第2話/佐倉紫苑は死ぬ



 そこは七海も通う高校の屋上だった、夜風に吹かれて紫苑のゆるくウェーブのかかった髪がたなびく。

 問題なのは屋上の柵の外に立っている事で、まるで今から飛び降りると言わんばかり。

 月夜に照らされた色素が薄めの彼女の肌が、不吉さを表すように鈍く白く光り。


「――佐倉? え、なんだこれ、未来予知ってこんな、え? いったい……ッ!?」


「ムムッ、落ち着けご主人。これはあくまで未来予知だ。但し――これが本来の力を発揮した、という注釈がつくのですぞよ!」


「本来の未来予知だってッ、いやそんな事よりどうして佐倉は――ッ」


 どうして、あんなに寂しそうな顔をしているのか。

 何故、こんなにも悲しそうな顔をしているのか。

 魅力的な大きく丸い目からは、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれて。


「~~ッ、システム!! 何時だ! 何時なんだこれはッ!! どうして佐倉は自殺しようとしてる!!」


 触れられないと分かっていて七海は紫苑に駆け寄る、飛び降りを阻止せんと後ろから抱きしめる。

 もし彼女が虚像ではなく本物であったなら、しっかりと捕まえられていただろう。

 だが彼の腕は虚しく空を切り、苛立ちに顔を歪めて叫んだ。


「ふざけるな!! どうして佐倉が飛び降り自殺なんてしようとしてる!! 答えろシステムッ!!」


「はぁ~~っ、ビークールだぜぇご主人。これは未来予知、まだ起こってない未来だ、そして時刻は今日の夜でまだ時間がある。――未来は変えられる、その為にご主人の未来予知があるんでござーすよ」


「…………ふぅ、はぁ、すまない、取り乱した」


「ほっほう、何よりでんがな。ところでご主人、ひとつ聞きたいのでゲスがよろし??」


「何だよ、答えたら飛び降りの原因を教えてくれるのか?」


「答えなくても続きを見れば分かるっぽい感じですがねご主人、――――佐倉紫苑が美少女で部活の後輩とはいえねぇ、ちょ~~っと熱が入りすぎやしませんこと??」


「………………………………確かに」


 あれ、と七海は小首を傾げた。

 彼女とはシステムの言う通りに部活の先輩後輩でしかなく、仲良く話した記憶もない。

 なのに沸き上がるこの絶望感は、喉を掻きむしりたくなる焦燥感は居ても立ってもいられずに彼を突き動かす。


「――分かんないけど、多分、一目惚れとかそんなんだよ。だって佐倉は綺麗で可愛いし、助ける理由なんてそれでいい」


「おぅおぅ、覚悟ガン決まりってかぁご主人! 熱いねぇ男だねぇ!! でも正直オススメはしないぜぇ……!! このシステムめが見た所、佐倉紫苑に関わる限り命の危険すらあるッ!! なおこれはあくまで個人的な意見で未来予知ではないぞ!!」


「それがどうした、美少女の命を救えるなら…………いや、俺ってそんな性格だったか?」


 不思議な感覚だった、七海の全身が佐倉紫苑を助けろと絶叫しているような気がする。

 彼女とは何もない筈なのに、けれどもこの衝動を裏切ってしまえばこの未来が成立してしまう予感がして。

 イメージの中で何の効果もないのに、息を大きく吸って吐いて気持ちを落ち着ける、その直後だった。


【ごめんね先輩……イチャイチャできないならさ、私が生きている意味なんてきっとないから。――――バイバイ、七海】


 ふら、と風に押されるように彼女の体は傾き、後ろ手で掴んでいた柵から離れ。

 次の瞬間、真っ逆様に頭から地面へと。

 ぐしゃ、熟れたトマトを床に落としてしまったような音と色、白い制服が血に染まって闇に紛れて見えなくなる。


「~~~~っ、う、っぷ、ぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


「ヘビィッ! 大丈夫かご主人! ハードコアでグロテスクだったが、あくまでご主人が何もしなかった場合の未来だぞしかと傷つけ!!」


「ご主人って言うならさぁっ、もうちょっと優しい言葉をかけてよ!! つーか情報量多すぎぃ!! 何だよあの遺言ンンンン!!」


「フフーン? なぁなぁご主人、ホントーに佐倉紫苑と何もなかったワケぇ? システム思うっていうかぁー、これ絶対にぃー、深い関係にあったんじゃないかーみたいなァ?」


「それはないね、だって佐倉とプライベートな話した事ないし。そもそも連絡先知ってたっけってレベルだよ」


 本当にこの未来予知は今夜の光景なのだろうか、万が一、億が一、彼女とそういう関係になった後で何かあった未来のイフではないのか。

 だってそうだ、そうじゃないと彼女の遺言の意味がわからない。

 百歩譲って、本当に今夜の未来予知だったとして。


「…………俺って佐倉からそんなに好感度高かったの?」


「オッフ、自意識過剰っすよご主人、悪いこと言わないからその思考止めとけって。キショって言われて恥かくだけだって」


「そうだよなぁ……でもさ、好感度高くないとあの言葉出てこなくね??」


「ムムゥ、システムはノーコメントを貫きますですぞ! あ、そろそろ現実に戻るから、この瞬間の出来事は現実世界でコンマ以下の時間だから気をつけて!!」


「え、なにそれ便利!?」


 次の瞬間、七海の視界は元に戻り。

 病室の入り口から、おずおすと歩いてくる佐倉紫苑の姿が。

 彼女は濃いブラウンの瞳を不安そうに揺らし、彼の前に来ると俯いて喋らない。


(ううーん? どゆこと?? せめてさ、おはようとかこんにちわとかさ、あるじゃん??)


 七海が困惑する中、紫苑はふりふりと揺れる。

 それに併せて背中の中程まである黒髪の毛先が、制服の上からでも見て分かる細い腰と豊かな臀部が揺れる、揺れて彼の視線を奪う。

 胸に去来するのは青少年として当然である意味で健全なエロス、そして――。


(――――大丈夫、だよな、死なないよな、佐倉はこの後で自殺なんてしないよな?)


 佐倉紫苑という後輩は、いつも明るく賑やかなイメージがあった。

 はきはきと喋り身振り手振りは大きく元気に、喜怒哀楽がころころと移り変わり、男好きする甘えた声を出すのに男とも女とも一定の距離を保つ。

 だが目の前の彼女は、今にも消えてしまいそうな儚さがあって。


(まさか……死ぬ、のか? 本当に、俺とイチャイチャしたいって思いながら??)


 どうしても脳裏に浮かんでしまう、彼女が飛び降りた光景が。

 見るも無惨な姿になってしまった、その瞬間が。


(どうして……なんでッ)


 触れてしまえば壊れてしまいそう、だけで掴まえておかなければ消えてしまいそう。

 七海は衝動的に彼女の細い手首を掴むと、ぐいと引き寄せて強く、強く抱きしめた。


「――――ほぇ? え? っ!? ちょ、ちょっと先輩!?」


「ごめん、ごめん佐倉。今だけは抱きしめさせてくれ、お前が生きてるって俺に実感させてくれッ」


「そ、そんなぁ……ひと、人が見てるから、ね? ね? ――――どうして、先輩、私は……」


「佐倉と恋人でもないのに気持ち悪いって分かってる、けど……不安なんだ、何処かに行ってしまいそうで苦しいんだ」


「ッ!? …………先輩、やっぱり本当に…………」


 心臓の鼓動が重なる錯覚がする程に抱きしめる、ビンタされても仕方がない行動だ。

 けれど紫苑は不思議と拒絶の一つも見せず、やがて濡れたため息を一つ。

 怖々と七海の背中に己の腕を回して、抱きしめ返した。


「もーっ、仕方ないなぁなな、ううん、井馬先輩は。思ったより甘えん坊みたいでちゅね~~っ」


「ごめん、入院してたからかな。思ってたより心が弱ってたみたいだ」


「………………卑怯ですよ先輩、でもいいです、好きなだけ抱きしめてもいいですよ。特別に許しちゃいます!」


「ありがとう…………」


 そのまま五分程、七海は抱きしめ続け。

 ふと気づいた、実は相当に恥ずかしい事をしていないかと。

 彼女が受け入れてくれたのをいいことに、好き放題しているのではないか。


(ど、どどどどどどーーしよコレェ!! え? この後、どうやって佐倉の顔見りゃいいの?? というか離すタイミング何時よ??)


(先輩…………あ゛ーー、先輩先輩先輩っ!! キッツいなぁ、話に聞いてた通りなのにこれなんだもん。ずっるいよぉ……)


(お、落ち着けぇ……! 今すぐ落ち着け!! 今すぐ離して謝る、これだ!!)


(もっと……もっとこーして居たいなぁ……やっぱ落ち着くなぁ先輩の腕の中って)


 彼女の優しい体温に後ろ髪を引かれながら、七海は思い切って体を離す。

 そして今度は手首ではなく、両肩を掴み。

 ならば謝るのだと、真剣な目で意気込んで。


「じゃあ次は十分ほどおっぱいに顔を埋めさせて欲し…………い、いや違うッ!! 違うんだ佐倉!! ごめん! ホント申し訳ない!!」


「あ、いいですよ先輩。はーい、よしよし、この超絶美少女の着痩せする巨乳を堪能してくださーい。ま、でも今日限りですよ? だって私は美少女だけど不幸属性ですもん、明日からまた遠目で見させて貰いますって」


「…………ふがふがふがっ??(どういうコトおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお??)」


『またもコングェラッチレイショオオオオオオン!! おっと、朗報だぞご主人。未来が変わった、佐倉紫苑は今夜は自殺しない』


(え、マジでやった! ……って、これが佐倉の望んでたイチャイチャって事ぉ??)


『フフフ、安心するにはまーだ早いぞよご主人、ビジョンはまだ受信しないが一時的な解決でしかないようだ。――見捨てるなら今ぞ、見捨ててラキスケハーレム作ろうぜぇ!!』


 ラキスケハーレムなど論外だが、一時的な解決というのは聞き捨てならない。

 きっかり十分、彼女の胸の柔らかさを顔面で堪能した七海は。

 赤い顔をして、すぐさま帰ろうとする紫苑を引き留めた。


「ねぇ佐倉、明日も来てよ放課後でいいからさ。暇で暇で仕方ないんだ」


「えっ、でも――」


「よく考えてくれ佐倉、我病人ぞ? 後輩なら先輩のお見舞いに毎日来るべきでは? つーか来てよ、浅ましいお願いだけどさ、佐倉みたいに可愛くて綺麗な子と少しでも一緒に居たいんだ」


 一緒に居て接触が増えれば、もっと仲良くなれば。

 彼女が死ぬ運命を変えられるかもしれない、その理由を知ることが出来るかもしれない。

 そんな必死な気迫が表に出ていたのかもしれない、紫苑は視線を左右に二度三度泳がせると。


「…………わーかーりーまーしーたぁ。そこまで言うならしゃーないです。でも今日みたいなのは今日限りなんで、そこんとこ宜しくですよ?」


「やったぜ!! じゃあまた明日! 待ってるから!」


「はいはい、もう……、早く元気になってくださいね井馬先輩っ」


 機嫌良く去っていく紫苑の後ろ姿に、七海も嬉しそうに笑って見送る。

 この調子で行くならば、今後も上手く運ぶかもしれない。

 そう安堵した時だった、システムは強ばった声で。


『ッ!? そ、そんなこれはッ!! 緊急事態だご主人!!』


(はい!? 何だよまたヤバイ未来が見えたのか!?)


『そうだッ、これはとてつもなくヤバイ……! 明日の佐倉紫苑には気をつけろッ! ヤツは可愛い私服で来るが……不運にもご主人の目の前でラキスケを起こしマッパに近い姿を晒す事になる!! ~~~~っ、なんてアザトく卑しい女なんだ佐倉紫苑!!』


「……………………はい??」


 システムの告げた未来の内容に、七海は思わず変な顔をして首を傾げたのであった。


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