第6話 八十邑力也

理世りせよ。冷静になれ。お前の母親があの家に居ったかどうかはわからないし、確かめようがない。一旦ここを離れて、安全な場所に避難するんじゃ』


理世は、白兎神はくとしんめるのも聞かずに、全速で走り、妖樹ようじゅの動く枝を掻い潜って、家のドアを開けた。


鍵を開けたがドアチェーンがかかっており、お母さんが中にいたことを暗示していた。


女の二人暮らし。

防犯面には気を付けていて、どちらかが在宅中にはこうしてチェーンをかけておく決まりになっていたのだ。


帰宅前にはメールを入れたり、インターホンを鳴らして開けてもらうことになっていた。


理世は力尽くでチェーンが付いたドアをこじ開け、中に入ったが、そこはすでに妖樹の異様に発達した根が廊下と玄関にまで伸びており、中に入るのが一瞬ためらわれた。


「お母さん、 いたら返事して!」


「……り、……せ」


理世の必死の叫びに、応える声が確かにあった。


小さく、消え入りそうな声ではあったが、確かにお母さんの声だった。


すんじゃ、理世。いくんじゃない!』


白兎神の制止する声に耳を塞ぎ、リビングのドアを開けた。


そこにあったのは、妖樹の太い幹に当たる部分であり、そこに埋め込まれたような母親の顔と左手だった。


皮膚が少し樹皮のような色合いになっていたが、紛れも無く、母だ。


「……キュ……ゥン」


妖樹の幹に取り込まれていたのは母だけではなかった。


愛犬のモチタロウ、それと郵便局の配達の人、そして隣の家のおばあちゃん。


「お母さん!モチタロウ!」


『駄目じゃ、理世。もう、妖樹とほとんど同化してしまっておる。ああなっては、もう救えない。生きたまま養分を吸われ、やがて妖樹の一部となる』


「そんな……」


『残念じゃが、あきらめるほかはない。理世、ここにいては儂らも危険じゃ。奴は今、空腹状態ではないからまだ大人しい方じゃがそのうち飢えてまた人を襲いだす』


「嫌だよ。お母さんとモチタロウを置いてはいけない。それに隣のおばあちゃんと配達の人もまだ生きてる。白兎はくと様、どうにかならないの? お願い、神様なんでしょ。みんなを助けてください。お願いします」


『理世、儂を困らせんでくれ。他ならぬお前の家族じゃ。儂も助けたい。だが、儂とて万能ではないんじゃ』


目の前が真っ暗になった気がした。


お母さんが死んじゃう。

あんなに元気だったお母さんが……。

まだ何の親孝行もしてないよ、私。


「嫌だよ、私、こんなの嫌だよぉ」


涙があふれて止まらない。


せっかくデート用にバッチリ決めたメイクが台無しだ。



不意に大きな衝突音と地響きが起こって、妖樹がぐらつき、身悶えした。


頭上、それも外の方から聞こえた。


のたうつ根を避け、慌てて建物の外に出るとそこには、こんな時にあまり会いたくはない人物の姿があった。


「よう、理世。無事だったんだな」


八十邑力也やそむら りきや、私の幼馴染だ。


いじめっ子で、粗野で、乱暴者。


子供の頃は一緒に遊んだりしていた時期もあったけど、周りに対する態度がきつすぎて、私は苦手だった。


小学校、中学校とずっと一緒だったけど、クラスカーストの一番上にいて、他の生徒をあごで使ったり、弄ったりする彼が嫌で、少しずつ距離を置くようにしていた。


八十邑くんは、私に対してはそんなでもないけど、クラスの何人かや転校してきた葦原くんを目の敵にしていて、取り巻きたちと一緒になって陰湿ないじめを仕掛けたり、陰で暴力を振るったりもしていた。


それを止めようとして、この八十邑くんとは何度か対立したし、それが原因となって、家が近所だったにもかかわらず疎遠になっていた。


「そんなに嫌そうな顔するなよ。心配して来てやったんだぜ。でもお前が、妖樹にやられちまったんじゃないかと思ってさ。仇討ちとばかりに一発かましてやったんだが、危うくお前まで巻き込んじまうところだった。あぶねぇ~」


振り返って見ると、妖樹の、屋根から飛び出していた部分が途中で折れ、屋根にもたれかかっている。


「八十邑くん! あの木にお母さんが、捕まっているの。幹に顔が埋まって。でもまだ生きているの。お願い、助けて。お母さんたちを……」


「ああ、おばさん、妖樹に喰われちゃったんだ。おい、武彦、乙彦。助けられんのか?」


八十邑くんは、独り言のように何もない空間に話しかけた。


「悪いな、理世。無理だってよ。まあ、俺の近所でのさばらせとくのもあぶねえから、あいつは処分するぜ。悪く思うなよな。八十神やそがみたちよ、力を貸せ。八十破邪連弾やそはじゃれんだん!」


「待って、八十邑くん。お願い、やめて!」


理世の願いもむなしく、八十邑くんが掌を向けた先にあった妖樹は、建物の四分の一ほど巻き込んで、粉々に砕け散った。


八十邑くんの掌から放たれたおびただしい数の小さな光弾がマシンガンによる銃撃の一斉放火のように妖樹を襲ったのだ。


「ぐっ……、なんだあ?破邪掌はじゃしょうと違って、これ一発でくたくたになっちまうじゃねえか。でもすげえ威力だ。人間に向かって撃ったら、骨も残らねえぞ、きっと……」


八十邑くん、いや……八十邑はその場で膝に手をつき、苦しそうな顔をした。


「おかあさん……」


家屋が吹き飛び、残された妖樹の切り株は赤い血に濡れ、ピクリとも動かなくなっていた。


理世はその場に崩れ落ち、切り株の前で嗚咽した。


「家、無くなっちまったな。でも、まあ心配すんな。俺、すげえ力を手に入れたしよぉ。そうだな……、俺がお前を守ってやるよ。俺の家に住ませてやる」


八十邑は頬を人差し指で掻き、そんな理世の背に向かってそう言い捨てた。



その言葉を聞いた私は、一瞬で頭に血がのぼって、何も考えられなくなってしまっていた。

そして勢いよく立上り、振り向きざまに八十邑の頬を叩いてしまった。


スナップを利かせて、思いっきり。


「へっ? あれ?」


しまった。

私の力って、白兎様の影響ですごく強くなっていたんだった。


先ほどの派手な術で疲労していたためか、私のビンタで脳震盪を起こしてしまったのか、八十邑は間が抜けたような声を漏らすと、白目を剥き、その場に倒れ込んでしまった。








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