〈15〉後宮の最下位妃、正妃になることを求められる



 ♢♢♢



 翌朝、意外にも目覚めはスッキリとしていて気分が良かった。



「よく眠れたみたいだな」



 近い声に心臓が跳ねる。


 どうやら洙仙は苺凛より早く起きていたようだ。


 いつから寝顔を見つめられていたのだろう。


 恥ずかしさで顔が熱い。



(こっそり抜け出して長椅子で眠ればよかった!)



「おまえのおかげで今朝はずいぶん楽になった」



 意外な言葉に驚いて、苺凛は洙仙を見つめた。



「昨夜食べた花はまだ完全ではないが霊仙花に近い味だった。よく咲かせてくれたな」



 えぇっと! ───あのねっ。


 褒めてくれるのはいいけど。身体くっ付けて、いちいち耳元で囁かなくても!



 いつもより優しい声に調子が狂う。



「……朝はいつも辛いの? 食べないと苦しいとか?」



 花が不味いと体調も悪いのではないだろうか。



「心配してくれているのか?」



「ち、違うわッ。べつにっ。訊いただけ!」



 洙仙は曖昧な笑みを浮かべながら苺凛の花に触れた。


 大きな手の温かさが花を通して伝わってくる。



「……まだ怖いか?」



 一呼吸あけて苺凛は首を振った。


 怖いというよりも恥ずかしい。


 落ちかない緊張感。この気持ちは上手く言葉にできない。



「おまえを怖がらせると花に影響が出る。だから怖がらせたくない。でも俺はときどき人としての心を上手く調節できないときがある。感情のまま刃を振るい、傷つけてしまった者は多い。人の心が足りないと暴走する」



 琥珀色の眼差しを苺凛ではなく、どこか遠くに向けながら洙仙は言った。



 ───やっぱり、洙仙はちゃんとわかっているんだ。自分の弱さを。



「霊仙花の味や香りは俺の中の足りないものを気付かせてくれるのだ。それは忘れてはいけない大切なものだと母にも言われた」



「……あのね洙仙。私は諦めてないから、霊仙花を増やすこと。洙仙だって、たくさん食べられる方がいいでしょ。でもこれはあなたのためだけじゃない。私が生きていくための理由でもあるわ。自分で求めて見つけてみたい。だから……出来るわけないなんて言わないでほしい」



 苺凛の真っ直ぐな眼差しを受け、洙仙の表情がほんの少し揺らいだ。



「……わかった。好きにしろ」



(やった!水で実験ができるっ)



「へぇ。そんな顔もできるのか」



「え?」



「笑ったの、初めてだな」



「……そ、そうかな」



「蕾が一つふくらんだぞ。今朝は両方に二輪も咲きそうだな」



「え、ほんと?」



「花もいいが、おまえのそういう嬉しそうな顔も悪くないものだな」



 洙仙は微笑むと寝台から降りた。



「ぁの、ねぇ……。今朝の食事は?」



「先に宮女を呼んでくる。俺の食事は後でいい」



 洙仙は部屋を出て行った。



 春霞ではなく、宮女と言ったのがなんだか気になるが。



 苺凛は寝台を降りると窓に下げられた布を開けた。



 よく晴れた朝だった。



 降り注ぐ柔らかな日差しをその身に受けると、カサカサと音がして花が開いていくのを苺凛は感じた。



 お日様の力も花には必要だものね。



 洙仙が出て行ってからしばらくして、春霞が宮女を数人連れて宮殿に入ってきた。



「おはようございます、苺凛様」



「おはよう、春霞。今日は大勢なのね。なにかあったの?」



「苺凛様付きの宮女を増やしました」



「どういうこと?」



「私一人では何かと行き届かないこともありますし。夫の梠玖成も寂しい思いをしているみたいなので」



「ああ、そうよね。ずっとこっちにいるわけにもいかないものね」



 春霞は人妻だ。


 私が独り占めしてはいけないのだわ。



「でも一番の理由は違います。本日より苺凛様は新王となられる洙仙様のお妃様として扱うようにと。洙仙様の御命令です」



「……は? なぜ私が急にそんなことに⁉」



「それは昨夜のことが。つまりですね……」



 春霞は苺凛の耳元でこそっと囁く。



「苺凛様は昨晩、洙仙様と閨を共にお過ごしになったわけですから」



「そっ、それは食事のためでしょ!それに一晩泊まったからってっ……」



 何もなかったし!



「洙仙様はこれから毎晩、この宮殿で朝を迎えることをお望みです」



 苺凛の言葉を遮るように春霞は言った。



「お泊まりでなくても、これまでも毎晩お食事に通っていたのですから。臣下たちも皆、苺凛様は洙仙様に寵愛されている女性だと思っています。ですから何も問題はありません」



 いや、それ。


 なんかとっても簡単に納得しちゃってるのよくないから!



「あのね、とにかく私は妃なんて───」



 冗談でしょ?



 しかしこの後、苺凛が何を言おうと何度反論しようと、春霞は「洙仙様のご命令ですから」で会話を終わらせてしまう。


 それならと花の食事に戻って来た洙仙に理由を聞いてみる。



「理由?俺はここに新しい国を興す。廃れた後宮だが、華がないよりましだからな」



「采雅国へ戻らないつもりなの?」



「あの国は兄にくれてやる。それにおまえ、後宮の生き残りと言われるよりはいいだろ。おまえは霊仙花を咲かせる異能者だ。正妃になり俺に尽くせ」



「それって……」



 結局、私は霊仙花のためだけの存在。


 そこに愛はない。



「何か不満でもあるのか? 後宮でただ一人の妃だ。好き勝手に花の実験もできる。宮女たちに手伝わせてもいいぞ。霊仙花を増やしたいんだろ?俺の母親と同じように」



「洙仙。あなたもしかして玲珠妃がどうやって花を増やしていたか知ってる?」



 親子なのだ。見たり聞いたりしているはず。



「ああ、知っていることもあるが。そう簡単に教えないぞ。自分で求めて見つけたいのだろ?」



 洙仙は意地悪で挑戦的な眼差しを苺凛に向けた。



「だが約束してやろう。おまえの身体以外に霊仙花を咲かせられたら、今よりもっとおまえを自由にしてやる。正妃が嫌なら取り消してもいい」



(花がたくさん咲けばお役御免というわけ……)



「……わかったわ」



 なんとしても地上に咲かせよう。



「いいわよ。そういう契約でも」



 愛されない妃でいるよりはずっといい。───そう思うのに、なぜか声が震えていた。


 ……私、どうしてこんなに胸が痛いんだろう。



「じゃあ話は終わりだ。食事をさせてくれ、苺凛」



 初めて名前を呼ばれた。


 ただそれだけなのに。なんだか気持ちが落ち着かない。



「今朝はいつもよりとても綺麗に咲いてるな。美味そうだ」



 洙仙の両腕が苺凛を引き寄せて包み込む。


 優しく抱きしめられながら、花を食べられるのも初めてだった。



「花に透明感が出てきたな。蕾はまだ小さいが。……ん? なんだ、その膨れっ面は」



 憤りと悔しさと。そんな感情の一方で。


 花が洙仙の薬になっているのなら仕方ないという複雑な心境が表情に出たようだ。



「まあ、そういう顔も悪くはないがな」



 洙仙は優しく笑っていた。



 この前まではもっと怒ったり機嫌が悪かったのに。


 それが嘘みたいに表情が違う。


 霊仙花の咲き具合が良くなってきただけで、こんなに態度が変わるなんて。



 褒められて嬉しいけれど、なんだか苦しくてせつない。



「今日からしばらく忙しいんだ。昼は来れない。だからまた夜にな」



 花を食べ終わった後、洙仙はやんわりと苺凛を抱きしめてから離し、本殿へ戻って行った。




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