閑話 ひとつの決着

 ――ランドルフ・ルーゼンシュタイン公爵。


 王国に六名存在する公爵の中で最も力を持つ、レムリアの父。


 宰相のヴラム・アルカードが国政で最大権力者ならば、貴族内での最大権力者は、間違いなくこの男だろう。


 彼の機嫌を損ねた貴族は、領地の没収や、地位の剥奪程度で済めば幸運とも言われている。


「……これが、貴方が行った違法取引の証文です」


「……」


 そんなランドルフ公爵が、自室でひとりの少女に書類を差し出される。


「違法魔法薬の取引、武器や防具の横流し、他にも、貴方が要人暗殺、誘拐に利用していた盗賊団の証言もあります。他には……」


 ──パチ、パチ、パチパチ。


 分かりやすく音を立てながら、ゆっくりと、人を小馬鹿にする様な拍手をするランドルフ公爵。


 眉毛は軽く寄り、顔には傲慢さと、相手を見下す意志……そして、自分の優越性を主張する気持ちが滲み出ていた。


「アオイ・ヒメカワ……貴様のような優秀な人材が在野で燻ぶっていたとはな。出来損ないの娘に仕えている事といい、非常に惜しい」


 ランドルフの行った違法取引、盗賊団との関係……どれかひとつでも公になれば、極刑となるものだ。


 それでもランドルフは、焦りもせず、恐れもしない。


 何故ならば……


「……それで、この証拠という『言いがかり』を、誰に差し出すのだ?」


 誰も自分を裁けない……その目は、暗にそう語っている。


「……」


 その言葉に、アオイは黙る。


 公爵の絶対的な力とその所業を、『誰よりも』知っているから。


「……さすが公爵様。私如きが挑むのは、おこがましかったです」


「身の程をわきまえたか。では、これらの書類を全て処分しろ。そうすれば、今回の件は見なかった事にしてやる」


 そう言いながら、勝ち誇った顔で立ち上がり、ゆっくりとアオイに近づく。


「……まだまだ青いようだが、気に入ったぞ。あの出来損ないの娘の元を離れて、私の元へ来い」


「強きお方のおそばに置いて頂くのは、女として最高の幸せ……喜んでお仕えさせていただきたく思います」


「ふふっ、それでよい」


 そして、下卑た笑いを顔に浮かべながら、アオイに触れようとさらに近づく。


「……その前に、ひとつお聞かせてください」


「なんだ?」


「私が突き止めたこれらの件……公爵様がなさったということでよろしいですか?」


「今更そんなことを聞いてどうする」


「これらが真実なのであれば、私は自分の仕事に自信を持ちながら公爵様にお仕えできます。ですが、これが真実ではなく、『お情け』であるならば、おそばに置いて頂くなどおこがましいかと」


「そんなことか……安心しろ。貴様の調査は正しい。それらの件は全て私がやったことだ」


「失礼ながら、真実の宣言もお願いできないでしょうか」


「……」


 その言葉に、苛立ちの表情を浮かべるランドルフ。


 ――真実の宣言。


 世界を守護する精霊に誓い、自分の言うことに嘘偽りがないと証明する儀式。


 魔王と人が戦っていた時代に創り出された儀式で、兵が報告前に自分は魔王に魂を売っていないと宣言し、もし嘘だった場合は、『世界の敵』となり、その場で極刑となる。


 今となっては、会議や演説、裁判などでの宣誓の役割となっているが、その効力は変わっていない。


 この儀式を行った後の発言に、嘘があった場合は、子供だろうと、国王だろうと極刑となる。


 だからこそ、おいそれと言うわけにはいかない。


「……この非力で無能な女に、情けをくださいませ」


 足元に跪き、頭と両手を地面に付ける……いわゆる土下座の姿勢で懇願するアオイ。


「ふっ、よかろう。その無様な姿に免じて、宣言してやろう」


 自分を追い込もうとした生意気な女が、自分の力の前に屈服する……その姿に満足し、またしても下卑た笑みを浮かべながら、自分の胸に手を当てる。


「ランドルフ・ルーゼンシュタイン。この名において精霊に誓う。アオイ・ヒメカワが調べあげた所業は、全て私が行ったものだ。この言葉に偽りはない」


「……宣言、頂戴いたしました」


「では、寝室に来い。……いや、服を全て脱いでから、もう一度その姿勢になれ。そして、私の靴を舐めるのだ」


「……」


 その言葉を聞き、アオイは上着のボタンを外す。


 そして土下座をするために跪きながら、服の中に手を入れ……


「……ぐおあぁぁ!!」


 上着から取り出した扇の柄を、公爵の足に叩き付けた。


「が……お、あぁぁ……!」


 親指の付け根、ある意味では骨そのものともいえる場所への強打。


 脱臼か、もしくは骨が砕けたか……ランドルフは、あまりの激痛にもんどり打って地面で転がり回る。


「鉄扇……この世界は護身だろうと暗殺だろうと、武器より魔法を使うから、こんな暗器なんて発想はなかったけど、中々に便利ね」


 扇を広げながら、いつのまにか立ち上がっていたアオイ。


「弱者に見下ろされる気分はどうですか?」


「き、貴様……このようなことをして、ただで済むとでも……」


『ランドルフ・ルーゼンシュタイン。この名において精霊に誓う。アオイ・ヒメカワが調べあげた所業は、全て私が行ったものだ。この言葉に偽りはない』


「……なっ!?」


 ランドルフの声が、どこからともなく聞こえてくる。


「これは、スマホという魔道具。効果は、映像の保存や、動画……記録した状況の再生といったところかしら」


 そう言いながら、薄い金属のインゴッドのようなものをランドルフに見せるアオイ。


 そこには、ランドルフの姿とアオイの姿があり、しかも先ほどの状況と会話が映し出されていた。


「音声もバッチリね。魔法学校でテストしておいて良かったわ」


「き、貴様ぁ……!」


「さて、これからどうしたものかしらね。なんだったら、実の娘と同じ年の女にした、悪趣味極まりない要求を、あなたが私にやってもらおうかしら?」


『服を全て脱いでからもう一度その姿勢になれ。そして、私の靴を舐めるのだ』


 スマホという魔道具から、先程の声が再生される。


「……ふっ、ふふっ、ふははははははっ!」


 豪快に笑いながら、よろよろと立ち上がるランドルフ。


「その足で立ち上がる根性は認めてあげるわ」


「勝ったつもりのようだが、詰めが甘いな……お前はいくつか重大な過ちを犯している」


「聞かせてもらおうかしら?」


「ひとつめは……ここが私の館だということだ!」


 ランドルフは、上着に隠していた魔道具を取り出して発動させ、ギィィィンという、耳障りな音が辺りに響き渡る。


「この魔道具は、近くの部屋に控えている護衛の者たちに異変を伝えるものだ! すぐにでも10名を超える精鋭がここに来る! これでお前はお終いだ!」


 勝ち誇るランドルフ。


 だが、アオイの表情は変わらない。


「なるほど、お客様がお越しになると。では、執事としてお茶でも用意しましょうか」


 そう言いながら、銀色の水筒を取り出し、蓋にお茶を注ぎはじめる。


「な、何をしているのだ……?」


「お茶の用意という言葉は難しかったかしら? お茶の用意というのは……簡単すぎて説明が難しいわね。では、貴方がいつも飲んでいたのはお茶という名前であることから説明を……」


「そうではな……ぐおぉ!」


 激昂しながらアオイをつかもうとするも、親指の激痛から上手く歩けず、またしても地面に転がり回るランドルフ。


「公爵様は、本当に転がり回るのがお好きなようね」


「……なぜ逃げない! 許しを請わない! 私の前に跪かないのだ!」


 アオイの言葉を無視し、叫ぶアンドルフ。


 ここまで自分を追い込む者は、今までも何人かいた。


 だが、その者たちの末路は全て、同じだ。


 ひとつひとつ現実を見せることで、顔に焦りが現れ、そしていつしか恐怖へと変わっていく。


 そうやって、徐々に相手を絶望に落としていく瞬間が、たまらなく快感だと言うのに……


「逃げる必要も、許しを請う必要も、跪く必要もないからよ」


 この少女は、真っ向から全てを否定してくる。


 徐々に、顔に焦りが現れるランドルフ。


 ――コンコン。


 そこに扉を叩く音が……ランドルフにとっての救いの音が部屋に響き渡る。


「……あ、主様。先ほどの音は何事でしょうか?」


「遅いぞ! 早く部屋に入り、この者を始末しろ!」


「…………」


「なぜ返事をしない! 早くこの者を……」


「ああ、『子供』が悪戯で警報の魔道具を鳴らしてしまっただけよ」


「そ、それでしたら良かったです!」


「……なっ!?」


 屋敷の主ではなく、アオイの言うことを聞く護衛。


「ああ、それと……」


 そう言いながら、右手に宿した魔法を部屋の壁へと放つアオイ。


 それは、ただの魔力の塊を放ち、命中すると相手に衝撃を与えるという、初歩のマジックアローと呼ばれるもので、破壊力は微々たるもの。


 そんなマジックアローが……


 ──ズガァァァアン!


 ……轟音と共に、壁を粉砕する。


 その破壊力は、二つ隣りの部屋まで届き、護衛達が詰めている部屋の中が顕わになる。


「ひぃっ!?」


 部屋の中から聞こえてくる男の悲鳴。


 よく見るとそこには、負傷している者、恐怖に震えるものが、部屋の隅で一か所に集まっていた。


「今からお客様が来るらしいわ。貴方のような下品な輩がいたら失礼になる。あっちの部屋の無能で下種な連中と一緒に、何処へでも消えなさい」


「は、はい!」


 そう言いながら、扉の向こうの気配が消える。


「ああ、でもその前に……」


 指から、ふたつ隣りの部屋で蹲る男に、マジックアローを放つアオイ。


「ぎぃやあああっっ!」


 激痛のあまり、絶叫をあげる護衛のひとり。


 部屋の壁が崩壊したときに、悲鳴をあげてしまった者だった。


「……そこの男。声を上げることは許さないと言わなかったかしら?」


「お、おゆるしくだはぁいいぃ!」


 口が閉まらないのか涎を垂れ流しながら、懸命に許しを請う護衛。


 その体に、目立った外傷はない。


 面白半分で人を拷問したことがあるランドルフだが、何をされたか分からないのに、拷問をされた以上に心が折れている人の姿は、未知の恐怖を感じた。


「言い付けを守ることができない無能な者は、どうすると言ったかしら?」


「おゆるしくだ……おゆるししくだはぁいいぃ! こんどまほうをぉ、くふりをつかわれたぁら……おでは……おではぁぁ……!」


「まあいいわ。今は子供の相手で忙しいから、早く消えて」


「は、はいぃぃ!」


 そう言いながら、体を引きずるようにして、我先にと逃げていく護衛たち。


(……な、何が起きているのだ?)


 足の激痛を忘れるぐらい、呆然とするランドルフ。


 なぜ護衛は、自分ではなくこの女の言うことを聞く。


 ここの護衛は選りすぐりの猛者であり、返り討ちにあうなどありえない。


 いや、返り討ちにあったとしても、この屋敷には他にも衛兵がいる。


 魔道具による異変の知らされているし、ここで大声をあげている護衛がいるのに、なぜこんなにも屋敷は静かなのか。


(いったい……何が…………)


 頭の処理が追いつかず、目の前の事が理解できない。


 いや、正確には理解しているのだが、認めたくないのだ。


「さて、お茶の用意は終わったけど、お客様たちはまだかしら?」


 ――この館は、既にこの女に落とされている。


 自分は今、絶体絶命だという事実を。


「いい気になるな! お前の過ちを、まだあるのだぞ!」


「お聞きしましょう」


 扇を開き、仰ぎだすアオイ。


 その顔は、明らかに子供の相手を仕方なくしている、という顔だった。


「そこにある証拠は、なんの意味もない! 私の真実の宣言が映った魔道具を証拠とするのだろうが、国に認定されていない魔道具は法的証拠にならない!」


その言葉を聞き、うんざりとばかりにアオイはまたスマホをランドルフに向ける。


『スマホ……面白い魔道具ですね。貴女の使う、ありえないマジックアローと一緒に登録しておきましょう。そんなものを人前で使われたら、騒動になりますからね』


「……っ!?」


 ――静寂。


 スマホから流れ出した音声の声により、先ほどまでの空気が一変する。


 スマホから流れた声は、ランドルフもよく知る声だ。


 ――ヴラム・アルカード。


 公爵である自分に唯一対抗できる権力を持つ、魔族領を修める者にして、国の宰相。


「一応伝えておくけど、この音声は、数日前に録音したもの。スマホはもう、国に認定された魔導具よ」


 そして、ヴラムが魔法と認定したということは、法的な効果を持つということ。


 それでもランドルフは、なんとか反論しようと口を動かす。


「ヴ、ヴラムが貴様のような、一介の執事と面会するなどありえん! その音声は偽物だ!」


『いえいえ、週に一回程度、日本茶とお煎餅をご馳走になりに行ってますよ。レムリア嬢の顔も見たいですしね』


「……え?」


 スマホから流れてくる声に、唖然とするランドルフ。


 この魔道具が……いや、魔道具に移っているヴラムが、自分に対して話しかけてきたのだ。


『ご機嫌よう、ランドルフ公爵。貴方と話すのは、1ヵ月ぶりでしょうか』


「な、なぜ……?」


『何故と言われても、これがスマホだからとしかお答えできませんね。私が受け取ったものは、アオイさんの簡易版らしいですが、どういう理屈でこちらと、そちらの映像と音声が伝わっているのか、見当がつきませんから』


 スマホの向こうで、陽気に笑うヴラム。


 そして鋭い目になりながら、ランドルフに現実を伝える。


『……先程アオイさんからありましたが、改めて言いましょう。このスマホと魔道具は、既に私と国が認定しています。その為、録音された音声は法的な証拠として適応されますよ』


「……っ!?」


『それで、アオイ嬢。本当に私は、そちらに行かなくてよいのですか?』


「あとはこちらで対処しますので、問題ありません。」


 そう言いながら、またしても右手に魔力を集めるアオイ。


 魔力は無数の塊に分かれていき、窓や、周りの壁を破壊する。


「ひぃぃぃ!」


 ついに、悲鳴を上げるランドルフ。


 その破壊力の前に、勲章も、美術品も、名工の家具も、全てが粉砕されていく。


 そして、粉砕された場所から、黒い蝙蝠が姿を現す。


「……この蝙蝠たちと一緒に、お引き取りくださいませ」


『……まったく。貴女が敵でないことを祈ります』


 ヴラムが指を鳴らすと、蝙蝠たちが消えていき、同時に通話が切られる。


「……ストーンバレット!」


 もはやこれまでと思ったのか、ランドルフが魔法を放つ。


 ランドルフとて、魔法を使える貴族の一員であり、腕前もかなりのものだ。


 ストーンバレットは石の塊を放つ魔法であり、すぐに放てるだけでなく、人の頭を簡単に砕く程の破壊力を持つ、中級魔法だ。


 ――ギィィン!


「なっ!?」


 だが、石の塊はアオイに当たる寸前で、粉々に砕け散る。


 防御魔法である、マジックシールドだ。


「……ならば!」


 次の行動に移るために、両手を突き出すランドルフ。


 ストーンブラスト。


 ランドルフが使う最強の魔法であり、『魔抜け』ならば50人は葬れる土の上級魔法。


 本来、屋敷で放つような魔法ではないが、ランドルフは迷うことなくこの魔法を使おうとするが、その魔法は放たれることはない。


「……え?」


 アオイが両手に持っていた金属の筒……『葵』の故郷では銃と呼ばれているものから、ズガァンという破裂音が鳴った瞬間、マジックアローよりも圧縮された魔力が放たれ……


「ぐあぁぁぁあ!」


 ランドルフの両手に、穴が開いていたからだ。


「……たしかに、詰めが甘かったわね。公爵にまでなった者が、ここまで往生際が悪いとは。あの子の体に、人を撃つなんていう変な事を体験させちゃったじゃない」


 まあ、あの子も私の体で好き勝手やってるし、反省しつつ次に活かすということで、ここは開き直りましょうか、と訳の分からないことを言いだすアオイ。


 ランドルフは徐々に、現実を理解していく。


 もはや言い逃れはできない、しかもヴラドに全て知られている、この屋敷の主は自分ではなくアオイになっていること、そして力でも敵わない。


 打開策がないことを知り、徐々に絶望に堕ちていく……皮肉にもそれは、ランドルフが今まで、自分に逆らってきた者にした事だった。


「わ、私を処罰してみろ! この国は間違いなく戦争になるぞ!」


「……」


 これが、ランドルフの最後の策であり、アオイに言った最後の重大な過ちだ。


 切り札と呼ぶにはあまりにも情けないが、これは事実だ。


 ランドルフが失脚すれば、領土は没収となり、他の公爵達に分けられる。


 だが、今の公爵達は強欲であり、分けられた領土に不服を申し立て、奪い合い、そして戦争となる。


 そして、それを止めるために国王が討伐軍を出せば、公爵たちは同盟を結んで国王を迎え撃つ……最悪の場合は王国が崩壊し、平和な時代は終わりを迎えるだろう。


 ランドルフの不正を見つけた者が見て見ぬふりをする最大の理由でもあり、これも平和のためなのだという、免罪符にもなっている。


 だが、そんな事は、もちろんアオイも知っている。


「でしょうね。だから私は、貴方を告発する気はない。もちろんその事は、ヴラムも承知しているわ」


「……っ!」


 ――勝った! 


 その言葉を聞いた瞬間に、頭に浮かんだ言葉はこれだ。


 自分を処罰できる者などこの世にいない。


 この場を切り抜けさえすればどうとでもなる。


 適当な罪をでっちあげて、この女を牢獄送りにすればいいのだから。


「……ふふっ、物分かりがいいようだな。では、早くこの場を去るがいい」


「……」


 黙るアオイを見て、改めて勝利を確信するランドルフだったが……


「何をするのです! 離しなさい、この無礼者!」


「いいから歩け! この罪人が! ランドルフ様、火急の用ゆえ失礼を……な、なんだこの部屋は!?」


 それが、勝利でもなんでもないことを思い知ることになる。


「騎士団の皆様、私が皆様に連絡した者です」


「おお、あなたが……ヴラム様よりお話は伺っております」


(……な、何が起きているのだ?)


 先程と同じように、状況がつかめなくなるランドルフ。


「あなた! この無礼者たちをなんとかしてください!」


「黙れ! 偉大なる公爵であるランドルフ様を汚す毒婦が!」


 自分を助けにきたわけではない騎士団、捕縛された妻のティオル。


 この全てが理解できない。


「この部屋は魔法の暴発事故ですのでお気になさらず。それより、ティオル様が、ランドルフ様の名を語り、行った悪行の証拠はこちらです」


「……確認しました。なるほど、これは大事件となりそうですね」


 自分がした事の証文を、妻の悪行として提出される。


「な、なんの事です!? 私は何もしていな……」


「それと、ティオル様による使用人虐待や、不貞、姦淫などの証拠はこちらです」


「そ、それをどこで……!?」


(なにが……おきて……)


 妻の行っていたことなど百も承知なので、どうでもいい。


 だが何故、自分の罪を妻が犯したことになるのだ。


「……なんだか、ラズリーの事を思い出します。あの事件も、公爵様がしたという悪事が公表されましたが、実際はラズリーがやった事だったとか。……今回も、公爵様は、『誰かに罪を擦り付けられた』という事ですね」


 そう言いながら、ランドルフに冷たい目を向けるアオイ。


『もう何度もやってきたでしょう? 誰も疑わないわよ』


 その目はそう語っていた。


(こんなところで……このわたしが……)


 自分を人として見ていないその目を見て、ランドルフは今度こそ悟る。


 勝利など最初からなかった事を。


 全てが、アオイの手の平の上で転がされていた事を。


「ヴラム様にお伝えください。ランドルフ様は、今回の件の責任として、私財と領地、そして当主の座をレムリア様に継承。公爵の地位も党首の座も、レムリア様が成人になり次第に継承するとの事です」


「な、なんですってっ!?」


「そ、それは国家の一大事ですぞ!」


「ランドルフ様も苦渋の選択ですが、愛するティオル様の罪は自分の罪と仰って……本当に、偉大なる公爵様ですね」


 全員の目線が、ランドルフに向く。


「ひっ!?」


 その中の一つである、氷のような殺意が込められたアオイの目線に恐怖するランドルフ。


「先程の内容を記した書類を用意いたしました。ランドルフ様、こちらに署名を」


 宣言書ともいえる書類と、ひとつのメモが差し出される。


「あ……あ……!?」


 その内容を見て、逆らうだけ無駄だという意思が生まれ、恐怖とも絶望とも違う、虚無ともいえる顔になっていくランドルフ。


 悪魔との契約とは、まさにこのような事を言うのだろう。


 ここに署名するということは、『命だけは助けてやる』という意味だ。


 公爵の地位はレムリアの成人まで残るが、その給金はルーゼンシュタイン家の当主であるレムリアに支払われる。


 そして自分は、領地も資財も失う、つまりは無一文だ。


 自分に利用価値がある間は、レムリア……いや、アオイのおこぼれで、細々と生きていく事になるだろう。


 だが、その先は……


「う……あぁ……」


 署名する理由なんてない。


 なんだったらここで騎士団に、全てアオイが仕組んだと言えばいい。


 だが、それはできない。


 その理由は、宣言書と一緒に渡された1枚のメモ。


 そのメモには、短い文章がいくつか記されており、『この館の人間全てに呪いをかけている』、『呪いは私の意思で発動できる』、『その効果は、まともな言葉を離せず苦しんでいた護衛で察しろ』、そして……


 『私はこの世界が、戦争で滅びようが、魔王に滅ぼされようが、どちらでも構わない』


 そう書いていた。


「……うわあぁぁぁ~~!」


 アオイから宣言書を奪い取り、狂ったように宣言書に署名する。


「あ、あなた! 何故ですか!」


「黙れ! 全て貴様がやった事だ! そうなんだよ!」


「何を言うの! そこの証拠とやらに書いてある事は、全てあなたがやった事でしょう! 気に入った令嬢を盗賊団に襲わせて誘拐し、地下室で弄んで飽きたら盗賊団に渡していたのを、私は見たわ!」


「自分の罪をなすりつけるか、この毒婦がぁ!」


「お、お前ぇ~~!」


 言い争うふたりの貴族。


(……醜い)


 そんなふたりを見ながら、心の中でつぶやくアオイ。


 片方は、王国で最大の力を持つ公爵。


 黒い噂はもちろんあったし、そのやり方は褒められたものではないが、その手腕で領土を、そして王国を発展させた者。


 片方はそんな公爵を支える公爵夫人。


 内面は褒められたものではないが、そのしたたかさは本物であり、ある意味では、貴族社会を生き抜く最も強い女性。


(この人たちの視界に、私は入っていなかった。この人たちに、認めてほしかった……)


 昔の気持ちを思い出すアオイ……いや、レムリア・ルーゼンシュタイン。


(……本当に、昔の私はどうかしていた。)


 だが、今はそんな自分に反吐が出る。


 女性蔑視の変態野郎と、虎……いや、豚の威を駆るサディストの女狐に認められたところで、なんの意味があるというのだ。


「ランドルフ様たちは、錯乱されているようです。事情聴取もあるでしょうし、ふたりともお連れください」


「分かりました。おい!」


「はっ!」


 その言葉に、動き出す騎士団。


「お前だけは許さない! 呪ってやる……殺してやる!」


「ひ、ひぃ! 呪うな……殺すな……あぁ、私を見るなぁぁ~!」


 最後まで、醜く、そして錯乱しながら、二人は連れていかれた。


 おそらく、もう会うことはないであろう二人をアオイは見つめる。


 その目は、先ほどまでの冷たい目ではなく……


(さようなら、お父様……お母様……)


 ――少し、哀愁を帯びていた。


////////////////////////


「……戻ったわ」


「あ、お帰りなさいませ、アオイ様!」


 いつも冷静で、立ち振る舞いも優雅なラズリーが、慌てて走ってくる。


「館での話は聞きました。ランドルフ様とティオル様が……」


 ラズリーが落ち込んでいるのは、少し意外だった。


 ラズリーはランドルフに陥れられ、人生を滅茶苦茶にされている。


 もっと喜ぶかと思ったが……


「……レムリア様が気を落とされないか心配です」


 ……ああ、なるほど。


 相変わらず、あの子命なのね。


「安心していいわ。あの子は両親のことを気にするような事はないし、ルーゼンシュタイン家は当主が変わるだけで存続するから、この屋敷で暮らす者の雇用もそのままよ」


「あの子……?」


 雇用が保証されるという素晴らしい情報には目もくれず、別の情報を拾い、少しだけ目から光彩が消えるラズリー。


 無意識にあの子と言ってしまったのは私の失態なのだが、あの子がいつもやらかす事に比べればましだろう。


 それに、私とあの子の関係を察して、少し悔しそうにもしているラズリーを見るのは、なぜだか気分がいい。


「それより、そろそろあの子が帰ってくる頃でしょう。報告も私がやっておくから、食事の準備をお願い」


「……はい」


 私のあの子発言に、未だに納得がいかないのか、ゆっくりと去っていくラズリー。


 そんなラズリーを見送りながら、今後のことを考える。


「これで、レムリアを縛る鎖はなくなった……私がこの世界に戻ってきた理由のひとつは完了ね」


 そんなことを思いながら、出迎えの準備をしようと動き出したとき、胸ポケットからメモが落ちてくる。


 ランドルフに見せた、あのメモだ。


「……」


 なんとなく、そのメモを見直す。


「館に人がいなかったのは、護衛達に追い出させただけ。呪いはただの筋肉弛緩剤と自白剤。それなのに、あの豚は信じていたわね。本当に愚かだわ」


 そして、最後の一文を見る。


 ――私はこの世界が、戦争で滅びようが、魔王に滅ぼされようが、どちらでも構わない。


「……」


 この一文も、他と同じでランドルフを追い込むために書いたものであり、真実ではない。


 現に私は今、あの子と一緒にこの世界が滅びないよう、グッドエンドを目指している。


(でも……私は……)


「戻りまし……あ、アオイさん! ただいまです!」


 挨拶をしながら、あの子が犬みたいに、パタパタと走りながら近づいてくる。


 極度の人見知りで初対面の人間には殆ど話せないくせに、一度慣れると急に態度が変わるので、本当に行動が読めない。


「……もっと優雅に」


「あ、えっと……ただいま戻りましたわ!」


「10点ね。100点満点で」


「そ、そこまで低いんですか!?」


「まあいいわ。それより、色々と話したいことがあるから、着替えてきなさい」


「あ、あの……そろそろ、一人で着替えさせてほしいんですけど」


「ダメよ。メイドや執事の仕事を奪うのは許さないし、それにパーティードレスをひとりで着ようとしたときみたいに、服を台無しにされたら迷惑だしね」


「い、いい加減、それ忘れてくださいよ~!」


 そんなやり取りをしながら、あの子に気づかれないように、魔力をシュレッダー変わりにし、メモをバラバラにする。


 ──グッドエンドを目指す。


 そう決めたのは自分なのだから、私はただ前に進むだけ。


 そんな事を思いながら、レムリアを引っ張るようにしつつ、部屋へと向かうのであった。

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