第3話 時の流れは意外と早い

 鳥の鳴く声に誘われて読んでいた本から顔をあげると窓の外に鳥がいました。


 見たことはあるけれど名前は知らない鳥。

 くるりとした目と目があうと、鳥の首が右と左に小さく動いて、飛び立ちました。


 空がよく見える大きな窓から鳥を見送ると、視界の端で赤い何かが動きました。


 公爵邸の庭を管理している庭師の一人でしょう。


 「人に見られずに作業をするのが一人前」という規則でもあるのでしょうか、見かけると慌てて物陰に隠れてしまいます。


 目立ちたくないなら赤い作業着はお止めになったほうがよいと思うのですが。



 作業着はさておき、彼らの尽力により窓から見える庭はとても美しいです。


 色づく花は全て盛りで、枯れたのはもちろん萎れている花もありません。

 庭師の方々が寝たきりの主人の回復を願い、丹精を込めて庭の世話をしていることがよく分かります。


 それなのにこうして花を見ているのが公爵閣下でも、本物の婚約者であるラシャータ様でもなくって私だなんて、申しわけない気持ちになります。



「ごめんなさい」



 謝ったところで真実を言えるわけでもないのだから、白々しく空っぽな謝罪をする自分にため息が出てしまう。



「何の、謝罪だ?」

「お目覚めですか」


「少しは驚け」

「どうしてです?」


 この部屋にいるのは五人。

 騎士団長と二人の使用人は滅多に口を開かないため、声をかけてきたのは公爵閣下だと直ぐに分かります。



「お前は騒がしい」


 掠れた声は弱弱しいが、ラシャータへの敵意がこもっています。

 どうやら公爵閣下はラシャータがお嫌いらしいですね。

 

 別に公爵閣下がラシャータを嫌いでも構わないのですが、ラシャータ様は公爵閣下をお慕いしているので無言を貫き、聞こえなかった振りをしています。


 伯爵に頼んで婚約は破棄すると仰っていましたが、ラシャータ様は気分屋ですし、勝手に何かして怒られるのは私なので無難を選択します。


 未来の夫婦に不和を勝手に持ち込んではいけません。



「失礼します、キズの確認をいたします」

「……ああ」


 それにしても、公爵閣下はとても美しい男性だと思います。


 あちこちにガーゼがあてられた痛々しい姿ですが、半年寝たきりだというのに騎士らしい立派な体躯は健在です。


 これだけ筋肉があれば薪割りも楽そうです……


「あ……う、あっ……ぐうぅ」


 ガーゼからゆらっと魔力がのぼったと感じた瞬間、公爵閣下の大きな体がびくりと動き、うめき声が漏れます。


 私は口が閉じる前にガーゼを挟み込み、駆け寄ってきた騎士のひとりにガーゼを握っているようにお願いします。


 耐えがたい痛みなのでしょう、公爵閣下の首が反りかえり、全身が硬直すると胸元にはっていた大きなガーゼが黒く染まり始めます。


 公爵閣下の火属性の魔力と魔物の瘴気が混じった影響でしょう。

 

 周囲に血が燃える腐臭が漂い始め、ガーゼを持つ騎士の顔が青くなります。

 それでも使用人の方々よりも魔物に対して耐性がある分、この状況にも堪えてくださいます。


 戸口で控えていた使用人たちが耐えきれずえずき始めました。

 限界です。


「あなたたち、外に出ていなさい……人には向き不向きがあります。終わったら呼ぶので、新しいガーゼとお湯の準備をお願いします」


 使用人二人は顔を見合わせ、ぺこりと頭を下げると去っていかれました。



「随分とお優しくなられましたね」


「何でも一人でやる必要はないとレダ卿がアドバイスしてくださったのです」


 幼少期は乳母と専属の使用人が二名いましたが、彼らがいなくなった後は一人きりで小屋で生活していたので私の対人スキルはとても低いとドモに言われたことがあります。


 そのときは言葉の意味が分かりませんでしたし、全て一人でやるのに対人スキルを磨く必要性が分かりませんでした。



「あのあとレダはあなた様を叱ってしまったと落ち込んでいましたよ」

「叱ってくださって嬉しかったのですよ。流石に体を二つ、手を六本にすることはできませんもの」


 公爵閣下の治療にあたって一カ月とちょっと。

 レダ卿の仰っていた通り、私一人ではできないこともたくさんあることを実感しています。 


 

「団長様、公爵閣下の体をしっかり押さえてください」


「私も手が六本欲しいですな」


「頑張ってくださいませ。それでは失礼します」


 意識は朦朧としているようですが公爵閣下に一言断りをいれ、ベッドに上ると屈強な体をまたいで両脚で挟み体を固定します。


 心臓の上の大きなガーゼをはがすと、黒い瘴気が私の手にまとわりつきますが、この新たな生物を取り込もうと侵食してくる気配は何度やっても慣れませんね。


 まるで魔物の怨念のようで、「魔物に呪われた」という表現も理解できます。



「まだこんなに瘴気が残っているのですね」


「公爵閣下の体内で増幅している可能性がありますね。浄化する量を増やしましょう」


「現時点で痛みにのたうち回っているのですが?」


「体には異物を排除する機能があります。魔物の瘴気だろうと聖女の力だろうが、受け入れる公爵閣下にとっては同じ異物なのでしょう」


 魔法とは周囲の魔素を体内に取り込み、自分の魔力に変えて放出すること。


 私の仮説ですが公爵閣下は魔物の大流出のとき、魔法を使うために魔素を吸収するとき魔物の瘴気で汚染された魔力も吸収してしまったのではないでしょうか。



「とにかく浄化しましょう。公爵閣下の体を焼いているのは自身の魔力でしょうから、魔力が整えば……多分大丈夫でしょう」


「思いきりがよろしいですね」


 ラシャータ様のように歴代の聖女の手記を読んだわけではないので、魔力の使い方を幼少期に少し教わってからは独学で魔法について学びました。


 聖女の力の使い方については正直申しあげて「多分」の域です。


 ラシャータ様は何か格好よく詠唱していたような気もしますが、覚えていないですし、聖女の力が使えればいいので割愛しています。



「ほら、落ち着いてきましたわ」


 痛みを堪えていたアレックスの眉間のしわが消え、呻き声しかでなかったアレックスの唇から寝息が聞こえてきたので公爵閣下の体から下ります。


「さすが騎士様ですね」


 成人している自分の体を揺らぐことなく乗せる小山のようなアレックスの体に素直な感想を述べて窓を開けます。


 浄化魔法をかけながらガーゼを全て新しいものにして、空気がある程度入れ替わったところで使用人を呼び戻すと数人がかりで公爵閣下のベッドを整える。



 全てが終わると窓を閉め、ふたたびベッド脇のイスに座る。

 BGMは公爵閣下の穏やかな寝息だけ。



「お飲み物をお持ちします、紅茶でよろしいですか?」

「はい、お願いします」


 侍女が一礼して去っていくと、私はサイドテーブルの上に置いたままだった本に手を伸ばします。



 ふと気づけばここまであまりに自然な流れで、これが私の日常になっていることに気が付きました。

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