〈13〉後宮の最下位妃、湯殿であれこれ考える



 梠玖成は話を終えると「まだ仕事があるから」と言って璃紫宮を後にした。


 春霞に見送りを許した苺凛は一人になった部屋でため息をついた。


 あんな話を聞かされるなんて。


 この花が洙仙の薬に?


 けれどまだぜんぜん不完全で不味いのだから薬の効能なんて期待もできないだろう。


 私はいったいどうしたら……。


 話の内容もそうだが、昼を過ぎても咲の遅い左側の霊仙花が心配になる。



「春霞、どうしよう」


 部屋へ戻ってきた春霞に苺凛は言った。


「洙仙が来るのに花が咲かないの」



 右側の霊仙花の開花も小さい。



「これから湯浴みをなさったらどうでしょう。それで気持ちを落ち着かせましょう。お風呂上がりの花はいつも色艶が増していますから」



 璃紫宮の浴場水は霊泉から引いている。



「……そうね」



楊梅ヤマモモは冷水で冷やしておきますね。お風呂上がりに召し上がってください」



「うん。ありがとう春霞」



 苺凛は頷いて湯殿へ向かった。



 ♢♢♢



「はぁ……」


 湯船に浸かると気持ちも少しずつ落ち着き、苺凛は梠玖成の言葉を思い出していた。


 薬のことや半龍人の病のこと。


 洙仙に言われたから話すのではないと梠玖成は言っていた。


 洙仙が自分からは言わないだろうとも。


 ───あの方はきっと自ら話すことはしないでしょう。弱音を吐くことなどしない方ですから。


 それって、つまり。


 洙仙は知ってるのだ。



 自分の中にとても恐ろしくて危険な性質があるということを。


 それを霊仙花という薬で抑えなければ、いつか妖気で心が染まり災いや滅びを招いてしまうかもしれないことを。


 

「だとしたら私、酷いこと言ってしまったわ」



 刺客に残酷な行為をした洙仙に、面と向かって人の心がないのか、と。



 霊仙花を求めるのにそんな理由があったなど知らなかったのだ。



 もしかして。

 

 横暴さや冷酷な態度が際立つのも、私が咲かせる花が不完全なせい?


 お腹が空いてるから、なんて理由ではなくて。


 薬としての効能が弱いからなの?


 洙仙は強い力が欲しいのだと思っていた。けれど本当は恐ろしい性質を抑制しなければならないから。


 機嫌が悪いのも私のせい。


 花がちゃんと薬として効いてないせいで……。


 考えは堂々巡り。


 気分が落ち込むばかりだ。


 洙仙にとって糧でもあり薬でもある霊仙花。


 半人半龍であるがために心と身体の調和を乱しやすい洙仙。


 そのために必要な薬。


 人の心と龍の霊力、それらの調和を保つもの……。


 人としての気持ちを忘れ、妖気に心が染まる病となったら。


 災いを呼び寄せ、やがては滅びる……。



(そんなのは嫌……)



 湯に浸りながらも苺凛は身震いした。


 災いなど起きてほしくない。


 けれど洙仙からはいつも冷たい負の感情が伝わってくる。


 霊仙花の糧を得て刃を握り砕き、その力に平然と笑ってみせたときや、刺客に対しての残酷な処遇を愉しげに話すとき。


 あんな感情を持たせてはいけないのだと思う。



 でも。じゃあ、あのときは……?


 以前、長椅子へ私を押し倒して、怖がるなと言ったあのとき。


 一瞬だけ、せつなくて苦しそうに歪んだ表情が見えた。


 私がそう感じただけかもしれない。


 でもそれは伝わってきたのだとも思える。


 私の恐怖心が洙仙に伝わるように、洙仙の感情が私に伝わったのだとしたら?


 憶測でしかないけれど。


 いつも怒ってばっかりで笑わないけれど。


 もしも……優しく温かく笑ってくれたら。


 洙仙だってきっとそういう一面があるはず。


 ……そう思いたい。


 頭の中に、なぜか意地悪な洙仙の顔ばかりが浮かんで慌て、苺凛は思考を中断した。



♢♢♢



 頭の中を空っぽにし、温かな湯に身体を浸しているのは本当に気持ちがいい。


 心も身体も安らいで溶けていくような感覚がある。


 いつも湯上がりに鏡を見ると花弁に潤いと透明感が現れたようになる。長続きはしないが春霞の言う通り花びらの艶が増す。


 もしかしたら、水分も影響あるのかな。


 そういえば。霊仙花が頭に咲くようになってから、やたらと喉が渇く。


 そのせいで苺凛は普段から多く水分を摂るようになった。


 けれど今日はいろいろあったせいか「食欲」ならぬ「水欲」が湧かなかった。


 水、そして心と花の咲き具合は関係しているのだろうか。


 そう言えば、采雅国の後宮にも霊泉はあったのだろうか。


 いくつかの疑問が頭の中で渦を巻く。


 梠玖成が言っていたように、霊仙花の栄養となるものが足りないのだろうか。



(そうだよね、花は水がなければ枯れてしまう。……そうだわ)



 苺凛はハッと気付いた。


 種や花びらも土からは芽吹かなかった。


 次の日に掘り起こしても花弁は跡形もなく消えていた。


 でも花には水が必要だ。


 私自身、水分をかなり必要としている。


 ならば水だけで育ててみたらどうだろう。


 霊泉水だけのときと、普通の井戸水と比べたり。冷水と温水に分けてみるのもいいかもしれない。何か変化があるだろうか。


 水の中で花弁を……。試してみたい、今すぐにでも。


 けれどこれから洙仙が食事に来る。準備する時間もない。



(仕方ない。……明日また頑張ろう!)



 自分にはまだ出来ることがある。


 可能性や希望が見つけられたことが素直に嬉しい。


 洙仙に言ったら、また無理だと言って怒られるだろうか。



 ───なによ。


 私に言ったくせに。何かを求めたことがあるかと。


 あのときは何もなかったけれど。


 自分で探して見つけ出したいと思うものが今ならある。


 薬の話には驚いたけど。


 それなら尚更、花を増やしたい。



「……あ」



 突然、両耳上に変化を感じて触れてみると、右側の花は形が大きくなり、左側にも花弁が溢れ出た。



(よかった……)



 霊仙花が咲き苺凛はホッとした。これで少しは洙仙の機嫌も良くなるといい。


 ───でも。


 私を怒らせたこと気にしていると梠玖成が言っていた。


 怒ってばかりで嫌な奴だと思っていたけど。


 反省する心があると判っただけで、洙仙への印象が少しだけ変わったような気がした。



「苺凛様、お湯加減はいかがですか?」



 春霞の気遣う声が聞こえた。



「うん、とても気持ちがいいわ。花も咲き出したの」



「まぁ! それはよかったですね」



「洙仙はもう来るかしら」



「はい、そろそろかと」



 さすがに身体が熱くなってきた。


 苺凛は立ち上がり大きく深呼吸して湯船を出た。



 ───なんだかふわふわする……。


 身体がよろけた。



(あれれ……?ふわふわして頭がくらくらしてる……)



 目を開けていられない。



「……苺凛様⁉ ───たいへん!大丈夫ですかっ!」




 駆け込んだ春霞に支えられたが、視界が暗くなり意識が遠退き……。



 最後に、洙仙の声が聞こえたような気がした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る