第9話 学校生活の不安

(瑠伊の様子がおかしい)


 朝から瑠伊の様子が少し変だ。


 どう変なのかと言うと、洗面所で顔を洗った後に顔を拭かずにぼーっとしていたり、今だと朝ごはんを食べる手が完全に止まっている。


 華も心配しているようで翔利に「それとなく聞け」みたいな視線を送っている。


「瑠伊ちゃん」


「なんですか?」


「本当に大丈夫?」


 瑠伊は翔利に呼び捨てにされるのにも慣れてなく、呼び捨てで呼ばれる度に過度な反応をしている。


 だからちゃん付けなんてもっとあからさまな反応をするはずなのに、反応が普通で心配になった。


「すいません。ちょっと考え事をしていて」


「学校憂鬱?」


「……憂鬱と言うか、不安なんです」


 瑠伊が屋上から落ちた事は多分クラスの人も知っている。


 だから不安になるのも分かる。


「多分、私は飛び降りたって事になってると思うんです。だから今までも『変な子』みたいな視線はあったんですけど、それが増すんではないかと……」


 人は事実よりも自分が思いたい事を信じる。


 だからたとえ瑠伊が飛び降りるつもりが無く、落ちたのだと言っても誰も信じない。


「絶対にあるよね。同情の目も増えるよ」


 勝手に分かった気になって「辛いよね」みたいな視線も絶対に増える。


「同情の視線送ってる人ってしてる自分優しいって思ってるよね」


「翔利、気持ちは分かるけど瑠伊さんを余計不安にさせてどうするのさ」


「だって俺にも絶対増えるじゃん。だからお互い頑張ろうって事で」


 翔利は『可哀想な被害者』みたいな感じで見られるはずだ。


 瑠伊の飛び降りのせいで怪我をしたと勝手に思われるから。


「瑠伊、不安なら俺から離れないでね」


「え?」


「俺もそういう視線嫌いだから、瑠伊と二人でずっと居ればそういう視線も多少は減ると思うし」


 それでも翔利が気を使っているとか思って偽善者の視線を送ってくる人もいるだろうけど、緩和は期待される。


「翔利は瑠伊さんと学校でも一緒に居たいだけだろ?」


「何言ってんの? 当たり前じゃん」


 元から翔利は瑠伊とずっと一緒に居るつもりでいた。


 友達もいないし、瑠伊が同じクラスなら一緒に居ない理由がない。


「だけど瑠伊。一つだけ約束して欲しい事があるんだけど」


「な、なんですか?」


 瑠伊の顔がほのかに赤い。


「もし何かあったら言ってね。瑠伊を不快にさせる奴がいたら俺の全てを持って不幸にするから」


「過保護ですよ。でももしもの時はお願いします」


 瑠伊はあまり本気にしていないけど、翔利は至って真面目だ。


「自分一人で抱え込んで、また屋上に行ったら本当に怒るからね」


「嫌いになりますか?」


「なるね。それに気づけなかった自分の事を」


 瑠伊の性格上、抱え込む事は想像できる。


 だから翔利はそれに気づかなければいけない。


「もう絶対に瑠伊を一人で屋上に行かせない。瑠伊は俺が守るから」


 翔利の告白じみた言葉に瑠伊の顔が真っ赤になる。


「瑠伊さんはそろそろ聞き慣れないのかい?」


「慣れないですよ。嬉しいんです、翔利君の気持ちが」


 瑠伊が笑顔でそう答える。


 ちなみに瑠伊の翔利の呼び方は、最終的に「翔利君」になった。


「とりあえず瑠伊は一人行動禁止ね」


「翔利君って独占欲強いんですか?」


「ごめん、瑠伊の気持ちもあるよね」


「私の気持ちは『翔利君と一緒に居たい』ですよ」


 瑠伊が笑顔でそう言ってくれたので、翔利もそっと胸を撫でおろした。


「あ、でもお手洗の時は付いて来ないで貰えると助かります」


「本当はそこが一番付いて行きたいんだけどね」


 別に覗きたいとかではなく、女子トイレでは虐めが起こる可能性が一番高い。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」


「でもさ」


「私は翔利君と一緒ならいつでも幸せですし、たとえ辛くなったとしても、翔利君なら絶対に気づいてそんな辛い気持ちを晴らしてくれますから」


 瑠伊が「ですよね?」と付け足して翔利に首を傾げながら言う。


「何がなんでも瑠伊に幸せな学校生活を送って貰う」


「言質は取りましたからね」


 瑠伊の笑顔に翔利が固まる。


 ずっと瑠伊の事が心配で気にならなかったけど、翔利は瑠伊の笑顔が好きだ。


 何もしてなくても可愛い瑠伊がより可愛くなるから。


 だからこそ不安になってしまった。


「瑠伊は学校で笑顔禁止」


「え?」


「禁止」


「翔利の独占欲すごいねぇ」


 華は楽しそうになんでか聞く瑠伊と頑なに答えない翔利を眺めていた。




「行ってきます」


「ます」


「略すんじゃないよ。行ってらっしゃい」


 瑠伊と翔利は華に挨拶をして二人で学校に向かった。


「学校では一緒に暮らしている事は隠した方がいいんですよね?」


「俺には話す相手いないから気にしてなかった」


「私もいないです」


 翔利としてはわざわざ隠す必要性を感じていないけど、瑠伊に迷惑をかけるなら何か聞かれても隠すつもりだ。


「まぁ一緒に学校に行ってる仲のいいご近所さんって事にでもしとく?」


「秘密って事ですね」


 実際は教師達は知っているから秘密でもなんでもないけど、瑠伊が嬉しそうだから翔利は何も言わない。


「でも仲のいいご近所さんは手を繋ぎます?」


 翔利と瑠伊は手を繋いで学校に向かっている。


 建前はまだ翔利一人で歩くのが危ないからで、理由は翔利が瑠伊と手を繋ぎたいから。


「瑠伊が嫌なら……」


「離しません」


 翔利が手の力を緩めたら、瑠伊がぎゅっと握って離さなかった。


「学校内ではやめた方がいいですよね」


「なんで?」


「変な噂が立ちますよ」


「瑠伊が困るやつ?」


「どちらかと言うと翔利君が困りますかね」


「ならいいや」


 瑠伊が困らないのなら翔利は迷わず手を繋ぐ。


「危ないからね」


「翔利君は甘えたさんですもんね」


「瑠伊とばあちゃん限定でね」


「光栄です」


 瑠伊がぎこちなく笑いながら言う。


「まだ不安?」


「近づいてくると不安になります」


 瑠伊が俯きながらそう答える。


「瑠伊は偉いよね」


「え?」


「俺さ、他人に興味無いから他の人にどう見られてるとか気にしないんだよ。たとえ相手を不快にさせても何も感じないんだよね」


 翔利にとって瑠伊と華以外の人は全てどうでもいい。


 相手がどう思ってるかなんて自分には関係ないし興味もない。


「だからそんなに人の目を気にしてる瑠伊って偉いなと」


「私は卑屈なだけです。それに翔利君と一緒に居ると女の子から嫉妬の目を向けられるので」


「嫉妬?」


「翔利君は気づいてないと思いますけど、翔利君を好きな女の子っていっぱいいるんですよ?」


 翔利は顔が整っているからそれだけでもモテるが、人に興味が無いので学校では静かにしているから寡黙でクールだと思われて女子からの人気がある。


 当の本人は微塵も興味が無いから知らないけど。


「あれでしょ? 俺がテレビに出たから、有名人とお近づきになって他の有名人の話を聞きたいとかいうやつでしょ?」


「そういう人もいるんだと思いますけど、翔利君は普通にかっこいいですから」


「瑠伊に言われると嬉しいけど、他の人からそう思われたって別に何も感じないけどね」


「私も翔利君に可愛いって言われるの嬉しいですけど、学校では控えてくださいね」


「善処はするけど期待はしないでね」


 翔利としても照れた可愛い瑠伊を他の奴に見せたくは無い。


 だけどつい口が滑ってしまう事があるかもしれない。


「学校見えてきた……」


 学校が見えてきた途端に翔利の元気が無くなった。


「なんで翔利君が落ち込んでるんですか?」


「瑠伊が俺は女子から有名人補正でモテるって言ったじゃん? つまりさ、素で可愛い瑠伊は普通にモテるって事でしょ? もし瑠伊が誰かと付き合ったりしたら一緒に居られないって思ったら寂しくなった」


「……翔利君って言い方があれですけどおバカですよね」


 瑠伊が言って「すいません」と謝ってきた。


「えと、私が言いたいのは、私はモテませんよ。むしろ避けられてるぐらいなので。後、もし何かの間違いで告白とかされても付き合うつもりはありません」


「理由は?」


「……内緒です。これは理由がないとかじゃなくて、言うのが恥ずかしいだけで、理由はあります。それと翔利君から離れる事はあっても私から離れる事はないので安心してください」


「じゃあずっと一緒だ」


 翔利にはもう不安は無い。


 晴れ晴れした気持ちで学校へ向かう。


「早めに出すぎたかな?」


 翔利の足の事もあり、時間には余裕を持って出てきた。


 そのせいか周りには人がいない。


「電車の時間で来る時間は決まってますよね」


「なるほどね。そもそも学校にほとんど来てないから知らないや」


 翔利のサッカー漬けの日々は何も中学生の時までではない。


 翔利の両親としては高校なんてどうでもよかったので、学校をサボらせて練習をさせていた。


 だけど授業日数が足りなくなると困るので、練習に行ったフリをして翔利は学校に行っていた。


 だがたまに両親のどちらかが見張りに来る事もあり、学校には最低限しか来れてない。


「あの人達的には授業日数が足らないって理由付けて退学させたかったのか」


「学費は払われてたんですよね?」


「俺が払ってた」


 教材費から何から翔利の両親は払う気がなかったので、無趣味の翔利が貯めていた華からのお年玉で払っていた。


「ばあちゃんさ、俺が小さい時からやばい額のお年玉くれてたんだよ。でもあの人達に言ったらサッカー関連に使われるからばあちゃんに預けてたんだよね」


「じゃあ翔利君は自分のお金で払ってたんですね」


「瑠伊は気にしなくていいんだよ?」


 瑠伊の方はもちろん払われていなかった。


 前期の分はまだ手をつけられて無かったお金で払えたようだけど、その先は払われる事がなかった。


 そのお金を華が一ヶ月の間で払っていたようだ。


「いつか絶対に返します。本当は今あるお金で返したいんですけど」


「それはお墓に使わないとでしょ。それにばあちゃんは俺と一緒に居てくれればいいって言ってくれたじゃん」


 華はお金を返されるよりも、自分がいなくなった後に翔利を支えてくれる人がいて欲しいのだ。


「翔利君とは一緒にいます。だからお金は別の話です」


「頑固なんだから。まぁそこも可愛いけど」


 翔利が靴を履き替えながら言うと、瑠伊にジト目を向けられた。


「善処はどうしたんですか?」


「善処はするけど言わないとは言ってない」


「別の不安が……」


 そんな事を話しながら翔利と瑠伊は教室に向かう。


 他の教室の前を通ると人の話し声が聞こえて、やっと今日はちゃんと学校だったと安心ができた。


「そういえば瑠伊って席どこなの?」


「……着いてからのお楽しみです」


 瑠伊に一瞬真顔を向けられたのが気になるが、楽しみにして教室に向かう。


 そして教室の前に着き、瑠伊が立ち止まったのを気にせずに翔利は引き戸を引いて教室に入った。


「ここで止まっても何もならないから行こ」


「……はい」


 心の準備は大切かもしれないけど、その間に後ろから誰か来たら元も子もない。


 教室の中には数人の男女が居て何か話していた。


 翔利と瑠伊が教室に入るとそちらを見て全員が黙った。


「俺の席ってどこだっけ?」


「窓側の一番後ろです」


「主人公席ってやつか」


 適当に学校生活を送っていたのと、久しぶりのせいで翔利は本当に席の場所を忘れていた。


「それで瑠伊さんは」


「ここです」


 翔利が席に鞄を掛けて瑠伊の方を向きながら瑠伊の席を聞こうとしたら、瑠伊が急いで鞄を翔利の隣の机の上に置いた。


「本当に?」


「翔利君が酷い人だと分かりました?」


「大変申し訳ありませんでした」


 翔利が頭を下げると瑠伊が小さく笑った。


 だけど少し違和感を感じた。


 その違和感が何か気づけなかったけど、一日瑠伊からは目を離さないようにしようと翔利は決めた。

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