第二十九話 懐疑の極夜


「ちょっと待って」


 夕奈が声を上げたのは、鍵の受け渡しが成立する直前だった。


「どうしたの、夕奈ちん」

「そういえばさ、あとで雄星が戻ってくるって話あったよね。なんでまだここにいないわけ?」

「んー、なんでだろ? 奉くんとお喋りでもしてるのかな」


 とぼけるひめり。普段と大差ないその口調は、逆に違和感を悟らせない。


 雄星が待機しているのはD組だ。他の消失者と鉢合わせないように念を入れて教室からも出していない。別室待機している奉司と遭遇する可能性はほぼない。


「調査フェーズに参加する義務はないんだろうけど。気になるな」


 夕奈はまだ引っかかる様子で、頬に手を当てながら考え込んでいる。こちらの狙いに推測だけで辿り着こうとしているのか。


「KP、現在のプレイヤーってここにいる五人で全員?」


 心臓が跳ねる。その質問は致命的だった。


「ノーだ。ここにいないプレイヤーを含めて六人いる」

「……やっぱりね」


 行方先生の回答は公正であり、疑いようのない真実だ。プレイヤーの発言と矛盾していれば、その発言が虚偽であることが確定する。


「どういうことですか、夕奈さん」

「雄星は既に別PCとして復活してるってことでしょ。今は単独で動いているか、他のプレイヤーと裏で繋がっているか」


 その疑惑の目は玲生を除いた全員に向けられる。


「状況的に、あんたらのうち誰かが雄星と繋がってるとしても驚かないよ。頭数がひとつ増えればHOもひとつ選んでこっそり隠しておけるわけだし、受け入れるメリットはでかい。雄星の側としても単独で暗躍するよりは裏で手を組んだほうが効率がいいって分かるはず」

「心外です、私たちはそんなこと――」

「しない、って断言しても意味ないんだよ」


 もはや夕奈の目には誰も彼もが怪しく見えているはずだ。復讐先を失ったぼくも、不都合な事情を黙秘するひめりも、仲間を手にかけた疑惑のある亜月も、今更信じてほしいなんて言ったって意味がない。


 何より、彼女にとって信頼できないのは――


「雄星も復帰してるならCチームに戻ってくればいいのに、そんなにうちらが嫌かよ」


 珍しく私情を吐き捨てる夕奈。


「そりゃああいつは頭が切れるし、うちらは足手まといなのかもしれないけど」

「雄星は個人的な感情で態度を決めたりしないって」

「分かってんよ、分かってんだけどさ」


 今は立ち位置上雄星を庇ったけれど、ぼくにだって思うところはある。常にまとう清爽なフィルターのせいで上手く言語化できないだけで、彼には彼の理念のようなものがあることを感じている。


 その理念にこの中で最も触れているのは亜月だろう。


 けれど彼女は今、努めて無言を保っている。


「とにかく、うちはあんたらを信用できない。鍵も受け取らない」

「それは困るよ夕奈ちん」


 ひめりは変わらない調子で言う。


「気づいてるでしょ? 今の夕奈ちん、クローズドサークルで二番目か三番目に殺されるムーブしてるよ」


 ミステリーの定番、クローズドサークル。外界との連絡手段を絶たれた状況で事件が起こり、次々と犠牲者が出るフォーマットだ。ぼくらの置かれている状況はまさにそれと酷似している。


「鍵をかけても安全じゃない。それは確かにその通りだよ。だけど孤立するほうがもっと危険だし、夕奈ちんもそれは分かってるはず」

「ヒメのそういうねちっこい詰め方、うちは嫌いじゃないけど好きでもないよ」

「褒め言葉として受け取っとくね」

「いらっ」


 夕奈も本気で怒っているわけじゃない。けれど勝ちに固執しようとするとどうしても反発せざるを得ない状況にある。なあなあでひめりに誘導されては先がないことを理解しているのだろう。


「じゃあさー、他に夜をやり過ごせる方法を提案してよ。それがなきゃ皆も夕奈ちんについていけないよ?」


 ひめりの言葉に玲生も小さく頷く。いくら同じチームとはいっても、納得できる代案がなければ夕奈の意見には乗れないのだろう。


 そこからさらに数分、状況は膠着する。議論フェーズも当然無制限ではなく、長引けば長引くほど他のフェーズへと皺寄せが生じていく。


「亜月のHO」


 熟考の末、ぽつりと夕奈はつぶやいた。


「あるでしょ、まだ見せてない追加のHOが。一巡目でも二巡目でも、Bチームからは人数分の調査HOしか見せてもらってない」


 亜月の抑制した動揺が物語っていた。それが彼女のPCがもつ優位性であり、弱点でもあると。


「一巡目の調査で得たHOは意図的に黙秘してたね。あのときはやけにさらっと流されてたから、千明と亜月はグルなんじゃないかと思ったんだ。復讐したい相手と、個人的に嫌いな相手が同じだったわけだから。結果論だけどさ」


 セッションの合間を縫えば示し合わせることも不可能ではない。夕奈からすればそれぞれが別チームであるため、口裏を合わせていくらでも密談ができる。そしてそれを『していない』と証明するのは困難を極める。


「もちろん亜月の黙秘に合理性があるのは理解してる。人数よりひとつ多く情報を貰えて、しかも重要な情報をひとつだけ選んで守れる特権なんだから、怪しまれるリスクがあっても使うよね。同じ役割ロールが自分に回ってきたら、うちだってそうする。誰が味方か分からないときは特に」

「じゃ、じゃあ疑うのは筋違いでしょう……!」

「そう思ってたんだけど、さすがのうちも余裕がなくてさ」


 この指摘は、夕奈が追い詰められた証だ。苦し紛れの次善策であり、彼女自身も不利益を被るかもしれないリスキーな選択。


「亜月。隠してるHO、今教えて」

「……っ」

「教えてくれないんなら、うちは諦めてF組に戻るよ。物置の空いた枠にはひめりが入ればいい。後のことは知らない」


 亜月が選んだのは、沈黙だった。


「……分かった」


 夕奈は席から立ち上がり、そのまま教室を去る。玲生は何度も夕奈の背中に視線を行き来させたものの、後を追うことはしなかった。


 無理な要求なのは承知の上だっただろう。それでも挑むしかなかった。今の盤面をひっくり返すには、亜月が切り札として持っている情報がどうしても必要だったからだ。


 夕奈の足音が遠ざかるのを確認し、ぼくはひめりに視線を送る。想定とは少し異なる結末になったけれど、彼女のプランに支障はない。


「残念なことになったねえ」


 誰にともなくひめりは言った。それが本心なのかは分からない。


「センセ、この後の流れを教えてくださいな」

「そうだな……伊丹が離席したから議論フェーズはこの時点をもって終了とする。このまま行動フェーズに移行しよう」

「調査はもうできないの?」

「残念ながら、タイムリミットが迫ってるんでな」


 そう言って行方先生は各自にカードサイズの紙片を配っていく。


「もう言うまでもないことだとは思うが、今から潜伏する部屋を決めて名前を書いてもらう。名前の書く欄がない部屋は潜伏不可。部屋に入るために条件が必要な場合もあるが……今の条件で入れないのは事務室と厨房だな。他はザルだ」

「防犯意識なんてあったもんじゃありませんね」

「田舎だからな、戸締まりの習慣がないのさ」


 本気で言っているのかどうにも掴めない行方先生の口ぶり。


「さて、ここまでの議論を踏まえて各自決めてもらおうか。プレイヤー同士相談して組み分けするなり自由にすればいい。定員等細かいところはその都度俺に訊いてくれ。渡した紙に部屋の名前を書いたら、B組の教室まで一人ずつ持ってこい。以上」


 かくしてぼくらは部屋の選択を開始する。といっても話の流れで選択肢は二つしかない。すなわち本館の物置か、別館の物置。


 部屋の配置上、強いてリスクが高いといえるのは従業員部屋の真横にある本館の物置。一方で別館の物置は端にあるのが利点になりうるけれど、換言すれば自ら逃げ場のないところにこもることになってしまう。複数人での実力行使に迫られれば完全に手詰まりになるというのも両方に共通している。


 間取り図から得られる情報はその程度。あとはそれぞれがHOから推測を組み立てるしかない。開示されているものもされていないものも、抽出できるヒントはぼくの目から見てもまだまだ残っている。


 しばらく話し合った結果、ぼくと玲生が本館の物置、ひめりと亜月が別館の物置で潜伏することで合意した。今考えられる最善の選択をしたにもかかわらず、ほっとしたような表情を見せる人物はひとりもいない。まるでこれから終わらない夜を迎えるかのようだった。

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