第三十話 カエサル


 望んだ結末は得られなかったけれど、望んだ成果は得られた。ぼくにとってはこの結果がすべてで、それ以外のロジックについては語る意味もない。それでも語らざるを得ないのは探偵役としての役割がそうさせるのであって、ぼく自身が好き好んで語りたがっているのではないということはご留意いただきたい――と、行方先生には最初に伝えた。


「その気遣いは痛み入る限りなんだが……まだセッションが終わってもいないのに解決編はいささか勇み足なんじゃないのか?」


 行方先生は教卓に腕を組んで載せた上に上半身を伏せる。随分とリラックスした姿勢だが、その目は興味深げにぼくを俯瞰している。


「他の奴らにはまだ言ってないが、セッションはこの潜伏の後も続く。漣と伊丹の手番も回さにゃならんし、シナリオクリアのフラグは残っている。種明かしはその後でも遅くないと思うが」


 ぼくは首を横に振る。行方先生の言うことに異を唱えるわけではない。セッションが終わってから感想戦で説明するのが他のメンバーに対しての筋だというのも分かる。


 だから、これから話すのはあくまで内部の話――ぼく自身に与えられた役割の話だ。


「今回のセッションはひめりにほぼ掌握されました。もうぼくが何をしたって結末が変わることはないでしょう」


 もっと言えば、亜月が所有するHOを開示しなかった時点で勝勢は完全に覆せない状態まで到達してしまった。亜月を戦犯だと言っているわけではなく、最後の砦がたまたま彼女のかけていた保険だった、というだけのことだ。


「鹿野を高く評価しているんだな」

「あなただって彼女の能力の高さは知るところでしょう」

「それはもう、嫌というほど知ってるよ」


 自慢げに語るかと思いきや、彼は古傷をほじくられたような苦い表情を浮かべていた。


「あいつのことはいい。それよりも君が得るという成果について聞きたい」

「もちろんそのつもりです――」


 ぼくがこのセッションで果たしたい役割は三つあった。


 第一に、復讐を誓うPCとしての役割。第二に、玲生の心を開く仲介者としての役割。そして第三に、秘密を暴く探偵としての役割。


 一つ目の役割を果たすのは容易だ。ターゲットである奉司を何らかの方法で脱落させればいい。おあつらえ向きに凶器のナイフを初期装備として持っていたのは自ら手を下すことも可能という誘導だったのだろうけれど、ぼくはその方法を敢えて避けた。


 結果的に奉司は原因不明の現象によって消失ロストし、その嫌疑は亜月に向かった。もしぼくが凶器による犯行に及んでいれば、疑われていたのはぼくだっただろう。あるいは亜月が主張したように他の犯人がいると罪をなすりつけることも可能だったかもしれない。


 なんにせよ復讐は容易なタスクに見えて実行に移すのは危険な落とし穴だった。ぼくのPCに限らず、大抵のPCにはこういった罠が仕掛けられていたのだと推測できる。


 古文書の解読技能を備えた雄星が理不尽な地雷を踏んだように。


 囮役を担いながら武器の木刀を手放した奉司が、想定を超える襲撃に見舞われたように。


 この盤上せかいの神は賽子さいころを振らない代わり、必然的に訪れる試練で帳尻を合わせようとする。


「『自分の能力を過信しすぎるな』――このセッションにおけるメッセージはそんなところでしょう? 才能があっても使いどころを誤ればないのと同じ。優位性は簡単に逆転する。道具であろうと技能であろうと、冷静な判断力で運用してこそのものだ」

「さあ、どうだろうな」


 行方先生はわざとらしく目を泳がせる。とぼけるのが自分の役割であるかのように。


 二つ目の役割は当初、ぼく自身が玲生と接点を持つことを目標としていた。チームが分かれてそのルートは困難になってしまい、セッションの途中からはサブプランに移行した。それが仲介者として、奉司と玲生の接点を作ることだ。


 ゲームの進行上、何かアクションを起こすごとにPCに危険が及び、場合によっては離脱となる。死人に口なし、以降はシナリオに関する言及を許されず、別室での待機を余儀なくされる――それを逆に利用しようと考えた。


「奉司と玲生だけが消失ロストしている状態になれば、二人は会話できると思いました。小学校以来連絡を取ることもなかった、取り巻く状況も何も変わってしまった二人の溝を埋めるには、こんな即席の接点でもないよりはマシだと」

「それだけお膳立てをしておいて会話が発生しなかったら笑えるな」

「あり得ませんよ。奉司はそんな半端なやつじゃありません」


 家族の前であろうと躊躇なく土下座できる男だ。千載一遇のチャンスを個人的な感情で見逃す真似は絶対にしない。


「だがその案は机上論だろう。数久田のPCはまだ消失していない」

「それも問題ありません。ぼくがこの後殺すので・・・・・・・・・・


 同じ物置に隠れ、ぼくのPCは凶器となるナイフを所有している。条件としては充分だろう。


「所有している道具を本来の標的以外に使ってはいけないなんてルールはありませんよね?」

「ないが、よくそんなことを思いついたな」

「たまたま手札が揃っていただけです」


 雄星から秘匿HOの非開示引用について指摘されていなければ思いつきもしていなかった方法だ。これも運が良かっただけに過ぎず、ぼくの実力じゃない。


 そうだ。ぼくはひめりや雄星のような『本物』には敵わない。彼らの前ではぼくの偽装はすぐに剥がされる。中身のないからっぽの箱だと看破される。


 だから手段なんて選べない。PCとしては非合理的だし、惨たらしい蛮行だと責められるような行いだけれど、自分の望む成果を得るためにはこれが最善なのだ。


「PCとしての逸脱行為にはKPとしても目を瞑る。なんなら今適当な理由をつけても採用するぞ」

「それは公平性に欠けるのでは?」

「プレイヤーの柔軟な発想を認めるのも立派な公平性だよ」


 そう言って行方先生はくつくつと笑った。


「やはり君に探偵役を任せたのは正解だった」

「それこそ気が早いんじゃないですか」


 三つ目の役割――探偵として、皆の秘密を暴くこと。


 そう思っていた。今日の昼休み、行方先生の言葉を聞くまでは。


「何故あなた自身が『間違った若者』を暴かないのか。七人全員を脅迫できるほど素性を調べておきながら、それができないのは不自然だ。だからぼくは、あなたが適当な理由をつけてぼくらを転がして遊んでいると疑いもした」


 神は賽子を振らないが、人を試す。戯れに弄ぶことだってあるだろう。


 最初はその驕った態度を憎いとすら思いもした。


 けれど今は、違う。


あなたがた・・・・・は機会を見ている。修学旅行の居残りという希少なケース、そこに被疑者が残ることまで把握していた。だったらこの先、何が起こるかまで予測できていないはずがない。いったい何が見えているんですか?」

「さあ、なんだと思う?」


 考える。この教室に来るまでずっと、考えてきた。


 これから何が起こるのか。なぜぼくがそれに対応するのか。そもそもなぜTRPG、マーダーミステリーを補習二日目から始めることになったのか。その内容が観光と宿泊、どちらも現実の修学旅行を下敷きにしているのはなぜなのか。それらの締めくくりとなる第三セッションでは、何が主題となり得るのか――


 不意に思い出す。修学旅行に行きそびれた逸れ者共、と行方先生は最初にぼくらをそう呼んだ。各々に事情があり、修学旅行に参加できなかったメンバーだから、その呼称自体は間違いじゃない。それは被疑者も例外ではないはずなのだ。


 そうして、ある仮説がひとつ脳裏に浮かび上がる。


「まさか」


 被疑者を絞り込んだ結果、修学旅行の居残りという状況が生まれたのではなく。


 修学旅行という特殊な状況そのものが、犯罪行為を誘う巨大な囮なのだとしたら。


「こんなの、思いついたって誰もやらない。あなたはいったい――」

「昼間にも言ったろ。どこにでもいる普通の諜報員だってな」


 底知れない行方先生の笑みを見上げ、畏怖の念すら覚える。


 彼から与えられた役割は、想像していたよりもずっと重く、険しい。それでももう引き返すことはできない。


 賽はもう、投げられたのだ。

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