第十話 他力本願の心理戦


 休憩時間の終わりと同時に行方先生が戻ってきてセッションは再開される。


 調査フェーズは二巡目に入るが、時間の経過間隔から鑑みれば三巡目を行うことは難しい。ここでいくつかの仮説の中から結論を出さなければ、プレイヤー側の詰みだ。


 現状共有されている仮説は女教師犯人説と女教師救護説。前者は夕奈が否定したものの、その根拠となっている秘匿HOは開示されていない。後者は調査HOによって紐づけがなされているが、まだ不確定要素が多く今後の調査で簡単に否定され得る。どちらも断定するにはパーツが足りない。


 各々の秘匿HOに絡んだ仮説も勘案すれば、何がヒントになるか分からない。片や情報を集めなければ全員共倒れに陥る。単純ながら、難しい状況だった。


「二巡目を始める前に訊いておきたいことはあるか?」


 先程の反省を踏まえてか、行方先生は自ずから確認を取る。プレイヤー側も今回は見逃さないよう、既に質問内容は協議済み。代表として、夕奈が挙手する。


「調査中にも訊こうとしたことだけど、あらためて。今出ている調査HOからいくつか追求させてほしい」

「許可する。だが質問の回数は三度まで、かつ現地の教師が答えられる範囲の質問のみ回答する」

「充分。まず一つ目。今現在、くだんの女性教師と連絡は取れる?」

「連絡は取れない。携帯に繰り返し連絡を入れても応答がないようだ」

「二つ目。A班が行方不明だと分かったきっかけは何?」

「女性教師――お前らのいうところのN先生だな――との連絡が取れなくなったことが最初のきっかけだ。そこに他の要因が重なって、十一時時点で消息不明と見做して捜索を始めた」


 そこで夕奈の質問の手が止まる。雄星とアイコンタクトを取ってから、小さく息を吐く。


「……三つ目。昨年の修学旅行で出た急病人は結局どうなった?」

「現地から少し離れた病院へ運ばれ、適切な処置を受けた。命に別状はなかったが翌日は丸一日安静、親御さんに迎えに来てもらうこともなく無事に帰った」

「了解」


 打ち合わせ通りの質問が終わり、夕奈はふっと背中を椅子に預ける。緊張とは無縁そうだと思っていただけに、傍目からも身体に力が入っていたのは意外だった。


 質疑の要点は考えられる可能性を削ること。そのためには仮説と関係のなさそうな情報には触らない。調査HOの追求も回数が定められているだろうから、質問内容も先に三つに絞った。そして予測通り、回数もどんぴしゃだった。


 一方で想定外もひとつ――質問によって、逆に新たな可能性が浮上したこと。


「質疑応答はこれまで。さっさと二巡目行くぞ」


 急かす行方先生。話し合う時間は与えてくれないらしい。


 ここまで先生はプレイヤー間のやり取りをかなり許容していた。初回だというのもあるだろうが、休憩時間にゲーム内情報の交換を許しているのはゲーム自体の難易度を大きく落としているといえる。ロールプレイングに徹するのであれば、休憩中の談合は禁止するのが筋だろう。


 それが急に時間的な締めつけを厳しくした。ひょっとしたら、既に謎を解く材料は揃っているのか?


 行方先生の進行に従い、一巡目と同じ順序で手番が渡される。調査フェーズも打ち合わせに従い目星を付けた箇所を重点的にエリア指定していく。得られたHOはすぐに共有し、その場で既存の情報と擦り合わせる。


【調査HO:国内有数の観光地であるここでは最近、観光客を標的にした盗難事件が頻発している。】

【調査HO:行方不明班の班員のひとりは観光地の付近に親の実家があるとクラスメイトに話していた。】

【調査HO:観光ルートからはやや逸れるが徒歩で向かえる距離に私営鉄道が走っている。】


「……これ、何だ?」


 二巡目四番手、奉司の取得したHOの書式はこれまでと異なっていた。調査結果が書き連ねてあるのではなく、イベントの発生を告げる一文だけが載っている。


「それは中間HOだな。調査中にも事件はつきものだ。そいつを引いた時点で調査フェーズは一旦中断して、行動フェーズに入る」


 行方先生の説明を聞き、咄嗟に時計を確認する。二巡目が始まったのが十三時頃。今のペースで行けば二巡目の後に少し話し合いの余裕ができるかといったところ。ここで別のフェーズが入るのは、想定外だ。


「待てよ、それは強制なのか?」


 奉司の指摘に行方先生は首を縦に振る。


「こういうイベントは偶発的に起こるものだろ? 避けられる地雷に意味はない」

「んなこと言ったって、もし最初にそれ引いてたら――」

「やめときな奉司」


 夕奈は苦々しい表情のまま奉司を制止する。


「ガイドブックにも書いてあるんだよ、そういうシステムがあるって」

「……マジかよ」

「マジ。といってもハウスルールの範疇だろうけど。ね、先生」

「伊丹の言う通りだ。納得してもらえるか?」

「チッ」


 奉司が焦るのも無理はなかった。行動フェーズにどれだけ時間を取られるかは未知数だが、少なくとも事前の計画通りに事が進まなくなったのは確定的だ。


 しかしこの局面は損ばかりではない。ガイドブックによると、行動フェーズでは他のフェーズで得られなかったHOを獲得できる。調査フェーズや非公開のHOで補いきれなかった情報が得られるかもしれない。


 行方先生がHOの束とは別にクリップボードを取り出す。導入でHOを読み上げたときと同様に、シナリオの展開に影響があるときの処理だ。


【中間HO:消息不明の班の足取りを追う君たちはある噂を耳にする。「○○先生(若手の女性教師)が知らない男の人と歩いていた」という噂は既に修学旅行生の間で広まり、悲喜こもごもの反響を呼んでいる。事の真偽を確かめるべきか、君たちは判断する必要がある。】


 良くも悪くも慣れてきたのか、この読み上げに対して大きな反応を示すプレイヤーはいない。ただしこれに限っては、反応がないほうが不自然と言ってもいい。


 括弧付きで説明された『若手の女性教師』の情報をあらかじめ得ていなければ、このイベントは一見寄り道に見える。悲喜こもごも、というのはおそらく生徒人気のあるN先生に恋人がいるのでは、という推測が噂とともに交じっていると考えられる。話題性としてはかなり大きいと言っていい。


 そんな噂が流れていて、かつ生徒たちがスタンプラリーで周辺を動き回っているということは、彼女の行方を誰かが知っていてもおかしくないということ。そこまで読み取れれば、このフェーズで取るべき行動は――


「うちは、確かめなくていいと思う」


 夕奈は言った。ぼくと、真逆の意見を。


 思わず凝視してしまう。夕奈の横顔は頑なだった。


「噂の真偽になんて時間を使ってる場合じゃなくない? うちらがやるべきなのはA班との合流なんだから」

「待ってください。A班とN先生は一緒にいるという話だったじゃないですか。N先生の噂を追うのはA班を捜し出すことと一致するのではないですか」


 亜月の言う通りだ。明らかなメリットが見えているのに、利用しない手はない。


 この中間HOは言わばKPからのサービスヒントに近い。ただでさえ時間的な制約で調査フェーズで公開できる情報が少ないのだからと特別に重大な情報を得られるよう計らってくれたとも取れるほどだ。


 それとも夕奈には考えがあるのか? これが罠だと保証できる何かに気づいている?


「気が逸るのも分かるけど、先に何が求められているか明確にしないか」


 雄星が落ち着き払って提案する。


「先生、そのHOによって起こるイベントは僕たちにどんな行動を要求していますか」

「班内で相談して、噂の真偽を確かめるかどうかを決めてもらいたい。確かめるのならその行動に対応したHOを公開する。確かめないのなら、このまま調査フェーズへ戻る」

「行動を決めるために話し合えと?」

「そういうことだな」


 話し合い――いや、多数決か。


 ちらりと奉司の様子を見る。考え込んでいるのか、視線は合わない。


「みんな、どうしようか。賛成か反対かで多数決を採ることになると思うんだけど、意見がある人は自分で主張してほしい。あまり時間もないようだから」


 少なくとも雄星の仕切りに反対する人は居ない。反目し合っている余裕がないのは明らかだ。


「さっきも言ったけど、うちは反対。寄り道してる暇はない」

「私も先程言った通りです。噂の真偽確認に賛成」


 夕奈と亜月は互いを見ないようにして主張する。


「オレはどっちでもいい。決まったことに従うだけだ」

「ひめりもどっちでも。面白そうなほうに従いまーす」


 奉司とひめりはどこか投げやりに言う。


「僕は賛成。どのみち今の手札では厳しいしね。数久田くんも賛成だそうだよ」


 僅かに頷く玲生。相変わらずそれが自分の意思なのかは読み取りづらい。


 自分の意見を述べる前にもう一度考える。ここまでの夕奈の思考をトレースすれば、この局面で反対意見に回る意味は、おそらく。


「ぼくは、反対だ。わざわざ根も葉もない噂に対応する必要はない」


 なるべく堂々と言ってのける。確固たる根拠があると、知らしめるように。


 反応は、上々だった。


「へぇ、千くん自信ありげだね」


 ひめりの丸い目がぼくを興味深そうに眺める。


「夕奈ちんもそうだったけど、今までのヒントで推理はできちゃってる感じ? ひめり、全然分かんないから説明してほしいなぁ」

「しない」

「へ?」

「説明はしないよ。推理の披露は時間の無駄だ。そうだよね、雄星」

「……ああ、そうだね」


 雄星は神妙に頷く。


「多数決は既に三対二で賛成多数だ。少数派の意見も後々参考になるかもしれないけれど、そこまで慎重に選択するような二択ではないんだよ」


 そう。もっともらしい反対意見を聞いて結論が揺らぐのが一番危うい。ただでさえ今は時間がない。積み上げてきた多数派の優位・・・・・・を雄星は犠牲にしたくないはずだ。


「心配しなくても後できちんと説明するよ、ひめり」


 その役目はぼくではないかもしれないけれど。


 どちらにせよ結論は、どうせこの中の誰かが握っている。

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