第35話 過去との対峙

アルマは一枚の肖像画の前に立った。

そこに描かれた女性は赤髪に緑の瞳。アルマの母、ユードラ・ミルネール︎そっくりに描かれている。


子供の頃、アルマは両親に無邪気に尋ねたことがある。どうして自分は二人に似ていないのか、と。

二人は一瞬黙ったが、侯爵夫人は「アルマは亡くなった私の母に似たのよ」と答えた。

そのときのアルマはそういうものか、と納得しそれ以上深く考えなかった。


……しかし。


「この絵……お母様じゃないわ」


この肖像画が描かれたときの侯爵夫人の年齢を考えても、身に纏うドレスや髪型は当時の流行とは異なっている。


アルマは肖像画をひっくり返した。そこに書かれた名前は『シーラ・オリヴィエ』。アルマの母方の祖母の名前だ。

侯爵夫人は母親と瓜二つなのだ。つまり、アルマが祖母と似ている、なんていうのはとっさについた嘘だったのだ。


(やっぱり、私はこの家の人間じゃないのね……)


そのとき、複数の足音が近付いてきて扉が開かれる。アルマはゆっくりと振り返った。


「アルマ、こんなところにいたのね」

「お母様、お父様……」

「おかえりなさい。疲れただろう。応接室にお茶を用意したよ。そっちに移動しよう」

「……ええ」


応接室に辿り着くと、既に紅茶や茶菓子が用意されていた。どれもアルマの好きなものばかりだ。


しばらく外にいた娘が突然帰ってきても、二人は変わらずアルマを迎え入れてくれる。

昔からずっとそうだった。この人達はいつも優しい。温かさに触れて、アルマは今更怖気付いた。

黙っていればずっと同じ関係でいられるはずなのに、それを自ら壊すのは愚かなのだろうか。


「……キーランは?」

「部屋にいるはずよ。呼びましょうか?」

「ううん。いいの」


三人はしばらく他愛のない話をして過ごした。アルマはレリュード侯爵邸での日常を話し、夫妻はアルマがいない日々での出来事を語る。

そうやってズルズルと時間を引き伸ばすうちに、ますます言い出しづらくなっていく。

アルマは意味もなく紅茶を口に含んだ。


「……アルマ。何か話でもあるのかい?」

「えっ?」

「さっきからソワソワしているみたいだし」


鋭い。

侯爵の言葉にどきりとして、アルマは紅茶をソーサーの上に置いた。

アルマは腹を決めた。


「うん。実は、聞きたいことがあって」

「なんだい?」

「私ってこの家の子じゃないの?」

「……!」


二人の顔に動揺が広がっていく。


「アルマ、どうして……」

「教えて。本当のことを」


アルマの瞳から確固たる意志を読み取り、二人はごくりと生唾を飲み込む。

やがて、侯爵は「わかった」と頷いた。


「あなた……!」

「頃合いだろう。君から話してくれるか?」

「……。……そうね。わかったわ」


侯爵夫人は気後れした様子だったが、やがて心を決めたようだった。

そして、静かに話し始めた。


「……私には親友がいたの」


彼女の名前はメグ・ラウラーソン。ラウラーソン伯爵家の令嬢だった。

緩く波打つ金髪にサファイアのような青い瞳。メグは可憐な容姿に加えて明るく活発な性格をしており、春の日差しのような人だった。

元々引っ込み思案だったユードラにとってはその明るさが羨ましく、愛おしかった。


ユードラとメグの間には長い間親交があったが、あるときパタリと連絡が途絶えた。後にメグの乳母が、彼女は駆け落ちしたのだとこっそり教えてくれた。

自分に何も教えてくれなかったことを少し寂しく感じたが、自由奔放な彼女らしいとも思った。

……それきり、メグと会うことはなかった。


そして時は流れ――ユードラはミルネール侯爵家に嫁ぎ、息子のキーランが生まれた。

そしてキーランが生まれたその年、メグは突然侯爵邸を訪れたのだ。まだ幼い娘を連れて。

久々に会う親友は酷く焦った様子だった。


『どうかこの子をお願い。貴女しか頼める人がいないの』


そう言ってメグは深く頭を下げた。

ユードラは当然戸惑った。今までどこにいたのか、彼女の身に何が起こったのか。聞きたいことは山積みだった。

それでもあまりに切実な態度に心を動かされ、最後には願いを受け入れた。

すると彼女は懐かしくも美しい笑顔を浮かべた。


『ありがとう。ユードラ』


……そして、それがメグを見た最後となった。


「時間がないと言っていたから、きちんと事情を聞くこともできなかった。だけど、メグはアルマを置いていくことを本当に悔やんでいたわ。きっと、やむを得ない事情があったのよ」

「そんな……ことが……」

「そしてメグはあのペンダントを貴女に残していったわ。『おまじない』がかかっているから、もう少し大きくなったら渡して欲しいと言われたの」

「ペンダント……」


あの星の涙のペンダントは実の親からの最後の贈り物だったのだ。

そう思うと、砕けてしまって手元に残っていないことが悔やまれた。


「前に、ペンダントについて聞かれたとき、元の持ち主を知らないと誤魔化してしまったわよね。嘘をついてごめんなさい」

「お母様……」

「……貴女はメグにそっくりだわ。見た目だけじゃなく、中身も。私の大好きな親友によく似て、とっても素敵な子よ」


そう言って侯爵夫人は微笑む。


「アルマ。貴女は私たちの大切な娘よ。その事実だけは何があっても変わらない。私たちの元に来てくれたときから、ずっと貴女を愛しているわ」

「……!」


アルマの瞳に涙が浮かぶ。

それを見て、それまで静かに見守っていた侯爵も優しく語りかけた。


「もちろん私も愛しているよ。アルマ」

「お父様……、うっ……」


ぼろぼろと涙が零れだし、アルマは両手で顔を覆った。それでもとめどなく涙が溢れ、嗚咽が止まらなくなる。

そのとき、温かな感触がアルマを包み込んだ。顔を上げると、侯爵と侯爵夫人が左右からアルマを挟んで抱き締めていた。


その温もりで胸がいっぱいになる。

見た目は子供でも中身は大人だ。それなのに子供のように泣きじゃくるアルマを、二人はあやすようにいつまでも抱き締め続けていた。

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