死生之徒《弍》
——死生之徒 《弍》
七月上旬、夏真っ只中、所謂真夏。
向かい岸が霞む程に幅の広い川、それに沿う土手。そこを歩くは私は、
「……全然暑くないや」
そんな、季節としても、今日の、不快晴なんていう造語の実在を疑う程の天気からしても、周囲を行き交う人々の様相(氾濫河川の如く汗を流したり、発汗機能を故障させていたり)からしても、違和感でしかない事を呟く。
これについては私も違和感を覚えているのだ。私は元来暑がりで、例えば冬に
となれば夏は地獄だ。
夏は灼熱地獄であり、憎き湿気を水とするなら地獄釜である。
だからこそ、私は誰よりも不思議に思う。
人一倍暑さというものを嫌悪する私だからこそ、一切の熱を感じない現状に恐怖すら感じる。それが好きでなくとも、自身にとっての常識、普段の感覚を失うのはやはり怖い。
そういえば、失うだけではなかった。
つまり得る物があった。
それは寒さ——とまでは行かないが、涼しさだ。肌寒くはないけれど、なんだか身体の内側が冷水で満たされているかの様に感じる。さながら自らが水そのものと化したかの如く、である。
等価交換というよりわらしべ長者、
暑さを嫌う私にとってはすっぽんが月になって恩返しにでも来たかの様な感覚であった。
「うん、これはいつも通りだね」
私は時折、面白みもなく、且つ珍味でもなければ意味も伝わりにくい、シンプルに下手な比喩……と呼べるかさえ不明な文字の羅列を呟く事がある。それは暑さで脳が疲弊してしまっているが為の事だと思っていたのだが、どうやら、そもそもの性質らしかった。
暑がりであるのと同じく私の個性、しかし暑がりでなくなったのとは違い消えやしない。まあ、結局は勉学に対する己の怠惰、又自身の語彙という語彙さえ知らぬ語彙から目を背け、
資性。生まれ——死にゆくまで、死生に囚われている限りは逃れられぬ決まり事。
と、
そんな無意味では無いにしても無意義ではある思考で遊んでいる内に、私は到着した。
開廊高校、私が学生の肩書きを持って属する所。私はそこに着くと、校門にて、風紀委員による服装や持ち物のチェックが行われている横を通過する。
チェックは受けず、素通りする。
風紀委員の彼と彼女も、私なんて、まるで居ない風にして気にせず他の生徒の鞄を漁る。
背後から命乞いでもするかの様な喚き声が聞こえてきたが、どうやらスリーディーエスを発掘されたらしい(おそらく歩くだけ増えるコインを稼ごうとしたのだろう。2023年になって尚、その愚行をしている人が居て、私はなんだか嬉しくなる)。
「ま、私がどう思おうと、何をしようと、没収の事実は変わらないんだけどさ」
それは他人事だからとか、風紀委員が取り上げるのなら取り上げられるしかないのだとか、そういう意味じゃあない。シンプルに、私の行動は一切の意味を成さないというだけである。
私が風紀委員の彼の肩を触れようと、その事実は事象に成りえない。
彼の肩が触れられた、という事象が起ころうと、
彼の肩に私が触れた、という事象は起こらないのだ。
「ガラガラガラガラ!」
口に出して、私は私が私の教室に来たという事を強調する。けれど、やはり誰も反応しない。
私はそのまま、今度は黙って扉を閉め、自分の席に腰掛ける。
それから特に何かをしたり、誰か、友達と言葉を感じたりなんかもせず、ただ教師が来るのを待つ。
そして、やって来た教師(彼が来る際の扉の音には、クラス全員反応した)は、教壇に立ちクラスメートを座らせ、出席を取る。
彼は一番から三十五番まで、一度も噛まずに読み上げて見せた。
が、
たった一つ呼ばれていない番号がある。
それは私の番号だ。二十三番、
別に教師が呼び忘れた訳じゃない。
決して教師を含めたイジメがあるという訳でもない。
私は、生きとし生ける人々から認識されてなくなっている。私という人間は、世界の中から失われている。
だからチェックを受けずに済んだ。
だから戸を開こうと誰も気付かない。
だから教師は私を呼ばない。
だから、私は諦めのため息をつき、
「もう来なくていーや。飽き呆れて諦めるよ」
捨て台詞みたく言って、教室を後にする。
その際、私は勢い良く扉を開き、そして閉じてみたが、扉が独りでにに動作した事に驚くだけで、誰一人として、独りの私を見やしない。
彼らにとって、そこに人は居なかった。
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