贖い

 「……いよいよこの時が来た!」


 ルカサンテに住む少年、レクスは鶏の鳴き声で目を覚ます。

 いつもは母親の声で目覚める筈の彼は、母の呼び声よりも早くベッドから飛び出し、父親よりも早く支度を済ませた。

 ルカサンテ――面影のない使徒によって作り替えられた国で、十八の年になった者が迎える、技能継承式。

 授けられた技能スキルを用いて、エルズペスに住まう悪しき異教徒を滅ぼし、讃えられる功績をこの地に遺す。

 使徒によってそう伝えられた、虚偽と欺瞞に満ちた英雄譚。

 純粋無垢な彼らはそれを疑う事もなく、自身が成し遂げる栄光に瞳を輝かせていた。

 剣聖、賢者――童話か、狂人の妄言でしか聞いたことのない、陳腐な呼び名の数々。

 研鑽の末の結果ではなく、課程もなく他者によって与えられる技能スキルに胸を躍らせる。

 白の壁と、濃い青の屋根の建造物が立ち並ぶ街並み。

 石で整理された大通り、その最奥部にある王城の前には人だかりが出来ている。

 レクスもその群衆の一人、早起きが功を奏し、最前列にてラドヴィアヌス王と使徒、そして剣聖と呼ばれる青年と護衛の兵士が王の周囲を固めているのを見る事ができた。


「静粛に!」


 様々な感情が行き交う群衆の声を、王はその一声で止める。

 静まる群衆に反して、一層瞳を輝かせる若者達。


「対象者は、前へ!」


 厳重に固められた警備の一人が呼びかける。

 兵士の声に呼応し、成人となった者達が前へと踏み出す。

 国の常識が作り変えられて以来、エルズペスは人の形をした邪教を信じる獣――駆除すべき害獣であると教えられてきた者達。

 高揚する彼らには、兵士達が自我のない使徒の傀儡である事すら、気付くはずもなかった。


「右の者! 名はなんという!」


「フェ、フェリシア! フェリシア=マーリンです!」


「よし!フェリシア! 前へ!」


 レクスの幼馴染、フェリシアは王の前で跪く。

 使徒は、金髪の彼女の前まで歩みより、手をかざす。

 使徒の手が光り始め、フェリシアに技能が与えられる。


 ――彼女に与えられた技能は、「賢者」だった。

 正確には、かつてそう呼ばれていた者の記憶と能力をフェリシアの脳内に流し込む。

 そして彼女は、十八の成人には見合わぬ程の力を得た。

 類稀なる魔法の才と、それを扱う技量。

 その技能に耐えうる精神は、彼女は持ち合わせていないと使徒は知りながら。


「やった……! これで私も!!」


 そう叫ぶ彼女の目には、狂気が孕んでいた。

 隣で見ていたレクスは、彼女の変異に気付く。


 (フェリシア……どうしたんだ……?)


 考える間もなく、レクスの名が呼ばれる。

 彼に与えられた技能は「剣聖」、そして同様にそう呼ばれて生きた者の記憶と技能が彼の脳に流れ込んだ。

 剣聖と呼ばれてきた者の苦悩と喪失、数多の屍の上に掴み取った栄光。

 ――彼には耐え難い衝撃だった。

 危うく倒れそうになる体を慌てて立て直す。

 レクスは他の者を見る、自身やフェリシア同様、様子がおかしくなっている者が大勢いることに気づいた。


「ここに立つのは、偉大なる神メテオスの下に、祝福された子達!」


「邪神ヨロラを崇める悪しき異教徒、ワグナーの手先を滅ぼし、この地に真なる栄光と幸福を齎すのだ!」


 儀式を終え、ラドヴィアヌス王は声高々に宣言する。

 与えられた記憶と元の自我の境界が、徐々に薄まりつつある彼らを見て――


 自身の意思か、記憶の意識か、一向は意気揚々に門を出る。

 ある者は空を飛び、ある者は凄まじい速さで地を駆ける。

 使徒が持つ聖遺物による力で、彼らは常人ならぬ力を得た。

 そしてレクスは、普段とは様子の違うフェリシアに声をかける。


「おい、大丈夫か?」


「大丈夫……私は……」


「私は……フェリシア……フェリシア=マーリン……!」


 自分に言い聞かせるように、彼女は自身の名前を呟く。

 フェリシアはレクスと同様、かつては別世界でサラリーマンとして働いていた人間だった。

 転生してから素性が明かせなかったレクスは、偶然彼女と知り合い、彼女もまた、転生した人間だという事を知る。

 新卒として入った会社の凄まじい激務と、それに耐えるための過剰なカフェイン摂取により、残業中、密かに現世を去ってしまう。

 死因まで一緒だった二人は惹かれ合い、共にこの新天地を生き、第二の人生を全うしようと誓った仲だった。

 

 「違う……あなたは私じゃない……! この体は、私の物……!!」


 頭を抱え、悶え苦しむフェリシア。


「私の手で、幸せを掴み取るの! 貴方じゃない! 貴方なんかじゃない!!!」


「アアアアアアアァァァァァ!!!!!」

 

 強すぎる能力と記憶に蝕まれ、彼女は発狂した。


「おいフェリシア!何処へ行くんだ!!」


 レクスの止める声も虚しく、彼女は森の中へと消えていった。


「おーい!フェリシア!何処にいるんだ!」


「ぐっ……頭が……!!」


 彼もまた記憶と能力に蝕まれ、歩く足が不安定になる。

 身体からみなぎる力に比例して、心臓の鼓動も早まっていくのをレクスは感じていた。

 レクスは思わずその場で膝をつく。

 地面には、額から噴出した脂汗が地面に滴っていた。


「ハァ……ハァ……!! うぅ……!」

 

「こんな……!こんなはずじゃ……!!」


――グアアアアアアァァァァァッッッ!!!!

 苦しみ喘ぐ中、突如森の中に断末魔が響いた。


「今のは……!!」


 共にルカサンテを出た仲間の声だ、レクスは何とか立ち上がり、声のする方へと顔を向ける。

 完全に身体が適応し、落ち着きを取り戻したレクスはすぐさま、その元凶へと駆けていった。


「……!!!」


 鬱蒼とした森を抜けた先、そこにいたのは彼の目を疑うような光景だった。

 赤黒く破壊と増殖を繰り返しながら蠢く物体は、周囲の木々を溶かし、地面から生えた触手が仲間の身体を貫いている。

 そしてその前にいたのは、膝が笑い、震えながら杖を握るフェリシア。


「たす……け……」


「マックス! ランパート!!!」


 身体を貫かれた彼の仲間達は、朦朧とした意識でレクス達の方へと手を伸ばす。

 その光景を最後に、彼らは物体の方へと飲み込まれていった。

 それを見たフェリシアは、怯えが怒りへと変わっていき、握る杖から魔法陣が形成されていく。


「よくも!! マックス達を!!」


 火球が周囲の木々ごと吹き飛ばす勢いで、怪物目がけて放たれた。

 風圧と煙の勢いに、思わずレクスは顔を背ける。


「や、やったのか!?」


 煙が晴れ、レクスは顔を上げる。

 そこにいたのは、腕が赤黒く変色し、レクスの方へと魔法を放とうとしているフェリシアだった。


――そこにいるのは……


――ニコラ……お前なのか……?


 落ちていく木々と火に包まれている中、身体を急速に再生させる怪物。

 エルズペスの騎士、セルジオ――以前はそう呼ばれていたが、今は最早何者でもない怪物が、レクスを見据えていた。


「レクス……駄目……! 逃げて……!!!」

 

「フェリシアァァ!!」


 レクスは剣を構え、変色したフェリシアの腕と杖を切り飛ばす。

 恐らくこれで彼女も自由になる、そうレクスは思っていた。

 しかし彼の願いは、最も凄惨な形で裏切られる事になる。

 次の瞬間、彼女の頭は、触手に持ち上げられ、骨が砕ける音と共にレクスの前で潰された。


「あ、あぁ……!!!!」


「あああああああぁぁぁぁっっっっ!!!! フェリシアアアアアアアアァァァァァ!!!!」


 彼の叫びと願い虚しく、フェリシアの亡骸は怪物に取り込まれた。

 例えどれだけの技能を得ても、彼の精神は唯の青年。

 最も慣れ親しんだ友人の喪失と、目の前の冒涜的な様相の怪物の前には、ただ情けなく逃げ惑うしかなかった。


 運良くレクスはルカサンテの門まで逃げ切り、衛兵に事情を説明する。

 先の爆音から、非常事態である事は察知しており、既に

迎撃体制を整えている様子だった。


「こんなはずじゃ……!!!こんなはずじゃ……!!!」

 

 戦意を喪失していたレクスは家の地下室へと逃げ込み、耳を塞ぎ必死に目を閉じる。

 元を正せば自分はただの企業の正社員、剣聖なんて大層な物は端から不釣り合いだったのだと、自身に言い聞かせていた。


 ――来たぞ!!!


 ――走れ!! 皆走るんだ!!!


 ――なんだ……あれは……!!?


 ――撃て!!ここに奴を近づけさせるな!!


 怒号と悲鳴、そして轟音が、彼が塞ぐ耳の上からでも聞こえてくる。


 ――勢いが止まりません!!!


 ――早く!こっちに避難するんだ!!!


 ――イヤアアアアアアァァァッッッ!!!ママアアァァッッッ!!!!


 怪物が近くまで来たのか、悲鳴はより近くで響き、内臓が飛び散る音と骨が砕ける音までもが聞こえてきた。


「これは夢だ……!これは夢だ……!!起きたら俺は……フェリシアと……!!」


 震える体で、レクスは自分の口を必死に塞ぐ。

 そうしている内に怪物は通り去ったのか、部屋は静寂に包まれた。

 レクスは笑う膝に必死に力を入れ、恐る恐る地下室の扉を開け外に出る。

 瓦礫と煙に包まれ、至る所に残された怪物の痕跡。

 人の気配が消え去った街並みに、見覚えのある腕が見える。


「あれは……母さん……?」


「母さん!今、助けるから!」


 瓦礫から伸びている腕を引っ張る。

 彼が思うよりもそれは、簡単に引っ張り出すことができた。

 勢い余り、彼は尻餅を突く。


「!!!」

 

 目を開けた光景には、何故こうも簡単に引っ張り出す事が出来たのか、その理由が形を持って遺されていた。


「あ……あぁ……」


 本来、人体にはあるはずの二の腕からその先は、存在していなかった。

 墓に埋めるだけの物が残されていたのは、幸か不幸か。

 最早それすら分からないほどに、彼は憔悴した様子で街を彷徨う。


――俺が、何をした。


――ガキの頃から死ぬ程勉強して、いい大学入った後もなりふり構わず勉強して、会社に入ったら十分すぎるほどに働いて、気がついたら死んでいて。


――友達とか、恋愛とか、できなかった事をする為に、自分の為にここで第二の人生を頑張ろうって……!!!



 「う……うぅ……!!」

 

 一瞬にして、全てを失ったレクス。

 彼の目から、大量の涙が滴り落ちていく。

 母の腕を抱き、情け無く鼻水を垂らしながら、レクスは王城へと進む。

 

 たどり着いた先には、首だけとなったラドヴィアヌス王。

 右腕を失い、触手に身体を掴まれた使徒。

 そして地面から生える触手を必死に切る、「第二の人生を生きる剣聖」


 ――神がこのような運命にするなど、あるはずが……!


 そう叫ぶ使徒の身体を、触手がゆっくりと締め上げていく。


 ――アアアアアアアアアアアアアァァァァァァッッッ!!!!

 

 体のあらゆる骨が砕ける苦痛に、使徒は絶叫する。

 搾り取るようにして放り出された血液が、地面に赤黒い血溜まりを作っていた。

 剣聖が、レクスの方を向き叫ぶ。


「おい!お前も手を貸せ!」


 その声は最早彼の耳には届かず、彼はただ茫然と使徒が死にゆく様を眺めていた。

 触手の一本が、剣聖の左足を切り落とす。

 剣を落とし、倒れた剣聖の体に数多の触手が襲いかかる。


「クソ……!クソ……!クソオオオオォォォォ!!!!!!!」


 その声を最後に、剣聖は息絶えた。


「なあ……俺も殺してくれよ……」


「もうここで……生きる意味なんて……」

 

 レクスは、そう言いながら怪物の方へとゆっくり歩み寄る。

 虚な目で怪物を見上げて。

 しかし怪物は彼を一瞥すると、殺意を向ける事なくそのままどこかへ去っていった。


「おい……どこへ……!」

 

 他者に殺してもらう事すら、叶わなかった青年。

 レクスは、短剣を取り自身の首に押し当てる。


「これは夢……きっと死ねば……また目が覚めて……!」


「ははは……あはははハハ……」


 乾いた笑いを上げながら、喉元を切ろうと試みるが上手く失敗に終わる。

 授かった技能と記憶が、レクスが自害する事を拒んでいた。

 

 ――ハハ、ハハハハ、アハハハハハハ!!!!


 ――アハハハハハハハ!!!!!アハハハハハハハハハハハハ!!!!!

 

 正気と自我を失い、レクスは狂気に満ちた笑い声を上げる。

 その目は、流す涙すらとうに枯れていた。

 

 

 

 

 



 

  

 

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贖いの廉施者 @sigure3375

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