第8話 大団円

「吉野さんは、どういう人だったんですか?」

「彼は、本当にまじめな人でした。だけど、ある日、先輩から、ソープランドに連れていかれて、その時、初めての風俗だったそうなんですが、そのせいで、嵌ってしまったらしいんです。それも彼は真面目だったんだけど、飽きっぽいところがあるということで、相手も毎回変えていたということだったんです。その帰りに、この劇場を見つけて、フラッと入ってくると、私が舞台にいたらしいんです。それで、私のことを好きになってくれて、付き合うようになったんです。その時、彼が言っていたのが、飽きっぽい自分が、ずっと愛し続けあれる女性に初めて出会ったと言ってくれたんです。もちろん、その時には、ソープ通いをしていたのも聞きました。でも、私と付き合うようになって、ばったりと、風俗通いをやめたんです。そして、まわりから見ると私の取り巻きのような感じになったんです。それは彼が言いだしたことで、私に彼氏ができたとかいうことになると、私のファンが減るだろうって、ファンが減らないように、自分が取り巻きのようなふりをするといってくれて、私もそれに甘えていたんですね。その頃に私も彼に対しての罪悪感があって、彼の顔をまともに見ることができなくなった。ここから、私の視線が急に鋭くなったみたいで、逆に彼を苦しめてしまうようになり、別れなければいけないという皮肉な結果になったんです」

 というのだった。

 刑事も、

「なるほど、そういうことか」

 と感じた。

 そして、彼女は、

「私、彼がいうには、どうも、二重人格らしいんです。しかも、ジキルとハイドのようなですね。私の中に二つの人格があって、片方が出ている時は、片方が隠れているというんです。その時に、もう一つ怖いことを言っていたんですが、そのどちらかは、五分前を歩いているというようなことを言うんです。それを聞いて、ビックリしました。こう見えて、私はホラーやオカルトのような話は嫌いなんです。単純に怖がりなんですね。それを彼は平気で私に言った。彼の目からは私が、怖がりだというのは、ウソだという風に見えたんでしょうね。だから、彼の言う言葉を怖がりながら、自分の中で、殻に閉じこもってしまい、もう一人の自分だけが表に出ていることが多くなった。それを彼が見抜いたことで、結局別れることになったのではないかと、私は思うようになったんです」

 というではないか。

 さらに彼女は続ける。

「最近、私のファンの人ができたんですが、その人がとても、殺されたという彼に似ているんです。それが怖くて怖くて仕方がないんですが、私は彼と一緒にいる時の記憶があまりないんですよ。ということは、もう一人の私が出てきて、彼と付き合っているのではないかって考えるです。だからというか、吉野さんが殺されたというのを聞いた時、私はぞっとしてしまったんですよね。今の私の彼になってくれた人も、このままでは殺されてしまうのではないかと考えるからなんです」

 というのだった。

 読者諸君は、この彼女の告白による、新たな彼氏というのが、桜井であるということは分かるであろう。そして桜井は、曲がりなりにも、彼女の元カレが、殺されたことも分かっている。

 少しの間、ショックで休んでいたが、戻ってきた彼女に、自分の気持ちを伝えると、思ってもいなかったOKが出た。

 ただ、この時の桜井は、なぜ自分が明美のことがそんなに気になるのか、自分でも分かっていなかったのだ。

「明美という女、明と暗の部分があるようだ」

 ということは何となく察しがついたのだが、それ以上のことは分からなかった。

 逆に察しがついてしまったせいで、もはやこれ以上先に踏むこむことは自分からはできないと思ったのだ。

 だが、相手から引き込まれてしまうのではないかという危惧はあった。もし相手から引き込まれてしまった場合は、自分から別れを切り出すことになるかも知れないということを、覚悟していたようだった。

 しかも、

「これが、元カレが彼女に対して持っていた感情なのかも知れない」

 と感じたのだった。

 それから2カ月が経ってから急に、刑事は、何となくであるが、この事件の輪郭のようなものが見えた気がした。ただ、この推理というか、妄想は、証明するのが難しい。精神的な何かを動かす力を必要とするのかも知れない。まるで超常現象すら感じさせるものだった。

 だから、これをそのまま捜査本部に持って行っても、

「何をバカなことを言っているんだ。SF小説家ホラー小説の読みすぎじゃないのか?」

 と言われるのが関の山だった。

 しかも、そこで、

「探偵小説の読みすぎ」

 と言われなかったことからも、その妄想が事実であったとすれば、証明するのが難しいといえるだろう。

 もし正しいとすれば、犯人を罪に問うことができるというのだろうか?

 このあたりも難しいところである。

 ただ、これを正しいと考えれば、密室の謎も謎ではなくなるのだ。刑事は、少しずつ推理を組み立ててみることにした。

 まず、この事件の犯人は、桜井だ。これをいうと、

「桜井という男は、明美と知り合ったのは、被害者が殺されてからではないか?」

 と言われることだろう。

 そのあたりの捜査はすでに裏付けも取られている。そして、実際に桜井を怪しいという意見も最初の頃にはあった。しかし、明美の、

「私が桜井さんと知り合ったのは、吉野さんが殺されたから後のことなのよ」

 ということを聞くと、捜査から外されてしまった。

 だが、実際に桜井が明美のことを意識し始めたのは、そのずっと前のことであり、ただ、桜井は明美に告白のできていなかった時だった。

 それを刑事は、

「桜井という男は明美の、もう一つの部分が表に出てくるのを待って居なのではないだろうか?」

 と思ったのだ。

 そして、桜井に告白されてからの明美は、桜井の好きなタイプの女性だけが桜井の前では表に出ていた。彼女が表に出ることはなかったのかということであったが、実際には出ていたように刑事は感じたのだ。

 しかも、刑事はさらに発展形の考え方を持っていた。

「桜井という男は、明美と同様、もう一人の自分を抱えて生きているのではないか?」

 というのであった。

 さらに刑事は、これは誰にも言っていないが、

「自分の中にもう一人の自分を抱えているのは、皆ではないか? 表に出てきていないだけで、出てくるとすれば、夢の中で、怖い夢として出てくるだけなのかも知れない」

 とまで考えていたのだ。

 ホテルに最初入った時、その防犯カメラに映っていた人物は、桜井だった。そして、どう言いくるめたのか分からないが、最初から入る部屋を吉野に教えておいて、桜井がタッチパネルを押して、桜井が中に入る寸前に、吉野が先にはいり、扉が閉まるまでに桜井が入ってしまえば、入ることは可能だ、ちょうどそこの部屋は、防犯カメラの死角になっていることは調査済みで、二人の共同謀議であれば、入る時の問題はないというものだ。

 そして出る時だが、殺されたのは、吉野であり、桜井は出口付近に潜んでいた。清掃員は、部屋の中から臭ってくる血の臭いに完全に気を奪われていて、出口の注意はおろそかになっている。

 受付でも、まさか人が死んでいるなどと思っていないので、防犯カメラを見ることもなければ、たぶん、清掃員から、何かの報告があるのをただ待っているだけしかなかったのだ。

 それだけに、清掃員と入れ替わりで表に出ても分かりっこない。それが密室のトリックではないかと思ったのだ。

 入る時に、二人の人間が共犯でそれぞれの役割を果たしているとすれば、これくらいのことはいくらでもできるというものだ。防犯カメラに頼りすぎているところが、それこそ盲点だということであろう。

 ただ、こうなると動機なのだが、明美が絡んでいるのは間違いのないことだろう。

 ただ、明美の知らないところで、桜井と吉野が知り合いだったというのは、どういうことなのか?

 たぶん、二人はお互いに、明美のそれぞれを愛していたのではないだろうか? だから、吉野と桜井が明美のことを話したとすれば、

「同じ人間なのか?」

 と思うほどに、あまりにも違う相手を愛していたかのようではないか。

 だから、最初は、桜井が、明美の浮気を疑った。そして、調べているうちに、吉野にぶつかったのだ。

 桜井は、吉野を呼び出した。なぜラブホだったのか。

「密室を作るためだった?」

 と考えれば、これもおかしな気がする。

 それでは最初から殺すつもりだったということか?

 桜井に吉野を殺す動機はない。確かに最初は疑ってみたが、様子を見ると、二人はすでに別れていたからだ。それが、例の明美の視線を感じた時だが、これも偶然だったのだろうか?

 明美の中で、二人の人間が表に出ようとしているそのタイミングは、実にうまくできている。それこそ、潜在意識が超能力というものを作り出しているようで、

「理屈ではないのだ」

 と思わせた。

 ラブホテルを指定したのは、吉野だったのかも知れない。殺されたホテルの部屋には、よく吉野と言っていたという。吉野も、その時、桜井に対して殺意を持っていたのかも知れない。

 お互いにお互いを殺そうとしていることを、相手はまったく知らない中で、奇妙な密談が行われ、二人で部屋に入った。そこでどんな話が行われたのか分からないが、最終的に明美のことを強く感じた方が、躊躇がなかったということで、それが、桜井だったのだろう。

 ホテルの部屋から脱出して桜井は、我に返ったことだろう。

 しかし、その時の桜井は、自分があの部屋に入ったことも、吉野を殺したということも忘れてしまっていた。

 なぜなら。桜井が吉野を殺した時、吉野を恨んでいるもう一人の自分も死んでしまったのだ。

 そう、ひょっとすると、

「二人は、相手を殺そうという気持ちではなく、二人で心中しようと思っていたのかも知れない」

 と感じた。

 ただ、一瞬、明美を独り占めにしたいと強く感じた、桜井の中のもう一人の自分が、吉野を殺すことで、自分も、桜井の中で、完全に埋没して、死んだことになろうと思ったに違いない。

「相手を殺してしまうと、もう、明美には会えないだろう」

 と、それこそ、

「どの面下げて遭えばいいというのか?」

 ということになるのだが、その時には、そんな状況判断もできないでいたのだ。

 ひょっとすると、吉野を刺殺した時、桜井も一緒に意識を失ったのかも知れない。電話が入ったことで気が付いて、我に返った桜井は、どうすればいいか、必死に考えた。その時、

「もし、こんな時吉野だったら、どうするだろう?」

 と、殺した相手に、助けを求めるなどという常軌を逸した考えが芽生えたのは、

「死んだ吉野も、もう一人の自分の存在に気づいていて、悩んで嫌のではないか?」

 と感じたからだった。

 動機もハッキリしない。桜井の指紋もなぜか出てこない。すべての場所を拭き取っているのであれば、分からなくもないが、指紋に関しては、吉野の指紋だけが残っているだけだったのだ。

 手袋をしていたわけでもない。指紋が出てこない以上。物的証拠はないに等しい。桜井を逮捕することはできなかった。

 このままいけば、この事件は迷宮入りとなるだろう。

 犯人が分かっているのに、その先に大きな結界があって、手が届かない。証拠も何もなく、

「限りなく犯人に近い」

 というだけだった。

 桜井は自首してこようともしない。何しろ彼自身では、意識が殺したという記憶を持っていないからだ。

「いつかは、桜井の中で、自首しようという意識は芽生えるのだろうか?」

 と考えたが、

「もし芽生えるとすれば、明美がその扉を開くしかないのだろう。

 そんなことを考えていると、その肝心の明美は、何と今度は他の男と付き合い始めたというではないか。

「こりゃあ、もう迷宮入りするしかないかな?」

 と思っていた矢先のことだった。

「桜井という男が殺されました」

 という情報が入ってきたではないか。

 何と、その場所というのは、ラブホテルだという。もっとも、吉野が殺されたホテルとは違うホテルであった。

 犯人は誰か分からない。今回も密室の中での出来事であり、吉野と同じように、背中から刺されて、ベッドの上にうつ伏せになって倒れていたというのだった。

 捜査を始めた警察であったが、捜査は完全に難航した。なぜなら、事件のカギを握ると思われた、明美というストリッパーが、発狂してしまったことで、病院に担ぎ込まれたということだったからである……。


                 (  完  )

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二重人格の螺旋連鎖 森本 晃次 @kakku

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