第4話 秘密は秘密のままで ※レダ視点
田舎で街のちょっとした顔役の我が家にとって、武家の名門であるウィンターズ公爵家の施設騎士団に私が入団したことはこの上もない誉れだった。
「庶民の女を騎士として育てるなんて貴族の酔狂だ」と入団試験を受けることを反対していた父は街のみんなに囲まれて鼻を高くし、赤ら顔で陽気に酒を飲んでいた。
見事な手の平返しに腹が立たなかったのは、私も頭のどこかでそう思っていたから。
入団できたのは男女平等みたいな貴族の人気取りかもしれないと思って初日を迎え、その日の夕方には「誤解していました、すみません」と土下座したい思いだった。
ウィンターズ騎士団の団長は公爵家当主のアレックス様。
敵味方問わず「紅蓮の
絶世にイケメンだけど妻どころか恋人になど願うことはしない。
閣下は高嶺の絶壁に咲いている花のような方なので、手を伸ばしたら死しかない。
そもそも閣下には婚約者がいる。
初代聖女モデリーナの子孫である聖女ラシャータ。
騎士と聖女なんてありふれた三文歌劇のような組み合わせだが、定番といえば定番なのかもしれない。
閣下は最強の騎士なのでセオリー通り。
それなら聖女もセオリー通り『心優しい、慈悲深い、女神のような美人』……ならよかったのだが該当しているのは美人のみ。
閣下は蛇蝎のごとく婚約者をきらい、エスコートするのがイヤで王城主催の夜会の日に野営訓練を実施して国王を泣かせたという逸話もお作りになった。
貴族も大変だなと思ったが、騎士も他人ごとではなかった。
閣下の婚約者の聖女はとても情熱的らしく、閣下をストーキングして視察先に「まあ、偶然ですね」と現れるらしい。
当然閣下の機嫌は急降下で、「忙しいので」とお茶を断られた聖女をなだめる役目を仰せつかった騎士はゲッソリやつれて宿舎に戻ってくる。
こんなはた迷惑な婚約者を好きにさせているのには複雑な事情がある。
閣下の婚約者であるラシャータ・フォン・スフィアはただ一人の聖女であり、スフィア伯爵家唯一の子である彼女はこの国で唯一聖女を産める者なのだ。
浄化と治癒の、魔素を使った魔法とはまた違った力を持つ聖女はモデリーナの直系子孫であるスフィア伯爵家にしか産まれない。
スフィア伯爵家の娘は他家に嫁いでも聖女の力を使えるが、なぜかその力は一代限りでその子孫には聖女の力は引き継がれない。
逆に息子は聖女の力を使えないが、スフィア伯爵位を継ぐとその子どものうち娘は聖女の力を使えるようになる。
このパターンはある程度推察されていただろうに、納得できない権力者によって実験のような結婚と繁殖が繰り返された結果、スフィアの直系はラシャータ嬢とその父親であるドルマン伯爵のみになってしまったというから笑えない。
聖女はこの国の者にとって死から救い出してくれる、神に準ずる存在である。
聖女は医者がサジを投げる病やケガを治すことができる。
ぶっちゃけ心臓さえ動いていれば治すことができるらしい。
薬を使っても治らない薄毛や水虫も治せるという噂もあるが、これについては治療を受けたとされる者が頑なに口を割らないので真偽は分からない。
私が産まれる前、この国に聖女がいない時代があったという。
聖女がいなくなったことで国民は不安になり、「いつ死んでもおかしくないんだ」と恐慌状態に陥った。
聖女が身近にいなかった父や母にとっては「そうなんだ」ですませられたことも、王都に住む貴い方々は非常に不安がり、その不安が期待となって一人の青年に圧し掛かった。
ドルマン・フォン・スフィア伯爵令息、若かりし頃のスフィア伯爵である。
先代国王は王命で伯爵と或る侯爵令嬢の結婚を命じた。
侯爵令嬢は女系で有名なフレマン侯爵家の次女で、彼女がどう思ったか私には分からないが聡明なご令嬢は自身の役割を理解して結婚を受けいれたと言われている。
問題は伯爵のほうだった。
貴族子息あるあるなのだが、伯爵も当時娼婦の恋人に入れあげており、彼女じゃなきゃ結婚しないと騒いだ。
普通ならわがまま言うなと一喝して終わりだが、伯爵は当時唯一のスフィア伯爵家の子どもで、彼は自分だけが聖女を誕生させられるという切り札を持っていた。
その切り札を恋人との結婚のために切ったといえばロマンス愛好家あたりが涙を流して拍手しそうだが、伯爵が王に願ったのは重婚を禁ずる法律から自分だけを除外することだった。
つまり侯爵令嬢とも結婚するが、恋人とも結婚させて欲しいということだ。
なんじゃそりゃである。
頭の痛い内容に国王は責任を持ちたくなかったのだろう。
国王は貴族議会を開き、伯爵の要求を公的に受け入れることにした。
聖女が天秤の片方に乗っているのである、夫人となる侯爵令嬢の父親であるフレマン侯爵と王太子である現王以外は全員賛成したという。
当時のことは先輩からちょっと聞いただけだが、サフィニア嬢のほうを第一夫人とするから納得しろという、普通の父親なら激怒する内容で侯爵をねじ伏せたという。
こんな経緯で妻を二人持った伯爵だったが、周囲の期待に応えて第一夫人と第二夫人は同じ年に女児を出産。
聖女二人の誕生に国民は湧いたが、それから二十年経って聖女は一人ラシャータ様のみである。
十七年前、スフィア伯爵邸の尖塔から飛び降りた母君の腕に抱かれていたレティーシャ様はわずか三歳でこの世を去ったからだ。
「レダ、難しい顔をしてどうしたの?お茶、冷めちゃうわ」
ラシャータ様の声がして私はハッと現実に返る。
目の前には銀髪に淡い紫色の瞳をした美女がいる。
くじ引きに負けてラシャータ様のお迎え役を命じられた夜、どんな悪女なのかと私は恐れていた。
しかもお迎えの内容がひどかった。
とにかく人目に付きにくいようにと、朝早い時間に薄暗い通用門前への迎え、どんな温和なご令嬢だって「ちょっと」と物申したくなる内容だった。
ラシャータ様を待つ間、心臓が轟き、脚がガクガク震えていた。
先輩たちが「落ち着け」と何度も励ましてくれたが、通用門が動いた瞬間に離れていったことは今もまだ忘れていない。
―――よろしくお願いします、レダ卿。
そう言ってくれたラシャータ様には悪女の欠片もなくて、会話をすればするほどその優しさに感動した。
誰かが言っていたお約束の聖女像、『心優しい、慈悲深い、女神のような美人』そのものだった。
だからいつも思うのだ。
「美味しいわね、食べるのが私なんかで申しわけないわ。公爵閣下も早く食べられるようになるとよいのだけれど」
忠誠を誓った騎士も使用人も耐えきれなかった悪臭の中で閣下を治療し、いまも閣下を心配そうに見ている心優しい方。
その優しさを使用人にも向けてくれる慈悲深い方。
女神のように美しいあなたは一体誰ですか?
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