〈14〉後宮の最下位妃、早く夜が明けることを祈る



 ♢♢♢


 目を覚ますと寝台に寝かされていた。


 ゆっくり顔を横に向けると、心配気にこちらを見つめていた春霞が、ホッとしたような顔になった。



「春霞。私……」



「苺凛様は湯あたりを起こしたんですよ、気分はどうですか?」



「ゆあたり……。のぼせてしまったの?」



「ええ。ちょうど洙仙様が宮殿にいらっしゃって。ここまで運んでくださいました」



 ええーっ⁉


 運ばれた……ってことは裸のまま⁉



 今はきちんと薄衣を纏っているが。裸を見られたことにかなり動揺する。



「風呂場でのぼせたんだぞ、まったく!」



 部屋の奥から不機嫌な声。見れば洙仙が水差しを抱えてこちらに歩いてくる。



「霊水を飲め」



 洙仙は卓の上の湯飲みに水を注ぐと、身体を起こした苺凛に差し出した。


 てっきりまた水を浴びせられるのかと思ったが。


 苺凛はそれを受け取り一気に飲み干す。


 すると洙仙はまた水を注ぎ、苺凛もまたそれを受け取ること五回、それは繰り返された。



「どうだ、少しは落ち着いたか」



 苺凛は頷いた。



「じゃあ次はこれだな」



「ふぐっ⁉」



 なにかが口の中に押し込まれた。



 それは丸くて冷たくて。


 甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。



(ヤマモモだ……)



「洙仙様! そのような乱暴はおやめくださいッ」



 春霞の注意にも平然とした顔で、洙仙はもう一粒を苺凛の目の前に出した。



「ほら、もっと食べろ」



「ひぶんれはべられまふっ」



 最初の楊梅をまだ飲み込んでいない苺凛は、もぐもぐしながら「自分で食べられますっ」と答えた。


 洙仙は無言で楊梅を器に戻すと春霞に言った。



「春霞、おまえは梠玖成のところへ戻れ。警備は心配ない。俺は今宵、ここに泊まる。梠玖成も承知済だ」



 春霞は驚いた顔をしたが、すぐに返事をして頷き、微笑みながら立ち上がった。



「では洙仙様、苺凛様。おやすみなさいませ」



「……ぁの、ちょっと。……しゅん、か?」



(え?え?───ま、待って⁉ どういうこと?洙仙がここに泊まる⁉)



 春霞は行ってしまった。



 苺凛は閉じられた扉を呆然と見つめた。




 そんな苺凛を気にする様子もなく、洙仙は椅子に座りそして言った。



「どうなることかと思ったが。昼間よりまともに咲いているじゃないか」



 洙仙の指先が伸びてくる。


 花に触れるのだと思って目を閉じたが、指先は苺凛の唇の端っこを突っついた。



「楊梅の色が付いてる」



 驚いて目を開け、苺凛は唇を手で拭う。



「ぁの……果物、ありがとう……」



「気に入ったか」



 苺凛が頷くと、洙仙の表情が和らいだように見えた。



「ねぇ……。私の聞き違いだと思うのだけど。さっきあなたここに泊まる、なんて言ってないわよね?」



「言った」



「なによそれっ」



「話は後だ、先に喰わせろ。ずっと我慢していたんだぞ」



(そうか、食事……)



 仕方なく黙ると、洙仙は苺凛の寝台へ身を乗り出した。



 ───な⁉



「ちょっと⁉」



 広さに余裕のある寝台だったが大柄な洙仙に入られるとたちまち狭さを感じる。



「心配するな。花を喰らうだけだ」



「───い、椅子に座ったままでも食べれるでしょ!」



「どういう食べ方をしようが俺の勝手だ。それにここに泊まると言ったろ。ここで寝るんだ。早く喰わせろ」



 痺れをきらしたような表情の中に苦痛が伝わる。



(もしかしてどこか痛むの? それとも苦しいの? 昼間食べてないから……?)



 洙仙のそんな顔に何も言えなくなり、苺凛は仕方なく目を閉じてじっと耐えることにした。



 短いはずの花の食事が、今夜はとても長く感じた。


 気配が離れたので目を開けると、洙仙はそのままごろんと横になった。



「逃げるなよ。ここにいろ。花の香も大事な糧となる。おまえもここで眠ればいい」



「どういうつもりかちゃんと話して」



「話?」



「さっき後で話すって言ったわ」



「そうか?覚えてないな。今日はもう疲れた……寝る」



「ええっ⁉」



(───なっ、噓でしょ?もう寝てるッ⁉)



 すぐ横で安定した寝息が聞こえる。


 その寝顔は驚くほど穏やかで優し気で。


 見ているとなんだかやけに鼓動が速く響いて落ち着かない。


 

 洙仙は眠ったのだ。何も心配することはない。



 私は薬。


 私は薬……私は糧でお薬なんだから!



 冷静になろうと心の中で呟いて、苺凛は仕方なく洙仙の身体に毛布をかける。


 そして自分はできるだけ離れて横になり、早く夜が明けることを祈りながら眠った。




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