第十一話 少女隠蔽


 少し時を戻して、昼休み。


「千明、奉司。ちょい顔貸しなよ」


 お手洗いから戻る途中、ぼくらは階段の下で待ち構える夕奈と遭遇した。制服のカーディガンを着崩して気だるげな出で立ちの彼女は、廊下の壁に背を預けるだけでも画になっている。


「なんだよ夕奈。お前も便所か?」

「うら若き乙女に便所とかいうもんじゃないぜ、まったく」


 まあもう遅いか、と嘆息する夕奈。


「教室に戻る前にナイショの話しようって言ってんの。っていうか、今のうちにしとかないと午後は一方的にやられる可能性大だしね」

「あん?」

「奉司クン、民主主義は知っとるかね?」

「当たり前だろ。王様とか貴族とかじゃなく、国民が政治を動かす主義のことだ」

「非常に明快な理解でよろしい。あんた実はけっこう頭いいよね」


 うるせー、と返す奉司は少し得意げでもあった。褒められてないよそれ。


「特に議会制民主主義といえばお馴染みの制度で、うちらはちっさいガキの頃からそのシステムで学級会とか運営してたわけだ。そうやって物事を決めるのが当たり前になってる」

「それがどうかしたのかよ」

「どっちを選んでも自分と関係のない二択があるときって、なんとなく賛成のほうに入れちゃったりしない?」


 ぴくり、と奉司の眉が動く。それを見て夕奈は口角を上げた。


「民主主義ってね、なんとなくで票を投じる市民が増えれば増えるほど歪むもんなの。二つある選択肢の、それぞれのメリットとデメリットが理解できてるならいいけど。感情的に『この人は頑張ってるから応援してあげよう!』つって投票しちゃうでしょ」


 彼女の言いたいことが見えてきた。さっきから奉司に対して説いている意図も察する。


「つまりうちが言いたいのはこう。『今のままだとあいつの独り勝ちになっちまう。そうならねえよう先にかき乱しちまおうぜ』」


 唇をつんと尖らせ、夕奈は唸るような声を出す。絶妙に奉司の声に似てなくもないと思ったが、本人には伝わらなかったようだ。


「どっかで聞いたような台詞だな」

「でしょうな」

「まぁ、理屈は分かる。現状で多数決に持ち込まれたらオレ含め皆があいつの意見に従っちまうだろうな」

「だから対立する意見が言える人をこっちで立たせたほうがいいでしょ、って話になったと思うんだけど。ついさっき、雄星からお誘いがあってさ」

「お誘い?」

「協力関係を結ばないかって。ウケるよね、全員で協力して目標をクリアしようって言ってる中で、さらにミクロな範囲で協定を結ぼうっつってんの」


 なんかの冗談でしょって返しちゃったよ、と笑う夕奈。


「あの爽やかボーイ、考えてることはかなりロジカルなんだよね。七人いて最後は二択で勝負が決まると推定したら、そこから三人仲間にしたら勝ちだってイコールで結んじゃうんだもの」


 ぼくらが席を外している間にそんな提案があったのか。理に適っているとは思うけれど、早速行動に移せるような仮説ではないはずなのに。


 いつでも最初に挙手をする、フットワークの軽さと思い切りの良さ。


 彼の持つ実直さが、騙し合いにおいても大きなアドバンテージになる。


「それで、その誘いには乗ったのかよ」


 おそるおそる奉司が尋ねる。


「んなわけないっしょ。どんだけうちの口が軽いと思ってんの」


 夕奈は一笑に付したが、奉司はまだ疑っている。というより、今になって疑い始めたと言うべきか。


「うちは先にあんたらに役割を押しつけちゃったからね。そっちの責任を取らなきゃ禍根が残るでしょっつって断ったの」


 禍根。一度失った信用によって、以後のセッションで不利が残り続けること。


 やはり夕奈は、ぼくと思考が近い。


「そこまで話すってことは、君はこちら側だと考えていいってことだよね?」

「その通りだよ千明。さしずめ反雄星同盟ってとこかな」

「こちらが反体制派なんだね」


 そりゃあそうか、と思いつつ。


 雄星は過半数を味方陣営にできれば勝てるという理屈で考えて、ぼくらよりも先に仲間を募っていた。夕奈の口ぶりからしても既に他のメンバーにも声を掛け、味方に引き入れている可能性は高いだろう。


 仮に過半数を確保されているとして、ぼくらに抵抗するすべはあるのだろうか。


「雄星の誘いに乗った連中は分かるか?」


 奉司が尋ねる。夕奈が敵か味方か判断しかねる状況で、情報だけは引き出そうという魂胆だろうか。


「亜月は確定。玲生もあの感じだと断れないだろうね。ヒメは……分からん」

「分からんって」

「いや、あの子がどちら側かとか読めないでしょ。面白そうなほうに傾く、それだけで動いてんだもの」


 夕奈は頭を抱える。振り回された経験がありそうな雰囲気だ。


「ともかく、向こうは既に三人グループができてるわけ。そうなるとこっちも三人で対抗するしか手段なくない? って話」


 焦りの見える夕奈の発言に、奉司も些か乗り切れない様子ではある。選択肢がないのなら今更慎重になっても仕方がないと思うのだけれど――


「奉司、何か引っかかることでも?」

「……ああ。たいしたことじゃないんだが」


 険しい表情のまま、奉司は夕奈に怪訝な目を向ける。


「お前、よく喋るな。そんな口数多いキャラじゃなかったろ」

「あー、うん。やっぱそこは気になるかぁ」


 一時の逡巡の後、夕奈は顔の片側に垂れ下がった髪を耳に掛ける。ピアスひとつついていない小さな耳は、ほんのりと赤みがかっていた。


「だってうち、お喋り大好きな隠れオタクだから。いつもは努めて我慢してんの」


 内緒にしといてよ、と夕奈は人差し指を自分の唇に当てる。


 だからさっきから立て板に水で話しているのかと納得する、よりも前に。


「まさかとは思うけど、夕奈が握られてる秘密ってそれのこと?」

「……その程度のこと、って思うんだ?」


 まずい、地雷を踏んだか。


「そりゃあんたらから見ればね、オタバレなんてたいしことじゃないって思うでしょうよ。うちもなんでこんなしょうもないこと気にしてんだろうって枕を濡らす夜もある。だけどまあ、一度醸成されたコンプレックスってものは自分ではどうしようもなくなったりするもんなのよ。流行りの漫画だけ読んでるとかたまにアニメの映画を友達と観に行くとかのライト層のオタクなら――いやそれをオタクと呼んじゃっていいのかもうちには疑惑の判定なんだけど――バレても気にならない、てかバレるバレないの発想すらないんだろうけど、うちはもっと大手を振って外を歩けないような感じのジャンルも食うタイプのオタクだから。天ぷらが好きなんですーっつってるオタクと海老の天ぷらの尻尾部分しか食いたくないんですーっつってるオタクが同じ食卓で楽しく話せるかといえば、ノーでしょうが」

「めっちゃ喋るじゃねえか」


 奉司が戸惑うのも無理はない。普段は消費カロリーを抑えたような口調の彼女が急にまくし立てるように話し始めたら、誰でもそうなる。


 けれど、ぼくはさほど意外だとは思わなかった。むしろ腑に落ちたと言うべきか。


「やけに慣れてたのはマダミス経験者だから?」


 天ぷら云々のたとえには触れずに問いかける。夕奈は気にする様子もなく首を横に振った。


「いや、マダミスは初めて。他のTRPGなら何度か、って感じ。胸を張って経験者を名乗るにはまだまだ場数が足りてないけど」


 リプレイ動画ならたくさん観てるんだけどね、と夕奈は付け足す。


「だからうちを味方に引き入れたらかなり有利だと思うんだ。初心者がハマりがちな罠は先に教えておけるし。逆に味方にしないってんなら、そのノウハウは全部あっち側に流れる」


 いよいよ脅迫じみてきた。奉司を納得させるには強めに危機感を煽るのがいいと判断したのだろうか。


 実際、奉司は柔軟なタイプだった。警戒心は強いけれど、反骨心まで強いわけでもない。自分にとって有益な交渉なら意味なく拒否したりはしない。


「……わーったよ。反雄星同盟とかいうの、やろうぜ」

「お、それ正式名にするんだ」

「お前が最初に言ったんだろうが」


 名前はともかく、経験者が味方についたのは心強い。導入フェーズの説明が不十分だった件から見ても、慣れている人間が居るのと居ないのとでは攻略しやすさがまったく違う。


 とはいえ安心するにはまだ早い。陣営が同数になったところで拮抗するだけだ。かといってひめりを味方に引き入れようにも、彼女の動きは読めない。


 現状の情報だけで謎が解けていれば、話も大きく変わってくるのだけれど――


「休憩時間が終わったら、調査フェーズの二巡目に入る。その間は同盟のことは一旦忘れちゃっていい。それぞれの立場から見て、謎が解けそうならもったいぶらずに公表していこう」


 夕奈が打ち出した方針を奉司は首肯する。


 先程ぼくも奉司に言ったことだけれど、謎を解くこと自体にはそこまで大きな利点はない。A班の現在地を特定したとしても後から未公開の情報を追加されて選択肢が生み出されるなら、結局は多数決の原理に従うしかなくなるのだから。


「行動フェーズと推理フェーズも特に打ち合わせは必要なし。で、問題は投票フェーズなんだけど……」


 言い淀む夕奈。耳に掛けていた髪が二、三本、こぼれて頬に触れる。


「何か案があるんだよね?」

「一応。でも、ちょっとリスキーでさ」

「話すだけ話せよ。イケると思ったら従ってやる」


 奉司の尊大な物言いに合わせてぼくも頷く。成否がどうあろうと、同盟として動くことには大きな意味がある。


「ありがとう。じゃあ話すよ――」


 そうして夕奈が語ったのは、リスキーどころか自滅に近い、しかしぼくらでは決して思いつかない奇策だった。

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