第25話 〈魔女〉の少年1

「……ま、魔女?」

「うん」

「男でしょ?」

「魔女の血を引く男もごく稀に魔力を持つ場合がある。それで便宜上魔女って名乗ってるだけ。他の呼び方を知らないから」

「魔女……本物の……」


ごくりと喉が鳴る。

アルマは食い入るようにその少年を見つめると、ぱあっと瞳を輝かせた。


「魔女って本当に居たのね! わぁ……すごい! 初めて会ったわ!」


アルマははしゃいで少年のまわりをぐるぐると回る。少年はその様子を黙って眺めていたが、小首を傾げた。


「何言ってるの。あんただって魔女でしょ」

「違うわよ。私は普通の……」

「そんなに魔力の痕跡をベタベタと残しといてよく言うよ」

「痕跡?」


そのとき、少年の左耳のピアスがキラリと輝く。少年の瞳と同じ琥珀色の宝石だ。


「消しといてあげる」


少年がそう言うと同時に、すうっとアルマの周囲を新鮮な空気が流れていくような気配がした。

見た目は何も変わらないのに、辺りを漂っていたものが洗い流されたようだ。


「今、何を……」

「消したんだ。魔力の痕跡を。これからは自分で調節したらどう。魔力に目覚めたての子供じゃないんだから……」


言っている意味はよくわからないが、馬鹿にされている気がする。アルマは唇を尖らせた。


「見ての通り私は子供だもの」

「あんた子供じゃないでしょ」

「えっ!?」


どうしてわかったのだろう。

ポカンとしたアルマを見て、少年は不思議そうな顔をした。


「あんた魔女のくせに何も知らないの? それでどうやって今日まで生きてきたの?」

「だから私は魔女じゃ……」


そのとき、少年の肩の上で猫が鳴く。少年は「うん。そうだね」と返事をすると塀の方に身体を向けた。


「誰か来る。場所を変えよう」

「え? どこに……」


少年がレンガ造りの塀に触れると、突如として真っ黒な扉が現れた。

少年は躊躇いなくその扉を開き、中へと足を踏み入れた。


「着いてきて」


(これも魔法……?)


アルマも少年の後に続いて扉をくぐる。扉が閉まると同時に扉はふっと消えて、何の変哲もない塀に戻っていた。


***


扉の向こうは真っ暗だった。

しかし一つ瞬くと、暗闇に火が灯るように景色が広がっていく。

そこはどこかの民家のようだった。物が少なく殺風景な部屋だ。


「ここは?」

「僕の今の隠れ家……かな」

「……隠れ家……」

「悪いけど、大したおもてなしはできないから期待しないでね」

「それは構わないけれど……」


少年は脱いだローブを椅子の背に引っかける。下に着ていたのは黒のタートルネックに黒のトラウザーズ、そして黒のブーツだった。

少年が椅子に腰かけると、黒猫は少年の肩からテーブルに飛び移り、テーブルの上で伸びをした。


(何だか不思議な子ね……)


アルマは改めて少年の顔を見た。

表情が薄く、なんだか眠そうに見える目をしている。

歳を尋ねると十七歳だと答えたが、童顔と華奢な体つきせいか実年齢より幼く見える。成長期真っ盛りのキーランと比べてもとても同い年とは思えなかった。


「……それで。僕を追いかけてまで何を聞きたかったの?」


少年は長めの襟足を触りながら返事を待つようにこちらを見ている。アルマは少年の向かいに座った。


「さっき、私を魔女だって言ったけど、それは勘違いだと思うわ。私が魔法を使えたのはペンダントの力だから」

「ペンダント?」

「そう。ちょうど貴方の瞳みたいな、琥珀色の宝石のペンダント……」

「……ああ。〈星の涙〉ね。これのことでしょ」


少年は黒髪を耳にかける。左耳には琥珀色の宝石のピアスがあった。


「そう! それと同じ宝石だったわ」

「この石自体に魔法はかかってないよ。これはあくまで魔力の触媒。自分の魔力をコントロールするために使うんだ」


黒猫はテーブルの上を歩くと、少年に身体を擦り付ける。少年はその身体を撫でながら話を続けた。


「魔力は魔女の身体の中に宿るから、簡単な魔法を使うだけなら星の涙がなくても問題ない。あんたが使った魔法はあんた自身によるものだ。ペンダントは関係ない。……つまり、君は魔女なんだ」

「魔女……。私が? 本当に……?」

「あんた、何歳?」

「十九よ」

「その年まで魔力を自覚できない魔女なんて珍しいな。本来、魔女は十歳までに魔力が顕現するはずなんだけど……」


そう言いながら、少年はアルマの額にツン、と人差し指で触れた。すると少年はすぐさま合点がいったような顔をした。


「なるほど。あんたの魔力は長い間眠ってたみたいだ。どうやら他の魔女が意図的にあんたの魔力を封印してたみたいだね」

「他の魔女? 一体誰が……」

「さあ。さすがの僕でもそこまではわからない。ただ、何かが引き金となってその封印が解けたらしい。例えば――命の危機に瀕した、とか」

「!」


アルマは瞠目した。

そう言われて思い当たるのは一つだけだ。


「あなたの言う通り、私、一度死にかけたの。シンクレア邸の夜会で、爆発に巻き込まれて……」

「シンクレア?」

「ええ。シンクレア伯爵家の。……それがどうかした?」


何故か少年がみるみる険しい顔になっていく。何かが引っかかるようだ。

やがて、少年は静かに目を伏せた。


「……そう、あんたもあの場所に居たんだ」

「まさか貴方も?」

「そう。僕もあそこにいたんだ。魔女であるシンクレア家の娘に会うためにね」


(娘って、確か……)


シンクレア伯爵家は貿易で莫大な利益を上げている貴族家だが、伯爵夫妻は子宝に恵まれず、親戚筋の子供を養子として迎え入れたと聞いた。

娘の名前はマルヴィナ・シンクレア。まだ十四歳だが、才覚に恵まれ、将来を嘱望されていたようだ。

アルマは軽く挨拶を交わしたことがある程度だが、しっかりした子だという印象を受けた。


「マルヴィナは魔女であることを隠して、伯爵夫妻を欺き続けることを苦痛に感じていた。だからあの夜、僕は彼女の願い通り彼女を遠くに連れ出すつもりだった。だけど」


そこで言葉を区切ると、少年は顔を歪めた。表情に乏しいとすら思っていた彼の顔は、今は辛苦に満ちていた。


「邪魔された。多分、彼女じゃなくて僕を狙ったんだろう。……彼女は賢い娘だった。あんな場所で死ぬべきではなかった。全部、僕のせいだ……」


そう言ったきり、少年は俯いた。

黒猫は少年を見上げ、慰めるようにみゃあみゃあと泣いた。


「……うん。平気だよ。アンジュ」


(シンクレア嬢はあのときに亡くなっていたのね……)


アルマの記憶は爆発の瞬間までしかないが、屋敷の一部が倒壊したと後に聞いた。そしてアルマの他にも行方不明者がいるとも。それがマルヴィナだったのだ。


「あんたまで巻き添えにしていたんだね。全て僕の不手際だ。本当にすまない」

「貴方に怒ったりはしないわ。話を聞く限り黒幕がいるんでしょう。犯人に心当たりがあるってこと?」

「うん。……その前に、自己紹介がまだだったね」


黒髪を揺らし、少年はアルマを真っ直ぐ見据えた。


「ヨアン・ブラックフォード。それが僕の名前だ」

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