第3話 少女の決断


車は大通りへと出たが、渋滞に引っかかり、進みは遅くなっている。先ほどから少し進んでは止まり、また進んでは…という繰り返しだ。あと2つほど信号を過ぎ、左へ曲がれば家へはすぐだというのに。


「まいったなこれは。どこまで続いてるんだ?」


父がため息をつく。

私も気になり、窓を開け、歩道側から渋滞の先頭をうかがってみる。


「…先頭が見えないよ。すごい遠いね」


「この先なんて病院があるだけだぞ?何しに集まってるんだ、まったく…」


父はまた、大きなため息をつく。

振り向くと、助手席のダッシュボードから小さなリモコンを取り出し、私に手渡した。


「こりゃ長いぞ、テレビでも見て暇をつぶしててくれ」


「ほんと?やったぁ!」


エレナの顔がぱあっと明るくなる。

前部と後部座席の間、天井からぶら下がるようにして小型の車内用テレビが据え付けられているが、彼女は乗り物酔いしやすいのに毎度テレビを見ては「酔った」と言うものだから、移動中のテレビは禁止。リモコンは後部座席から没収されてしまった。

電源ボタンはエレナの身長ではシートベルトを付けたまま押すことのできない位置にあるので、リモコンを没収するだけでテレビを付けることができなくなる。

電源ボタンを押すと、黒い画面がわずかに続いた後、番組が映った。


「では南部のリントン市、ハイリン市、ミツザ市において起こっている暴動ですが、警察庁の緊急発表によりますと―」


映っていたのは首都からのニュース番組だ。

この時間帯ならあのアニメをやっているはずなので、リモコンを操作してチャンネルを変え続ける。


「政府では事態を正しく把握しており、国家緊急事態対策室と連携して対処に当たっています。国民の皆様におかれましては、行政の指示に従い―」


次は国営放送。首相が記者会見を行っていた。


「こちらハイリン市立図書館前です!あちらでは保安機動隊が隊列を組み、暴徒を止めようとしています!」


「現在、リントン市内においては、暴動が多数発生し、危険な状態です。市民の皆さんは速やかに帰宅し、自宅での待機をお願い致します。この放送は自動で繰り返されます」


「さあ行きますよ、ご覧あれ!……ほらほらほら、こんなにスーっと切れちゃうんです!」


県のローカル番組、市の自動放送、通販…次々とチャンネルを変えていくと、やっと実写ではなくアニメ調の画面が映った。

このテレビ局は、めったに放送スケジュールを変えないことで有名な局だ。他がニュース番組をやっている中、予定通り放送しているか不安だったが、杞憂だったようだ。


「ふざけんなよ!お前、まだこの程度じゃ終わらないって言ってただろ!?」


「…うるさいわね、もういいでしょ。とにかく私はもう引退するって決めたの」


画面の中で、ショートカットの女主人公がツインテールのライバルに食って掛かっている。このアニメはレースの世界に生きる女の子たちを描いた作品で、妹が見ているのを私も見るうちにすっかりハマってしまった。

前回は、ライバルが大一番のレースで主人公に勝利。主人公はリベンジを誓う一方で、ライバルにレースにおいて致命的な病気があることが発覚。やむなくライバルは引退を決断する…という、非常にショッキングな展開で幕を閉じた。次回を待つ1週間の間は気が気でなく、この後どのような展開になるのか…画面を見ていると、リモコンを握り締める手にじっと手汗が沸いてくる。


「おい待てよ!……俺、お前に伝えなきゃならないことがあるんだ」


後ろを向けて去ろうとしていたライバルが立ち止まり、振り返ったタイミングで―

突如として番組が切り替わった。


「番組の途中ですが臨時ニュースをお伝えします。政府より、シントウ県全域に非常事態宣言が発令されました。住民の皆さんは各自治体からの要請に従い、冷静に行動を―」


「ああーっ!」


エレナが叫んだ。


「いいところだったのにー!!」


がっくりと肩を落とすエレナを、頭を撫でて慰める。


この局までニュースに切り替えるとは、その暴動は思っていたよりかなり大きいもののようだ。

しかし、どの番組でも現場の状況がはっきりと映っていない。特にその暴徒というのを見ていない。SNSなら何か映像が上がっているかも、と思い、カバンからスマホを取り出していると、不意に窓ガラスが叩かれた。

窓の外、叩いているのはバイクに乗り、胸元から上は黒、下は黄という配色のジャンパーとフルフェイスヘルメットを着けた男の人。その人には見覚えがあった。いとこのダグナンさんだ。

すぐに窓を開ける。ある程度まで開いたところで、ダグナンさんが口を開いた。


「久しぶり、ミカちゃん、エレナちゃん!叔父さんもお久しぶりです」


ダグナンさんはバイザーを上げたまま、軽く会釈をする。


「久しぶり、ダグナンおじちゃん!」


「ははは、エレナちゃんからしたら、34はもうおじちゃんか…」


彼は苦笑いした。私から見れば、年齢にしては精悍な顔立ちで若く見える方だけど…


「ダグナン、軍の方は大丈夫なのか?出動命令とかは?」


父が運転席から身を乗り出して尋ねる。ダグナンさんはすぐに真面目な顔に戻った。


「それが何も。基地も電話が混線してて…今から向かって確かめるつもりです」


「わかった。気を付けてな」


彼はそう言うと、バイザーを下げ、正面を向いた。

アクセルを吹かしたエンジンのけたたましい音とともにバイクは加速し、あっという間に車列の中へとシルエットが消えていった。




ついに車列は完全に動かなくなった。


「…これはダメだな。仕方ない…」


父はそうつぶやくと、左のウィンカーを出し、ハンドルを切り始める。

車の左には家に挟まれたとても小さな路地があった。小さい車ならやっと通れるような道で、大型車進入禁止の標識が掲げられている。


幸い、路地の見える範囲には車の一台もなかったので、通ることはできそうだ。

進入は問題なし。父は浅くペダルを踏んで、ゆっくりと路地を進んでいく。



路地の中はかなり入り組んでおり、進むスピードはかなり遅い。それでもさっきの車列の中よりはマシだ。


「ええっと、ここは右に行ったほうがよさそうだな…」


T字路に差し掛かり、左右を見比べた父はそうつぶやいてハンドルを切っていく。

エレナはゆったりとしたペースのため寝てしまっていた。テレビは相変わらずニュースだし、暇なので何か他のことをしていよう、と思い立った時、手にスマホが握られているのに気が付いた。そういえば、さっきSNSを見ようと取り出して、結局見ないままだった。


電源ボタンを押し、パスワードを入れてスマホを開く。画面の左端にある青い鳥のアイコンのアプリをタッチし、起動するまで少し待った。

アプリが開かれると、更新ボタンをタッチして新しい投稿を見る。一番上に来た投稿は動画で、今起こっている暴動を撮影したもののようだ。


動画は自動的に再生される。

開始数秒は、大通りの車道にて行われる暴徒と機動隊の衝突を歩道から撮影しているものだ。

だが、動画中盤…画面中央からやや左側、この映像の撮影者の前で撮影していた人に、急に画面左端から現れた人が飛びかかった。


黄色いシャツにハーフパンツのその人は女性のようだったが、長い髪はボサボサでまともに手入れされておらず、私ならそれで外にはとても出られない。

何をする気か、と動画を見続けて…私は絶句した。


飛びかかられた人は地面に倒れるが、その女性はなんと、その人の顔に自分の顔を被せた。髪で見えないが、頭の位置からして間違いなく口と口が接触している。

撮影者も、周囲の人々もあっけにとられ、状況を眺めることしかできない。


女性は覆いかぶさったまま、一定のペースで体をはねさせる。何かを吐き出そうとしている…

突如、跳ね上がりが止んだ。しばらくして女性は口を離し、ゆっくりと立ち上がる。押し倒された人は仰向けのまま、激しく痙攣して泡を吹いている。

女性が撮影者達の方を向いた瞬間―画面右からヘルメットとベストを着込んだ保安機動隊の人たちが走って現れ、素早く女性を拘束した。

機動隊の一人は撮影者達に向き、あっちへいけ、というジェスチャーで手を大きく、激しく振り、「撮ってるんじゃない!早く下がれ!」と叫ぶ。


そこで動画は終了した。


震える手でスマホの電源ボタンをもう一度押し、画面を消す。左手をスマホを持ったまま膝の上に置き、右手で口を押える。


あれは、あれは間違いなく、私が学校のトイレでリーナにされたことと同じだ。

どういうことなのか。撮影場所には見覚えがあって、あそこは市役所前の通り。学校からはとても離れている。

こんな離れた場所で、同じように異常な行動をとる人が?偶然にしては出来過ぎだろう。


もしかして、今の暴動というのも、このようなことが至る所で起こっているとか?


信じたくない、信じたくない。私は頭を振った。

座席の上に転がっていたリモコンを取り、テレビの電源を落とす。

もう、これは悪夢みたいなものだと思い始めた。いつか覚めるはずだ。

私は背もたれに寄りかかり、目を閉じた。


何も見ないでいよう。そうすれば、やがて終わる。




父が何かを言っている。その声で目が覚めた。


「そこの人、大丈夫か?おーい、おおい」


運転席を見ると、父は窓を開け、誰かへと声を掛けているようだ。

ここからだとその人の顔がよく見えないので、後部座席の中央辺りまで体を傾ける。その途中でエレナの手にふれてしまい、右からは大きなあくびが聞こえた。

少し背伸びをすると、やっとその人の顔が見えた。


白いシャツを着た男性だが―焦点の合わない目、鼻から、口から流される体液。そのような顔を見るのは二度目だった。


「お父さん離れて!」


私が叫ぶとほぼ同時に、男は父に襲い掛かった。

エレナの悲鳴が上がる。父と男は取っ組み合いになり、私は父を助けようと、シートベルトに手を伸ばした瞬間―

エンジンがうなりを上げ、車が急に加速する。慣性で体が座席へと押し付けられる。取っ組み合っている最中、父が誤ってアクセルを踏み込んでしまったのか。


エレナの更なる悲鳴と、止まないエンジンの叫び。車はまだ路地を抜けておらず、こんな狭い場所でスピードを出せば、どうなるかは明らかだった。

フロントガラスにコンクリートの塀と、電柱が迫り、次の瞬間―激しい衝撃が私たちを襲った。



恐る恐る目を開ける。車は完全に停車していた。


「…っ、痛い…」


顔に痛みがある。おそらく、前部座席の背もたれにぶつけてしまったのだろう。触ってみるが出血などはしていない。

エレナは大丈夫だろうか。シートベルトを外して近づき、あちこちを見てみるが、ケガなどはしていなさそうだ。しかしショックのせいか気を失っている。

次に運転席を見ると、父は前にうなだれている。


「お父さん?」


呼び掛けても反応がない。肩を叩き、もう一度より大きな声で呼びかけてみると、わずかにうめき声をあげた。

どうやらケガをしているようだ。よく確認するため前部座席の間から身を乗り出して見てみると、父の状況は悲惨だった。


電柱によって運転席全体が押されており、ハンドルなどが父の胸から下を押しつぶしてしまっている。破片が刺さったのか大量に出血もしていて、運転席は血の海だ。

すぐに救急車を呼ばなきゃ。

乗り出していた身を戻し、スマホを探す。衝撃で床に落ちてしまっていたようで、拾い上げて付けるとすぐに「緊急通報」をタッチした。


救急に電話を掛けるが…繋がらない。何度やっても同じだった。

なら消防は?こちらも同じだった。お願いだから出て、と祈りながら、何度目かわからないかけ直しをしていると、何かが燃えるような焦げ臭い匂いがした。

顔を上げると、フロントガラスの向こう、潰れたエンジンルームから白い煙が上がっている。

車内にいたらまずい。急いでドアを開けようとするが、ドアノブをひねり、押しても開かない。

ひねりながら何回もドアを叩くと、徐々に開いていく。十数回ほどでやっとつかえが外れ、大きく開くようになった。

急いで妹のシートベルトを外し、肩を叩いて起こそうとする。


「エレナ、エレナ!起きて!」


強めに叩きながら大声を出すが、起きる様子はない。仕方ない、もたついている暇はないと彼女を抱きかかえ、外に出た。

周囲には誰もいなかった。先ほど父を襲った男は車からかなり遠くに倒れている。

ひとまず安全そうな車から離れた場所まで駆け、妹を下ろした。


「ちょっと待っててね、すぐ戻るよ」


ブロック塀に寄りかからせ、聞こえているかは定かではないが、そう語り掛ける。立ち上がり、次は父を助け出さなくてはならなかった。

エンジンからは遠目からでもはっきりとわかるほどの煙が立ち上っており、その量は増える一方だ。

運転席に駆け寄り、ドアを開けようとする。が、車体がひどくゆがんでいるせいで一向に開かない。


「ミカ…」


何度もドアを引っ張り、なんとか開けようとしていると、父が口を開いた。

だが、私の名前を読んだ次の瞬間、父は激しく吐血した。


「しゃべらないでお父さん!」


父はしばらくせき込んだ後、荒い息のまま続ける。


「ミカ、逃げろ…俺はいい」


「いいって何!?お父さんも逃げなきゃ!」


持つところがドアノブだけでは力が入り切らない。運転席の窓は完全に割れていて、窓枠は握ることが出来そうだ。

割れたガラスがまだ残っていて、握るのに若干躊躇するが…やらなくてはダメだ、と腹を括り、右手を掛けようとした瞬間、握る前に父が手で静止する。

見ると、父は大怪我をしているというのに眉間にしわ一つ寄せず、むしろ微笑みを私に向けていた。


「ここは危ない。俺は置いて、エレナを」


父は私の手を握るが、その力はとても弱かった。


「イヤだよ。お父さんを置いてけない」


「行ってくれ。さあ」


父は手を離した。車の煙は黒く変わり、火の手が上がりだしている。

離れなきゃ危ないというのは分かってる。でも父を見捨てるというのは、あまりに重い選択だった。しかし…


生存本能からか、左足が一歩下がった。

わずかにガソリンの匂いが漂い始めている。時間はない。


もう一歩、右足が下がる。

父はそれでいい、と言うように、目を閉じてゆっくりとうなづいた。


視界がぼやける中、私はもう一歩、もう一歩と下がっていき、ある程度まで行ったところで振り返り、走り出す。そのままエレナに駆け寄った。

彼女はまだ起きない。先ほどと同じように抱きかかえ、立ち上がると車に背を向けて走り出した。


涙があふれ、止まらない。

父との思い出が次々と脳裏によみがえる。

幼い私と生まれたばかりの妹を残し、逝ってしまった母の代わりになろうと色んな事をしてくれた。

嫌なことはたくさんあった。でもそれ以上に楽しかったことがあった。


今すぐうずくまって、大声をあげて泣いてしまいたかった。

それでも足を止めてはいけないと脳が命令を発している。通りにはおかしな動きをする人がちらほらといる。


嗚咽を必死に噛み殺し、涙を流しながら路地を走り抜けていった。

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