第31話  真の友達とはなにか。

「あとはわたくしが行います」



 峻が佐久を寝かせると、表情を険しくしていた吾妻がそう言った。


 同じ女性として男性が自室に入るのはいい気分ではないらしい。


 所狭しと本が詰め込まれた本棚、薬や衣類が収納されたローチェスト。


 換気を少しでも良くするために家で一番広い部屋をあてがわれた佐久の自室は、一人用と思えないほどに広い。


 峻の腕が体から離れようとするとき、佐久は言いようもない寂しさを感じた。


「佐久さん?」


 立ち上がろうとした峻の腕を、佐久は白すぎるほどの指できゅっとつかむ。


「……手、握っててほしい」


「お嬢さま。さすがにそれははしたないかと」


「……握っててくれると、安心して眠れると思う。ワガママなのはわかってる。だけ

ど」


 佐久はいったんそこで言葉を切り、吾妻と峻を交互に見つめた。


 その視線に、吾妻は諦めたかのようにため息をつく。


「仕方がありません。お嬢様をよろしくお願いします。ただし」


 吾妻が般若のような形相となる。視線だけで人を殺せそうだ。


「わたくしもそばについています」


「……もちろん、いいですよ? 当然の心配だと思いますし」


 峻は返答までに少し間があった。


 その日の昼。佐久は今までの人生で、一番幸せな眠りについた。







 その日の夜、望月のコミュニケーションアプリに佐久から連絡があった。


 自室の椅子に座っている時に着信を確認した望月は、緊張に包まれながら通話ボタンをそっとタップする。


それで、どうだったの?」


これからも山に出掛けられるか、その話しはどうなったかずっと気になっていた。


望月も今日の朝、佐久の父親と峻が怪我の件で話をすることを聞かされていた。


だが昼過ぎになっても夕方を回っても連絡がなく、その日はずっとやきもきしていた。


「……えっとね、なんて言ったらいいか」


 佐久の第一声でとりあえず望月は胸をなでおろす。付き合いが長いだけあって、声だけでもお互いの感情をかなり把握できた。


「何かあったの?」


 だがそれにしては返事があいまいだ。


「……順序だてて説明するね。峻と、峻のパパもうちに来た」


「ふむふむ。話が大事になりそうだけど、なんでそんなに嬉しそうなの?」


「……私の怪我の件はすんなり話が終わって。パパは、娘をこれからもよろしくって」


「え?」


「……それからパパと峻のパパで、酒盛りが始まった」


「ちょっとちょっと。何が起こったのかまるで理解できないんだけど」


 望月は軽いパニックを起こしていた。


 いったい何をどうすれば謝罪から酒盛りに発展するのか、望月の貧弱な想像力では

全く理解できない。


「……ごめんごめん。順を追って説明するから」


「最初からそうしなさいよ」


 望月は椅子の背にもたれかかって、ポッキのお菓子を一つ口に放り込みながらそうつぶやく。


「……パパと峻のパパが、医学生時代の同級生で。峻のパパは、山奥とかへき地を渡り歩く医者だった」


「え? マジで?」


 望月は驚きの余り、口に含んだポッキが喉に詰まったかと思った。


「……今思えば、ところどころ峻に思い当たる節はあった」


「そういえば、佐久の治療もいやに手慣れてたね」


「……これは他の人には内緒で。峻も、家が医者だってあまり周囲に知られたくないみたい」


「わかった」


「……同級生だったこともあって、私の怪我の件はすんなり終わった。これからもよろしくって。パパも、私の体調がよくなってきたから山に行ってるのを喜んでたみたい」


「……それから久々の再会ということで、医者なのに昼間から酒盛りを始めたわけ」


 佐久の空気からすれば他にも何かあったのだろうけど、言わずに黙っておく。


 話が一息つき、望月は机の上のコーヒーを一口すする。友人が嬉しそうで、美味しいはずなのに。なぜか好物は普段よりも苦く感じた。


 ふと望月は、佐久と過ごした小さなころを思い出す。





「……もちづき、いまかえったぞー」


「さくちゃーん、おかえりなさいー。おふろにする? ごはんにする? それともわたし?」


「……わたしってなに?」


「かんごしさんが、こういうとおとこのひとはよろこぶっていってた」


 妙高病院に備えられたキッズスペースの一角で、数人の子供がじゃれ合っている。

望月と佐久は、就学前から一緒に遊ぶ仲だった。


まだ病気のひどくない頃、室内でおままごとをしたり、医師である蓼科の影響で脳トレ的なゲームをしたり。


まだカーストというものがない年代であり、望月も佐久も他の子どもとわけへだてなく遊べていた、


「さくのおとうさん、なんのおしごとしてるの?」


「……おいしゃさん。いんちょう、とかいうんだって」


「へー、すごそうだねー」


「うち、おやくしょではたらいてる。はたらきかたかいかくをすすめるんだって、」


「……すごそうだねー」


「うち、おかしやさん」


「いいなー。ケーキいっぱいたべられそう」


 小さな子供にとっては医者も公務員もお菓子屋も、どれが偉いと感じることもなく。


 まだ体調が良かったこともあり、佐久の記憶では数少ない幸せな時期だった。


その後佐久の病気が悪化し多くの友達とは疎遠になってしまったが、望月だけはお見舞を欠かさなかった。


「……なんで、くるの」


 遊戯室より病院のベッドで過ごす時間が長くなった佐久は、河原で摘んできた花を花瓶に活けていた望月にそうこぼす。


「なんでって?」


「……私のお見舞なんかにくるより、別の友達と遊べばいい。他の友達面してた子は私から離れた」


「……こんなこと続けてれば、望月も仲間はずれになる」


「……あなたも、内心ではめんどくさいって思ってるんじゃ……」


「そんなこと、ないよ」


ランドセルを下ろした望月はベッドの下の佐久の手を、そっと握った。


運動しているせいか、自分よりたくましさを感じる望月の手。触れた肌から気持ちが伝わってくる気がして、佐久のささくれだった心をわずかに和ませる。


「私が小さいころから入院してたおばあちゃんを、ずっと診てくれてたのは佐久のお父さんだから」


「……それはパパのことで、私には関係ない」


 言葉の棘はそのままでも。口調がわずかに柔らかくなったのを感じ、望月は続ける。


「佐久と遊んだのは、すごく楽しかった。それに時々勉強教えてくれて助けてもらった」


「……それくらいなら、他の子でもできる」


「私が落ち込んだ時、一番最後までそばにいてくれて、ずっとグチを聞いてくれたのは佐久だった」


 それを聞いて、佐久はベッドから体を起こす。


「……それって」


「そう。おばあちゃんが亡くなって、私がずっと泣いてた時。はじめは同情してくれてた子たちも、何日も続くとウザがって距離を置くようになった」


 まあ、今は仲直りしたけどね、そう望月は付け加える。

「うまくいってる時によってくる友達より、苦しい時にそばにいてくれる友達が本当の友達。おばあちゃんが言ってた」


「おばあちゃんは亡くなったけど。でもこの言葉だけは、私の心で生きてる。私は、佐久の本当の友達でいたい。今までも、これからも」






 気が付くと日付が変わっていた。望月はすっかり温くなったコーヒーを流し込むように飲み、ため息をつく。


 佐久の体調は良くなってきた。


 これからもみんなで遊びに行ける。


 それなのに。電話越しの佐久の幸せそうな声を思い出すと、胸がチクリと痛んだ。

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医者の病弱娘がアウトドアを満喫する話。 山菜採って、ジビエ食べて。 @kirikiri1941

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