伝道の書 一章四節

 サンヴェルクを抜け、ルカサンテに至る国境へ向かう一向。

 長い一日の終わりを知らせるように、日が沈みつつある。

 そして日が西の地の彼方へと飲まれ、入れ替わるように月と星々の光が一同を照らす。

 セルジオは二人を気遣い、野宿を提案する。

 時間がないのは確かだが、この決戦で再び生きて帰れる保証はない。

 かつての戦友に代わり背中を預ける仲だ、生きているうちに親睦を深めるのが吉だろう。

 その考えに二人は快諾し、野宿の準備を進めた。

 セルジオが集めた薪に、ニコラが火を灯す。

 そしてサムエルが敵襲に備え、一帯を見張っている。

 準備を終え、薪の炎が燃え盛る。

 炎は火花を散らし、弾けるような音を立てながら、その勢いを増していく。

 夜の帷と静寂に包まれた中、熱を帯びた炎は薪の上を踊るように揺らめいている。

 古来より人々の心の拠り所となっていたそれは、激闘と喪失の連続であった、セルジオ達の色褪せかけた心を暖かく包み込んだ。

 火を囲むように座り、橙色に照らされた三人。

 静寂を打ち破るように、セルジオが口を開く。

 

「まさかこんな形で再開するとは、思ってもいなかった」


「お前達は、どうやって私を?」


 その問いに、サムエルは答える。


「遠吠えが、聖人橋から声が聞こえてきたんです」


「あの獣は、私達が追っていた獲物でした」


 サムエルの言葉に続けるように、ニコラが口を開く。


「エルズペス領で生き残った、民を喰らう恐ろしい獣」


「あれを放っておけば、間違いなくこの地からエルズペスの民は消え去っていました」


 彼女は顔を揺れる火の方へと向ける。


「私達はあの襲撃から辛うじて生き延び、抗う術を学び戦っていたのですが――」


「戦火は未だ、勢いを増すばかりです」


 その言葉に呼応するように、炎の勢いが強まる。


「……そうか」


「お前達も、苦労していたんだな」


 セルジオは彼らを労うように呟く。

 

「明日は早い、明朝には出発だ」


 そう伝え、三人は眠りについた。

 その晩、セルジオは夢を見る。

 異形の怪物と化した自身が、ルカサンテの民を蹂躙する光景。

 怪物なのは彼らか自分なのか、最早区別もつかない程におびただしい死に包まれる。

 だが突如、セルジオの体が樹のように変化し、全身から枝が生えていく。

 やがてそれは血と肉塊をも飲み込む大樹になり、破壊された世界を再誕させる象徴となる夢であった。


 夢が終わり、セルジオは目を覚ます。

 一面には霧が広がり、数メートル先も見越せないほどに濃く立ち込めている。

 セルジオは辺り一体を見回すも、二人の姿が見つからない。


「ニコラ……サムエル……?」


 二人の名を呼びながら、セルジオは霧の中を進む。

 自身の名前を呼ぶ声だけが響く中、突如セルジオは足を止める。

 彼の眼前に映っていた光景は、目を覆いたくなるほどに衝撃的な物だった。



 二人の身体からは所々から枝が生え、夢で自身がそうなっていたように、彼らの身体は大樹と化していた。

 木の幹には彼らの血が流れ落ち、地面を赤黒く絵あげている。

 辛うじて生きているのか、呻き声のような物が微かに聞こえてくる。


「うぁ……ぁ……」


「せん……せ……にげ……」


 そう呻く大樹の下には、祖国と家族を滅ぼした、使徒を彷彿とさせる格好をした女が佇んでいた。

 女は、自我を失っていく二人の顔を見上げ、つぶやいた。


「可哀想に、聖遺物の真実を何も知らされていないなんて……」


 女はそういいながら、「ニコラだったもの」の頬を撫でる。


「お前は……!」


 ゆっくりと女は振り向き、セルジオに話しかけた。


「お久しぶりです、元気そうで何よりです」


 そう言いながら、不気味な笑みを浮かべる女。

 まるで、最初から全てこうなる事が分かっていたかのように。

 セルジオは剣を握り締め、怒りに満ちた声で静かに問う。


「二人に……何をした……!」


「何をした? これは彼らが自ら望んでなった物なのです」


 女の答えに、セルジオは困惑する。

 そして女は、事の顛末を話しだした。


「この世界で聖遺物と呼ばれる物は、元は辿れば我々の世界から生み出された神の身体の一部」


「それを人が身に宿すのは、自ら人間である事を放棄するような物」


「そしてこの大樹はその末路、貴方も直にそうなる事でしょう」

 

 女がそう言い終わると同時に、セルジオの体に異変が起きる。

 頭が割れるような痛みと、全身から何かが這い出てようとする異物感がセルジオの身に降りかかる。


「うぐ……ぐぁあああ……!!!」


 苦しみ喘ぐセルジオを尻目に、女は話を続ける。


「おや、話をしていたらもう始まったようですね」


「でも、良かったではありませんか」


 そう言い放つ女を、セルジオは睨みつける。


「どういう……事だ……ッッッ!!」


「貴方の祖国が滅んだあの時から、孤児を守る為に娼婦として身を売り、荒れ果てた世界で男の欲望を満たす玩具となり」


「彼女はもう、子を宿せる体ではなくなってしまった」


「いつか出会う理想の相手と、家庭を築き子を授かる事を夢見ていたというのに」


 徐々に樹の部分に浸食され、人としての意識すら失っていくニコラを再び見上げる。


「ですがもう、この姿なら、そんな苦しみから解放されます」


「迫害される事もなく、汚れた欲望に晒される事もない」


「ニコラ、サムエル、そしてセルジオ」


「自然は、全てを受け入れてくれますよ」


 慈しむような笑みを浮かべる女。

 途轍もない憎悪と怒りがセルジオを駆り立てた。

 全ての元凶が、目の前で妄言を吐いているのだから。


「セルジオ様、我々が築く世界をどうかそこで見守ってください」


 そう言って、女はセルジオの前から消え去った。

 暗く醜くなりつつある世界で、心の柱であった教え子すら失ったセルジオ。

 残されたのは、大樹に成り果てた二人と、なりつつある一人。


「ぐぅ……!!!あああ……!! こんな……所で……!!」

 

 徐々に失っていく手足の感覚と、割れるような頭の痛みが蝕む身体に鞭打ち、セルジオは最後の力を振り絞り大樹に身を寄せる。


「はぁっ……!ニコ……ラ……!!!サムエル……!!」

 

 大樹から流れ出る血が、セルジオの身体を伝って流れていく感覚を最後に、意識を失った。




 黒く淀んだ暗闇の中で、セルジオは目覚めた。

 もう死んでしまったのか、そう思いながら彼は起き上がる。

 彼の目の前にあったのは、醜い姿と成り果てた二人の亡骸。

 苦悶と無念の表情に満ちた二人の頬に、セルジオは手を添えた。


「すまない……お前達の未来すら、私は守れなかった」


 セルジオの手が淡く光り、二人の聖遺物を取り込む。

 彼らの血も記憶も全て、セルジオの身体に流れ込んでいく。

 月の様に、渦の様に、そして孵化を待つ卵の様に。

 両者の血が交わり、二人の亡骸は消失する。

 そしてそこに立っていたのは、最早騎士としても――人としての面影も見受けられない怪物。

 怪物は目を開け、ひとりでに囁いた。


 ――ルカサンテは滅ぼす。


 ――それが私の、せめてもの「贖い」だ。

 

 


 

 

 

 

 

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