第26話 〈魔女〉の少年2
「ブラックフォード……!」
アルマははっとして少年――ヨアンの顔をしげしげと見た。ギディオンと同じ黒髪だ。あそこの一族は直系に近いほど黒髪が多かったはずだ。
「魔女狩りの一族の子が……魔女?」
アルマが率直な感想を述べると、ヨアンは無感情に「そうだよ。可笑しいでしょ」と答えた。
黒猫は二人の会話を聞くのに飽きたのか、テーブルから降りて棚に登った。その様子を眺めながらヨアンは話を続ける。
「僕の母はブラックフォード家に捕まった魔女だった。だけど、あろうことか前ブラックフォード公爵は母に恋をしたんだ。そして生まれたのが僕。だからお兄様は僕を心底憎んでいるんだよ。魔女と恋をして子供までもうけるなんて、一族の恥でしかないから。僕を殺したくて仕方がないみたいだから、僕はずっと逃げ回ってるってわけ」
「お兄様、ってまさか」
「現ブラックフォード公爵の、ギディオン・ブラックフォード。それが僕の兄だ」
その名前を聞いた途端、アルマはびっくりして立ち上がった。
「ブラックフォード公爵!? あのロリコン男……!?」
「ロリ……何?」
「なんでもないわ」
アルマはさっと着席した。自分の中で変なイメージが付いているだけで、別にギディオンはロリコンではない。……多分。
「そういえば公爵が言ってたわね。ヨアンを探しているだとか何とか」
「へー、お兄様に会ったんだ。魔女を取り逃がすなんてらしくない。あんた、よく生きて帰ってこれたね」
「運が良かったのよ」
実際、エイベルが迎えに来なければ殺されていたはずだ。あのぞっとするほど恐ろしい男と、目の前の大人しそうな少年が兄弟だとは信じ難い。
そこでまだ名乗っていなかったことに気付いて、アルマはにこりと微笑んだ。
「私はアルマ。アルマ・ミルネールよ。よろしく、ヨアンくん」
「アルマね。よろしく」
そのとき、黒猫が棚の中の本を次々落としていくのに気がついてヨアンは席を立った。
ヨアンが近付いても、黒猫は本をどかしてできたスペースの中で堂々と寛いでいる。大した度胸だ。
「それでね、ヨアンくん。知りたいことがあるんだけど……」
「何?」
「ヨアンくんはさっき子供の姿から大きくなってたでしょう? 私も元の姿に戻りたいんだけど、方法を知らないかしら?」
ヨアンが黒猫を抱えあげようとすると、黒猫はするりと腕を抜けて逃げていった。現行犯での確保に失敗してヨアンは残念そうな顔をした。
「そもそも、どうして子供の姿になったかはわかってる?」
「いいえ」
「……魔女一人が扱える魔力量には個人差がある。容器のサイズによって中に入る水の量が違うのと同じだね」
黒猫は小さな空箱を見つけてその中に身体を捩じ込んだ。自在に身体を伸縮させて上手いこと箱に収まり、ヨアンはふふ、と笑った。
「とはいえ、少し使っても魔力はまたすぐに貯まる。だけど、この容器がカラになるくらい一度に使ってしまうと――反動で一時的に子供の姿に戻るんだ。身体が省エネモードになっちゃうワケだね」
「じゃあ、ヨアンくんも最近魔法を使いすぎたってことかしら」
「少し前にお兄様に狙われて、ちょっとね。まあ、数日経ったからこうして戻ったけど」
「たった数日で元に戻れるものなの?」
アルマは首を傾げた。
アルマはもう長いこと子供の姿のままだ。一時的に大人に戻ったことはあったが、あれ以来大人に戻れていない。
そのことを伝えると、ヨアンは床に落ちた本を棚に戻しながら答えた。
「それは多分『容器』に欠陥があるせいだね。今のあんたはまるで穴の空いたバケツだ。魔力が貯まってもすぐに抜けていくんだ。だから扱える魔力量も少ないし、大人の姿にも戻れない」
棚を元通りにし、ヨアンは満足げに両手をはたいた。
「とにかく、大人に戻りたいなら魔力を貯める練習をすること。魔法を使って感覚を掴んでいくしかないね」
「……じゃあいつ大人に戻れるのよ」
「明日かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。もしくは一年後か……それとも十年後かも?」
「そんなぁ……」
「アルマのポテンシャル次第だね」
そのとき、箱の中で寛いでいた黒猫が箱から飛び出してきて、ヨアンの足元にすりすりと身体を擦り付けた。
ヨアンが黒猫を抱え上げると今度は腕の中で大人しくしていた。
「ハァ…………」
深い溜め息が聞こえてきて視線を戻すと、アルマは絶望を体現したような表情で悲嘆にくれていた。
「……そんなに大人に戻りたい?」
「ええ。私にとっては死活問題なの」
「そうなの?」
ヨアンは黒猫と目を合わせた。するとヨアンと同じ琥珀色の瞳が何かを訴えかけるようにじっと見つめ返してきた。ヨアンは「わかった」と呟く。
「アルマ」
「ん?」
アルマの目の前にはいつの間にかヨアンが立っていた。ヨアンはアルマの手を握った。
華奢な上にひんやりとして冷たい手だ。健康状態が良くないのだろうか。痩せていて背がそれほど高くないのも、公爵邸での扱いがよくなかったせいかもしれない。アルマはついそんなことを想像した。
「これは家に遊びに来てくれたお客さんへの手土産ね」
ヨアンが呟くと同時に、ピアスが小さく光を放つ。アルマの身体は光に覆われていく。
そして……。
次の瞬間には十九歳の身体に戻っていた。
「嘘……!」
「あくまで一時的なものだけどね。魔力を貯められないと根本的解決にはならないから」
「なんで全裸にならないの?!」
「……何の話」
アルマはくるりと回って全身を確認した。
確かに今日来ていたドレスだ。しかし、服のサイズも身体に合わせて変化しているようだ。
「前に大人に戻ったとき、服がビリビリになったのよ。なのに、今はどうして服のサイズが身体にぴったりなの?」
「そのへんも魔法でいい感じに調節すればいいんだよ」
「いい感じって何!?」
ヨアンは説明をしようと口を開きかけたが――言葉で伝えることができないと判断したのか、諦めたように一度口を閉じた。
「いい感じはいい感じだよ」
「わからないわよ……」
ヨアンは魔法の扱いに長けているようだが、先生としての才能はなさそうだ。アルマはそれ以上尋ねるのをやめた。
「ところで、お兄様に目をつけられたのなら今後はもっと用心しないと危険だ。それに僕は今、お兄様から逃げながら同胞の手助けをして回っているんだ。だからさ、」
ヨアンはさっと手のひらを差し出した。
「あんたも僕と来る?」
「へ……」
アルマはその手を見つめた。
まだヨアンの言っていること全てを理解できたわけではない。それでも、ヨアンと共にいれば得るものは多いだろう。
……だとしても。
「ううん」
アルマは首を振る。そして、淡く微笑んだ。
「私には一緒にいたい人がいるから」
「……そっか。わかった」
ヨアンはあっさり手を引っ込めると、その手で黒猫の喉元を撫でた。ゴロゴロと喉を鳴らすのが聞こえて、ヨアンは小さく笑う。
そのとき、黒猫が突然耳をぴんと立ててみゃお、と鳴いた。ヨアンは「うん」とそれに返事をした。
「そろそろアルマは帰った方がいいよ。あんたを探してる人がいるみたいだから」
「え?」
「アンジュ。案内してあげて」
そう言うと、黒猫はヨアンの腕を離れて扉へと向かう。そして、扉の前でアルマが着いてくるのを待つように背後を振り返り、しっぽを揺らした。
アルマは戸惑いながらも黒猫の後に続いた。
「何かあったら僕を呼んでね。バイバイ、アルマ」
ヨアンがひらりと手を振る。
遠ざかる声を聞きながら、アルマは扉をくぐり抜けていった。
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