第2話 不幸比べは意味がない

「ラシャータ様、寒くありませんか?」


 結局、あのあとレダ卿の先輩という男性騎士の方がきて、レダ卿の説明を聞くとすぐにレダ卿を馬車の中に押し込んで下さいました。


 扉が閉まってしまえば窓から下をのぞき込まない限り狭い部屋でイスに座っているようで、揺れるのは落ち着きませんが、さっきまでの怖い思いはかなり薄れました。



「ありがとうございます、少し冷えるのでブランケットをお借りできますか?」


 笑顔で差し出して下さったブランケットは柔らかくて温かいです。


 ラシャータ様のワンピースは生地が足りなかったのか肩や襟元の肌が空気に晒されて寒かったので本当に助かりました。



「朝早いので道が空いていますね。これならば一刻ほどで公爵邸に到着するでしょう」


「レダ卿、その一刻で公爵閣下に何があったのかを教えていただけませんか?」



 半年ほど前に、国境付近の山岳地帯から魔物が溢れて山麓の村三つが魔物たちに蹂躙されたことは知っています。


 魔物はエサを求めて人の多いほうに移動します。

 つまり人口の多い王都を魔物の群れが目指すのは誰にでも予想できていたことで、公爵閣下はパニックに陥る王都の民を落ち着かせるために持ちうる武力を全て引き連れて魔物の掃討作戦を実行しました。



「“魔物に呪われた”ということですが?」


 私のお願いにレダ卿は少し迷った素振りを見せられましたが、


「私はまだ新人のため当時は後方部隊だったので、閣下の傍にいた先輩騎士の話をお伝えすることになるのですが、それでもよろしいですか?」


「はい」


 主観と客観の混じったお話になってしまうのは仕方がありません。


「閣下は我々を率いて山と山に挟まれた街道で魔物を迎え打ちました。山を越えて王都に向かう魔物がいる可能性もありましたが、閣下はご自身をエサにしたのです」


「魔物は魔力量の多い者を好む、その習性を利用したのですね」


「その通りです。閣下の作戦はあたり、閣下は先頭で戦い続けました。魔物の血と脂で切れなくなった剣は千を超え、閣下の生み出した灼熱の炎は魔物を三日三晩焼き続けたそうです」


 物語の名シーンになりそうですが、レダ卿はご自身の表情かおにお気づきかしら。

 その表情は英雄に憧れる純粋なものもありますが、尋常じゃない強さを持つ者への恐怖が色濃くあります。


「灼熱の騎士悪魔。世界に轟く名の通り、不倶戴天のご活躍だったようですね」


 先代ウィンターズご夫妻は若くして亡くなり、現当主アレックス様は十七歳で公爵となり、三年前に史上最年少で騎士団長になったと聞いています。


 さらにその容姿は神が贔屓したと言われるほどの美しさ、そんな公爵閣下の婚約者であることをラシャータ様はことあることに自慢なさっていました。


「その二つ名は敵も味方も畏怖させるもので、私たちは閣下を神話に出てくる英雄のように思って……異変が起きたのは魔物の代流出スタンピード発生から四日目の朝です。索敵が得意な者が周辺の魔物は全て討伐し、残りの魔物は山に戻ったと報告した直後に閣下がお倒れになったのです」


 突然というのはあまり重要ではありませんね。

 重度の興奮状態にあるとき、人は痛みや疲労を感じないといいます。


 完了の報告を受けて緊張の糸が切れたとすると、その前から異常は起きていたと考えた方が自然でしょう。



「私は下っ端なので噂で聞いた程度ですが、救護天幕に運び込んだ閣下の肌は黒ずみ、一部溶け始めていたそうです。周囲は腐臭が漂い、屈強な騎士たちでも耐えられなかった者がいたとか」


「当時ではなくても、その後レダ卿は公爵閣下を見ましたか?」


「いいえ。閣下は一部の騎士に護衛されて先に王都に戻り、私たちは副団長の指示に従って後から王都に戻りました。戻ったときにはすでに面会謝絶で、副団長ですら一度お会いしただけで詳細は話せないと」


 箝口令を敷いたのでしょう。

 王家の槍である彼のケガの具合は国家の行く末に影響を与えてしまいます。



「それにしても、腐臭ですか」


 人間の体は生きてその血を巡らせる限り『腐る』ということはあり得ません。

 あり得ないことが起きているから聖女が必要だったのでしょう。



「失礼を覚悟で申し上げますが、ラシャータ様が閣下の治療にそこまで親身になられるとは思いませんでした……その、聞いた話では閣下の治療を拒否していたと」


 レダ卿の批難混じりの声に顔をあげると剣呑な光の灯る目と目があいました。


 これまで起きたこととスフィア伯爵たちの態度、そしてラシャータ様の性格を合わせれば彼女がラシャータを批難したくなる気持ちは分かります。


 死んでいなければどんなケガでも病気でも治す。


 初代聖女の力は、人間が神の領域の片隅に痕を残すような烏滸がましい力で、人々は初代聖女は「神に愛されていた」というが本当に愛されていたかどうか不思議な力です。


 人間は『死』から逃げ出すために何でもします。

 たとえ自分以外の誰を殺してでも。


 だから聖女や聖女を唯一生み出すスフィア伯爵家は力を持ちました。

 

 自らも制御しきれないほど巨大な力、国王の命令さえも軽んじるほど助長させたのは皆さんではありませんか。



「聖女にあまり期待しないでくださいな」



 そういう意味では公爵閣下も不幸な方です。


 レダ卿が言う「公爵閣下を助けて欲しい」という願いは、純粋に彼の回復を願ったものなのでしょうか。


 公爵閣下のケガが公になった途端、国境付近がきな臭くなってきたと伯爵邸に出入りする商人の方々が言っていました。


 人間の敵は魔物だけではなく、人間も敵になります。


 その敵全てを抑えていた公爵閣下。

 公爵閣下のケガで国家の治安が揺らいだということは、誰が何と言おうとこの国はたった一人の肩に『安全』を担保してきたということです。



 瀕死の状態でも国を守れと言われる公爵閣下。


 死んでいるのに聖女であれと言われる私。



 一体どちらが不幸なのかしら。

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