第九話 地上の星



 教室に戻ると他のメンバーは既にそれぞれの席に着いていた。皆思い思いの行動を取ったのか、休憩前とは少し雰囲気が違って見える。


 いや――変わったのはぼくの見る目のほうか。


「おかえり千明。遅かったな」


 雄星が心配そうに声を掛けてくる。後から教室を出た奉司よりも遅く帰ってきたのは不自然だっただろうか。


「ちょっと散歩してたんだ。同学年の教室が空っぽの校舎って、なんか静かで特別感あったから」

「そーかなぁ? ひめりはしょっちゅう静かな廊下歩いてるけど」

「それはあなたが遅刻魔だからでしょう」


 亜月がひめりに至極冷静な突っ込みを入れる。少しは回復してきたのだろうか。


 調査フェーズの一巡で得られたHOが机の上に並べられている。雄星を除いた六人分の成果だ。


【調査HO:行方不明となっている班には同伴していた女性教師がいる。彼女は若く生徒人気があり、直前まで複数の班の間で引っ張りだこになっていた。】

【調査HO:土産物屋は付近に四店舗あり。試食があるのは二店舗。】

【調査HO:行方不明班のとある班員に告白し、振られた男子の噂が話題になっている。】

【調査HO:スタンプラリーのエリア外に出ようとした班が見回りの教師に見つかり十二時まで監視下に置かれる憂き目に遭っている。】

【調査HO:少なくとも班行動開始からの四十五分は他班生徒に姿を目撃されている。】

【調査HO:昨年の修学旅行では急病人が出た際、すぐ近くに受け入れてくれる病院がなく一時騒然としていた。】


 いずれの情報も直接の接点がない。ミスリードも含まれているだろう。ぼくの秘匿HOと関連のあるものが見つかっていれば大きなアドバンテージが得られたのだけれど、パッと見ではそれもない。


 席に着くと先に戻っていた奉司が視線を送ってきた。戻る前に伝えておいた通りに動いてくれればいいのだけれど。


「じゃあ全員揃ったところで――いや、全員揃わないうちに始めよう。いつ帰ってくるか分からないし手短に」


 雄星は一拍おいて、言う。


「行方先生に握られている秘密を、今この場で明かせる人がいたら教えてほしい」


 場が凍りつく。


 瞬きの音すら聞こえそうな沈黙。皆が視線を忙しなく動かしながらも目を合わせまいとしている。ある意味で全員が一体となった瞬間だった。


 発起人である雄星ですら話し出そうとはしない。誰かが秘密を明かしてくれるのを待っているわけではないはずだ。個々の秘密をその程度のものだと思っているのなら、この空気に耐えかねてまず自分から明かすだろう。


「あのさ」


 最初に口を開いたのは、意外にもひめりだった。


「やめとこーよ、こういうの。誰だって内緒にしたいことってあるでしょ。それを無理やり話させようとするの、たのしくないよ」

「……そうだね。鹿野さんの言う通りだ」


 悪かった、と雄星は頭を下げる。尋ねて駄目ならすぐ引き下がるつもりだったのだろう。その切り替えの速さは見習うべきかもしれない。


「皆の前で話せない秘密だってことは分かった。だからもう訊かない。でも、これは皆にも分かってほしい。それだけ大事な秘密を掘り起こして交渉材料に用いるあの先生を、僕は信用する気になれない」


 雄星は憤りに燃える目で机上の一点を見つめる。彼が確かめたかったのは秘密の重要性であり、行方先生へ怒りを向けていいかどうかだったのだろう。疑惑は確信に変わり、清々しささえ見える表情だった。


「いや、勝手にスッキリされても困るんだけど」


 夕奈が呆れたように割り込む。


「その言い種だとうちらも同意するみたいな感じだけど、そんなことないから。うちは別に先生のこと疑ってないし、手の込んだゲームまで用意してくれてありがてーなーくらいに思ってるんだけど」

「別に同意を求めるような意図はなかったよ」

「分かってほしいとか言ってたじゃん」

「あくまで僕はそう思ってるってだけだ。勘違いさせたなら悪かった」


 会話はそこで途切れる。この話題が続くのも時間の無駄だった。


 雄星が気持ちを表明したところでゲームには何の影響もない。もっと言えばこの場で誰かが自分の秘密を明かしてたとしても、セッションの展開は何も変わらないはずだ。強いて言うなら、この情報交換のチャンスを浪費させられるくらいか。


 雄星はどこまで計算しているのだろう。ぼくにはただ義憤に駆られているだけにも見える。そしてそんな態度に少なからず共鳴するメンバーも――


「気を取り直して、ここまでで集めたHOの情報を整理しようか」


 引き続き雄星が取り仕切る形で情報の精査が始まる。


 得られた六つのHOは一見事件とは関連がなさそうではあるが、人によっては見え方が異なってくる。ぼくが初見で考えたように、秘匿HOと関連のある情報が提起されればその秘匿HOの持ち主が何かしらの反応を示すはずだ。


 とはいえ自身の秘匿HOがバレるのは大きなリスクを伴う。ぼくのように『内通者の存在を知っている』といった情報は、実際の内通者側からすれば面白くない。秘匿HOは常に真実であり、またその重要性がメタ的に担保されているからだ。


 ではどうやって自らのHOをバラさず、今のままでは役に立たない調査HOを関連付けて議論に持っていくか。その答えが『他人の秘匿HOを暴くこと』だ。


「私は同伴していた女性教師が怪しいと思います」


 ひと通りの情報を確認した後、亜月は言った。


「班とその同伴が同時に居なくなるなんて普通は考えられません。仮称N先生でしたっけ、その人が手引きした可能性を支持します」

「N先生とおそらく連絡がついていないっていうのが不自然だよね。まだ他の先生に確認したわけじゃないから確定ではないけど」

「ええ。だから現時点で分かることをまとめておきたいんですが――」


 そこで亜月は夕奈のほうを見る。


「夕奈さん。調査フェーズのとき、少し変でしたよね?」

「うちが? どう変だったの」

「何か考え込んでいるふうに見えました」

「あー、うん」


 各々の視線が夕奈に集まる。


「確かにね、ちょっと思い至るフシはあったのよ。うちの秘匿HO的に、これは関係あるでしょと」


 あっさり夕奈は口にする。一番驚いていたのは亜月だった。


「え、あ、そんな簡単に言っていいものだったんですか」

「いやいや、何も全部はバラすつもりはないよ。うちが言えるのは、例の女教師が手引きしたかもってのは可能性としては無いな、ってだけ」


 秘匿HOを全て明かすより信憑性は劣るものの、こうして言及があるだけでただの推測よりは説得力が上がる。否定の効果も大きい。


「女教師犯人説よりもさ、うちは女教師救護説を推したいんだよね。班のメンバーの誰かに急病人が出て、N先生が独断で病院に連れて行ったとか、どう?」

「なるほど。それも可能性としては考えられるね」


 夕奈の意見に雄星が同意を示し、調査HOから二枚を取って横に並べる。


「人気のあるN先生が、どこかで急病人の生徒を見つけた。一刻も早く病院に連れて行きたいが付近には受け入れてくれる病院がない。困ったN先生は、他の教師に知られてはいけないような方法を使って何とかしようとした、みたいな」

「その場合他の班員諸共行方不明ってのが引っかかるけど。たぶんその辺りは他の人の秘匿HOで説明ついたりするんじゃない?」


 上手い。一旦筋が通っていそうな仮説を出して、その説得力を高めるという口実で秘匿HOの供出を迫る。先に亜月が実践した作戦を、夕奈も模倣して切り返した。


「ね、どうかな皆。うちの仮説、なんか間違ってるとこある?」

「オレは夕奈の説を推す。今のところ一番可能性がありそうだ」

「僕も同感だ。けどあくまで指針にはちょうどいいというだけで、他に良案があればそちらに乗り換えるよ」

「……フン」


 奉司は雄星を侮るように睨み、それからぼくのほうを一瞥する。分からせてやれ、とでも言いたげな表情だ。


 奉司の期待はありがたいけれど、まだ雄星を上回れるような材料は揃っていない。引き続き様子見に徹して、使えそうな情報を手に入れてから――


「あ」

「どうした?」


 ぼくが不意に漏らした声に奉司が目ざとく反応した。


「ぼくらの目標はA班との合流だったよね。言い換えれば、A班の現在地を特定できればいいってことになる」

「そうだな」

「もし病院が現在地だとしても、このマップ上に病院はないよね」


 皆の視線が黒板に移る。


「……ほんとだ。これだけ描き込まれているのに病院がありません」

「おおー、やるじゃんちーくん」

「ち、ちーくん?」


 初めてそんな呼び方をされた。動揺していると夕奈がぽんぽんと背を叩いてきた。


「ヒメの感性にいちいち反応してたら身がもたないよ。黙っとき」

「う、うん」


 気を取り直して黒板上の地図を見る。


「病院が見当たらないのにも色んな理由が考えられる。受け入れてくれる病院がないっていうHOがこのエリア内に病院はないことの裏づけなんだとしたら、ぼくらがA班と合流するためにはエリア外へ出ないといけないことになる」

「そうなると他の調査HOにあった見回りの教師が邪魔になるわけか。スタンプラリーを中断してる僕らが見回りと遭遇したら色々面倒になりそうだもんな」

「だったらやっぱ病院の線はナシってこと?」

「それはまだ分からない。ただ、ぼくに言えるのは必ずしもこのマップの中で完結するわけじゃないんじゃないか、ってことだ」


 まだマップ上に気づかない違和感を残しているのではないか。その疑念と、マップ外にも存在するであろう世界がぼくらに新たな視点を与える。


 そのとき、ぼくは確かに感じる。黒板ではなく、ぼく自身に注がれる視線を。


 ぼくを仇敵と見做すような、強い強い意思を。

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