと話せると思ったら、瑠伊が放送で担任に呼ばれて教科書もそのままにして「先に食べててください」と言って出ていってしまった。


 待とうと思ったけど、霧島がやって来て瑠伊の席に座ろうとしたからお弁当を持って学校をぶらついた。


 しばらくして帰ったけど、瑠伊がまだ帰って来ていなかったので階段の一番上のところでぼっち飯をした。




「ってな感じ。帰りは一緒だったけど瑠伊を前にしたらなんか聞けなかった」


「深刻だね。問題は山積みだよ」


「何個ある?」


「今のところは三個かな。そして全部が繋がってる」


 華は頭の回転が早すぎる。


 翔利がたとえ常人には理解できないような言い方で説明しても、全てを解釈して答えてくれる。


「証拠さえあれば私がなんとかするよ。さすがに学校に入り込む事は出来な……くもないけど、情報集めに時間がかかるからね」


「つまり俺が集めるって事?」


「そう。翔利には少し難しいかもしれないけど瑠伊さんの為ならできるだろ?」


「もちろんやるよ」


 これは翔利の嫌いな人付き合いを必要とする事だ。


 だけど瑠伊の為なら翔利はどんな事でもやる。


「なにがあっても先に手は出すんじゃないよ」


「善処する」


「約束しな。瑠伊さんが困るんだよ」


「約束する。出さない」


 要は口で暴力を振るえばいいのだ。


「全く。じゃあ答え合わせを……」


「どうしたんですか?」


 肝心の答えを聞くところで瑠伊がお風呂から出てきた。


「いや、なんでもないよ」


「翔利君はなんで私をじっと見てるんですか?」


「いつも思うけど瑠伊のお風呂上がりって綺麗だよね」


 しっとりと濡れた髪や肌、そして華が買ったピンクの可愛らしいパジャマ。


 全てを総合した結果、お風呂上がりの瑠伊は綺麗だ。


「そういえばいつも見られてました」


「水も滴るなんとやらだよ。綺麗」


 瑠伊の顔がお風呂上がりのせいか真っ赤になった。


「翔利は天性の詐欺師になれそうだよ」


「嘘じゃないよ?」


「分かってるよ。違う言い方をするなら魔性の男かな」


 華の言葉に瑠伊も激しく頷いて同意する。


「家族からの虐めを受けてます。瑠伊に慰めて貰わないと泣くよ」


「泣いちゃったら私の胸を貸しますよ」


「余計に泣きたくなるじゃん」


「貧相ですいません」


 瑠伊が自分の控えめな胸を両手で押さえる。


 翔利はそれを見ないように視線を逸らす。


「翔利君って初心うぶですよね」


「こういうのを魔性って言うんでしょ!」


「翔利が女性耐性ないだけだよ」


「ふんだ。みんなして虐めるから不貞腐れてお風呂入ってくるもん」


 翔利はそう言ってお風呂場へ向かった。


 後ろでは瑠伊が「可愛い……」とどこか嬉しそうに言っていた。


 どうやら翔利と華の会話については話を逸らせたようだ。


 翔利は身体を洗ってから湯船に浸かって少し考える。


「瑠伊の問題……」


 翔利の話で三つの問題が分かると華は言った。


 今日はおそらく聞く時間はない。


 だから明日に備えて自分で答えを見つけなければいけない。


「一つは分かるんだけどな」


 一番問題らしい問題は霧島だ。


 あの女子生徒の瑠伊への態度は明らかにいいものではなかった。


「後二つか……」


 可能性としてはお昼休みの呼び出し。


 そこで何かがあった可能性はある。


「だけど後一つと全部が繋がってるが分からないんだよな」


 最後の一つはそれっぽいものが思いつかないし、華は全部が繋がっていると言った。


「とりあえず分かるものから対処するか」


 明日は霧島から情報収集をする事に決めた。


「頑張れ俺。瑠伊の為だ」


 正直人と関わるのは嫌だけど、全部は瑠伊が幸せに学校生活を送る為。


 その為ならたとえ自己満足だろうとなんでもやる。


 長湯をしてそう決意していたら華が「瑠伊さんの残り湯を堪能してるんじゃないよ」と言ってきたので恥ずかしくなり直ちに湯船を出た。

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