詩篇、二十三篇四節

「なんて事だ……我らが聖地サンヴェルクが……」


「サンヴェルクが……火に包まれている……!」


 けたたましい獣の遠吠えと人々の悲鳴、そして血飛沫と引き裂かれた人間が壁に飛び散る音が交差する。

 その中心には、生ある者を食い尽くす、微かな騎士の面影を見せる獣の姿があった。

 飽くなき飢えに苦しみ喘ぐ獣は、かつての戦友との再開を夢見て吠える。

 悲哀を宿した遠吠えが遥か遠くまで響き渡り、その声はセルジオの耳まで届いた。


「今のは……!」


「サンヴェルクの方からです! 急ぎましょう!」


 サムエルの呼びかけに応じ、駆け足でサンヴェルクの方へ向かう。

 そこでセルジオが見たのは、凄惨な光景だった。

 過去に訪れた、村人は惨殺され少女一人がとり残された村。

 それとは比較にならない程におびただしい死が蔓延していた。

 門から逃げ出した一人がセルジオに話しかける。


「お前達も早く逃げるんだ! 醜い獣が……恐ろしい獣が暴れているんだ!」


 相当錯乱している、明らかに理解の範疇を超えた生物なのだろう。

 言動を見るに熊か猪が入り込んで暴れているというわけでもなさそうだ。


「ありがとう、私達は大丈夫です」


後ろを振り返り、セルジオは二人に指示をする。


「サムエル! 逃げ遅れた者の保護を! ニコラ! 怪我人の治療を!」


「私は獣を抑える! なるべく離れすぎないように!」


「分かりました!」


「何やってるんだ! こんな状況で中に入ったらもう二度と生きて帰ってこれないぞ!」

 

 そう叫ぶ声を背にセルジオ達は炎と煙に包まれたサンヴェルクへと消えていく。


「……もとより、私はもう生きていない」


「そして、帰るべき場所も」





 大広場に向かうとそこには、亡骸の臓物を食らう獣がいた。

 粘着質な音を立てながら、裂けた腹から肉を食いちぎっている。

 猛獣というよりは、元々人だった物を無理やり獣に捻じ曲げたような姿だ

 その証拠に背中には本人と思しき剣を背負い、頭には色褪せた金の頭髪を生やしている。

 肥大化した胸を押さえつけるように纏った黒の甲冑には

見覚えのある紋章が描かれていた。

 エルズペスの紋章だ。

 エルズペスへの襲撃で生き残った騎士はいない筈だ、唯一死んだ所を目撃していないのは退路を守ったウィスレイのみ。

 最悪の予感が脳裏をよぎる、人違いであって欲しいと願いつつセルジオはかつての戦友の名を呼んだ。


「ウィスレイ……?」


 その声を聞き、獣は臓物を食い千切る動きを止める。

 そしてゆっくりと向けた顔を見て、セルジオの儚い願いは打ち砕かれた。

 間違えようがない、あれはウィスレイだ。

 かつて戦場を共にし、背中を預けてきた同胞が、今や血肉を喰らう悍ましい異形へと変貌している。

 最早剣を握る知能も、教義に誓った騎士としての誇りもとうに忘れ去ったのか、セルジオの事を新たな餌としか認識していないようだ。

 恐らくサンヴェルクに残された聖遺物の真実を葬る為に向けられたのだろう。

 獣は顔をあげ、人とも獣ともつかぬ恐ろしい金切り声を上げる。

 セルジオは剣を構える。

 そして獣は人の手を無理やり捻じ曲げたような前脚を大きく振り上げ、セルジオに向けて振り下ろした。

 獣の右前脚が振り下ろした質量の一撃をセルジオはバックステップでかわす。

 周囲に砂埃が舞う、そしてその煙幕を振り払うような一閃が獣めがけて放たれる。

 一撃は肩の甲冑を砕いたが、肉を切るまでには至らなかった。

 獣が反撃に出る。

 踏み込み、左前脚で薙ぎ払う一撃をセルジオは瞬時に低く屈めてかわし、そのまま左手に形成した短剣で獣の首の付け根に突き刺した。

 獣は鮮血を吹き出しながら暴れ回り、セルジオを吹き飛ばす。

 致命傷になったかと思われたが、獣の傷口はすぐに塞がった。

 だがその様子を見るに確実に失血した分のダメージは受けている。

 セルジオは再び剣を手に取り、そして構えた。

 すると獣は、より大きく醜い金切り声を上げ、上半身を持ち上げる。

 人間のように立ち上がった獣はセルジオめがけて突進し、怒りに身を任せ腕を振り回した。

 怒涛の攻撃をセルジオは捌ききれず、獣の一撃を喰らってしまう。

 一撃は甲冑を容易く切り裂き、セルジオに膝を着かせた。


「ぐぅ……! なんて一撃だ…………!」


 一発一発が致命傷になりうる程の破壊力に加え、驚異的な回復能力。

 このままいけば敗北は間違いない、セルジオは確信する。

 サムエルとニコラの救助もまだ時間がかかる、ならば賭けに出るしかない。

 そう考えたセルジオは、かつて騎士として誓った言葉を叫んだ。


「回心足りて! 我ら有り!」


 獣の動きが止まる。


「教義によって導かれ! 鋼によって鍛えられ! 義によって集った! 我ら列聖を志す者也!」


 かつての誓いを思い出したのか、獣は頭を抱え振り回す。


「グゥオオオオォォォォ……!」


「たとえ私が死の影の谷を歩もうとも! 災いを恐れない! あなたが私と共にいるからだ!」


「お前の好きだった言葉だ! 思い出せ! ウィスレイ!」


 呼吸が乱れた獣から、戦友の名を呼ぶ声が聞こえる。


「セル……ジオ……」


 微かに正気を取り戻したようだが、すぐさま苦しむような雄叫びを上げる。

 未だ操られているからか、醜い獣に成り果てた姿で再会した心苦しさからか。


「セル……! ジオ……! オレ……を……! とめ……て……くれ……!」


 辛うじて残された騎士としての意識を紡ぐようにウィスレイは言い放つ。

 騎士だった頃の記憶を頼りに、ウィスレイは剣を握り構えを取る。

 

「先生! その傷では無茶です!」


 ニコラとサムエルが駆けつける、避難は無事終わった様子だ。


「ニコラ! これは私の償いだ!」


「私の為に、ウィスレイは犠牲となった!」


「ならば私が、介錯せねばならない!」

 

 炎が風に煽られ、勢いが強くなっていく。

 そして炎はセルジオと獣を取り囲むように包みこんだ。


「ダメだ! とても中に入れない!」


「先生! 逃げて!」


「お前達は先に出るんだ! 後から合流する!」


 呼び止めるニコラをサムエルが引っ張りようにして二人は脱出する。

 

「……ウィスレイ、お前を置き去りにしてすまなかった」

 

 左手の聖遺物が光を放つ。


「すぐに、終わらせる」

 

 剣を両手で握りしめる。

 すると白い光がセルジオを包み、剣が光の刃と化した。


「セル……ジオオオオオオォォォ!!!!」


 再び正気を失ったようだ。

 人が作り出した剣技に、獣の膂力を乗せた一撃をウィスレイは繰り出す。

 セルジオは剣で受け止め、劈くような金属音が鳴り響いた。

 幾度もの苦難を乗り越えてきた剣越しに見つめ合う二人の瞳には、形は違えど強い哀しみを宿らせている。

 獣の膂力を上回る力でセルジオはウィスレイの剣を弾くと、返す刀で歪んだ甲冑に刃を振り下ろす。


「グゥオアアアァァァ!!!」


 斬られた箇所が白い輝きを放っている、傷が修復されている様子はない。

 ウィスレイは剣を持っていない手で胸を抑えている。

 内臓が内から焼かれるような、味わったことのない痛みに苦悶の声を上げていた。

 すかさず横一文字にセルジオは薙ぎ払う。

 その一閃はウィスレイの両腕を剣ごと切断し、ウィスレイは崩れ落ちる。

 そして崩れ落ちる勢いに向かうように、首元めがけて切り払う。

 ウィスレイの身体は白い光を放ちながら消失し、彼の首だけが地面に落とされた。






 セルジオは切り落としたウィスレイの首まで駆け寄る。

 首は切断面から少しずつ塵と化しているが、意識はまだあるようだ。


「セルジオ……やってくれたんだな……」


「お前に……言い残す事がある……聖遺物の力の事だ……」


 獣の時とはうってかわって、穏やかな口調で語りかける。

 

「あれは……他者の力も取り込む事ができる……無論、俺の物もだ……」


「俺の力を託す……」


「その力は、獣の如き脚力を発揮する……まずはそれででここを出るんだ……!」


 酸素と水分を奪い尽くす炎の中、戦友の首に涙が滴り落ちる。


「ウィスレイ……ッ!」


「お前の、犠牲は……ッ!!絶対に……無駄にしない……!」


 その声を聞き、安堵したかのようにウィスレイは目を閉じる。


「頼んだぞ……セルジオ……」


「お前は……俺の……」


 言葉を終える前に、ウィスレイは完全に塵と化した。

 セルジオは聖遺物に、確かに彼の力が託されたのを感じる。

 そして立ち上がり、聖地の外へ向けて助走をつけて飛翔した。

 炎を軽々と飛び越え、崩れゆく建造物を足場にしながら向かう様は、正しくおとぎ話の人狼そのものであった。






「先生……ッ! 先生……ッッッ!!」


「ニコラ! 大丈夫! まだどこかで生きてるはずだ!」


 聖地から離れた外まで避難した二人。

 泣き崩れるニコラと、それを励ますサムエル。

 しかし炎と煙に包まれていくにつれ、サムエルも比例するように不安の気持ちが強まっていく。

 ふと、その煙の中から山なりに翔ぶ物体をサムエルは見る。

 鳥か何かの見間違いかと思ったが、その飛翔体が二人の元に近づいてくるにつれ正体が露わになっていく。


 ――先生だ!


 常人離れしたセルジオの脚力にサムエルは幾つかの疑問を抱いたが、それよりも生きていてくれた喜びの方が遥かに勝った。

 土埃を上げながら勢いよく着地したセルジオに二人は駆け寄る。


「先生……! 生きていてくれたんですね……!」

 

「ああ、ここで死ぬ事は出来ないからな」


「先生! ご無事で!」


「すまない、二人には心配をかけた」


「友から託された力で、奇跡的に生還できた」


「先を急ごう、目指すはルカサンテだ」

 

 かつて聖地と呼ばれたサンヴェルクは崩落した。

 しかし嘆いてる暇はない、こうしている間にも再誕者は押し寄せてくる。

 自身に都合の良い土地に作り替えるために。

 決して彼らの手に聖なるこの地を渡してはならない。

 そう胸に誓った三人は再び歩みを進める。

 ただ唯一。沈む夕日だけが彼らの行末を見守っていた。





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