【金曜日更新】あなたが寝てる間に―空蝉の婚約者―

酔夫人

第1話 井の中の蛙、大海に出る

「あなたが『ラシャータ』になるの」


 父に呼ばれて応接室にきて良かったことはいままで一度もないけれど、ラシャータ様の言葉の意味が分かりません。



「アレックス様が魔物との交戦でケガをなさったことは知っているでしょう?」


 王家の槍と言われるウィンターズ公爵家は代々優秀な騎士たちを輩出してきた武家の名門。


 半年前に起きた魔物の大流出では現当主で騎士団長でもあるアレックス様が、騎士団と公爵家の施設騎士団を率いて魔物の掃討戦に向かわれたことは私でも知っている有名な話です。


 公爵閣下はラシャータ様のご婚約者。

 

 ラシャータ様は伯爵邸で茶会を開き、ご婚約者様の勇敢な行動を誇らしげに自慢していらっしゃったと聞いています。



「ここからは秘密なのだけど、アレックス様は魔物に呪われてしまって瀕死状態なの」


「それは……大変でございますね」


 魔物に対して何もできない私たちをまもってくださった方が瀕死と聞いて、顔も知らない方ですが申しわけない気持ちとありがたい気持ちが混じり合います。



「最初の頃にお見舞いに行ったんだけど最悪。全身真っ黒で、臭いし、汚いし。あんな怪物、私の婚約者として相応しくないわ。お父様にお願いして婚約も解消してもらうつもりよ」


 ラシャータ様の言葉を受けて伯爵が頷きます。


「しかし救国の英雄を“瀕死だから”と見捨ては外聞が悪い。そこでお前にはラシャータとしてウィンターズ公爵邸に行き、彼の治療をしてもらう。取りあえず命を助けておけば問題はない」


 私とラシャータ様は異母姉妹ですが、どちらも先代伯爵夫人似で歳も同じなので一卵性双生児のように似ています。


 しかし、婚約者やその家の方を騙せるほど似ているわけではありません。



「大丈夫よ、だって聖女の力が使えるのはラシャータだけだもの。あなたが聖女の力は使えば多少違和感があっても、誰もがあなたをラシャータだと思うわ」


 スフィア伯爵家の女が代々継いできた聖女の力。


 その力は死人を生き返らせることはできないが、死んでさえいなければその命を助けることができる神様に授けられた力です。



「しかし、っ!」


 パアンッと音がして頬がジンッと熱くなり、叩かれたのだと認識します。


 顔を向ければ笑顔の伯爵夫人がいて、私の喉の奥でヒュッと音がしました。



「あまり旦那様に口ごたえをしないでね。いまは貴女が役に立つから私は我慢しているの。しかし?でも?だって?あなたの母親みたいにみっともなく騒がないで頂戴」


 伯爵夫人はラシャータを生んだ方で、元は伯爵の第二夫人でしたが私の母の死後に伯爵夫人になりました。


 伯爵夫人は伯爵の結婚前からの愛人で、先代伯爵に望まれて政略結婚で嫁いできた侯爵令嬢の母を伯爵と二人で冷遇してきたそうです。



「お母様、私になる者の顔にキズをつけないでくださいませ。ねえ、あなたも直ぐにそのキズを消して」


 ラシャータ様の言葉に従って、私は伯爵夫人が持っていた扇子でできた切り傷の上に手を置き力を集中させます。



「全く、お前も私の娘だと思うと虫唾が走るわ。理解できたならさっさと退室し、明日は迎えの馬車に乗って公爵邸に勝手にいけ。逃げることは許さんぞ」


 ……逃げる?


 逃げて何の意味があるのでしょう。



 ***



 翌朝、私が目覚めたキッカケは馬のいななきと車輪の音でした。


 窓から外をみれば空はまだ宵が明けたばかりの薄紫色。

 伯爵邸から出たことがないので自分が一般常識に疎いことは分かっていますが、そんな私でもよそのお宅を訪ねるのには早すぎる時間だと分かります。


 公爵閣下が心配なのでしょうね。


 国王陛下が王命をだすほど信頼している方ですし、私も公爵閣下に守っていただいた一人なので、私にできることはやりましょう。



 昨夜届けられたラシャータ様のワンピースを着て、簡単に身支度を整えます。


 伯爵ご夫妻はラシャータ様を連れて、昨夜のうちに王都を出て領地の奥にある山荘に向かったそうです。


 伯爵位を王より賜った初代スフィア伯爵のお墓に公爵閣下の治癒祈願にいくと仰っていましたが、ラシャータがラシャータ様ではないと知られてはいけなためラシャータ様を隠しにいかれたのです。



「ドモ、いる?」

『当たり前だろ、家守りの精霊である僕がここ以外どこに行くっていうのさ』


 暖炉の下から煤のように出てきた煙が固まって黒猫の形になります。


 このドモは私が一人になるのを心配した乳母が契約した精霊で、この小屋を守ってくれるのは嬉しいのですが、きちんと掃除してきれいに使わないと叱る少し厳しい精霊です。


「それじゃあ行ってきますね」

『おいおい、ウィンターズ公爵邸に行くんだろ?そんな格好で行くのか?』


「大丈夫ですよ、ラシャータ様のワンピースだから私が偽物だとバレたりしません」

『……それを本気で言っているんだからな』


 どういうことでしょう?


『まあ、いいや。言ったところで何にもならないし。それよりも昨日言ったけれど、ここはお前の家じゃなくなるから、僕の契約は終わりになる』


 ドモと乳母の契約内容は知りませんが、期間未定とはいえ留守しただけで契約解除は厳しいのではありませんか?


『それが精霊というものだ』


 そう言われてしまうと何も言えません。


『貴重品はきちんと持っていけよ?まあ、あんなギラギラした伯爵邸が近くにあるこんなボロ小屋に好んで忍び込む盗人がいるとは思えないがな』


 物心ついた頃には傍にいた精霊は世話焼きです。



「ドモ、今までありがとうございました。ご縁があったら今度は私と契約をお願いします」


『それは楽しみだね、僕も楽しみにしてるよ』


 そう言ってドモは消えました。

 相変わらずあっさりしていて、そういうところがとても好きでしたよ。


『さっさと行け、あまり待たせるのは失礼だ』


 こういう世話焼きのところも。



 ***



「は、初めまして、ラ、ラシャータ様。ウィンターズ騎士団のレダと申します」


「よろしくお願いします、レダ卿。今回は無理をいって誰もいない裏の通用門で待たせてしまってごめんなさい」


 謝罪すると騎士の方が私の顔をジッと見ました。


 お美しい方です。

 ウィンターズ騎士団にはこんな素敵な女性の騎士もいるのですね。



「あの……失礼ですけれど、ラシャータ様ですよね?」


 あら、いけません。

 美人を前に失念していました。


 レダ卿は『はじめまして』と仰ったのだから、きちんと名乗らなくては。


「ラシャータ・フォン・スフィアと申します」


 本当ならここでカーテシーをするべきかもしれません。

 でも、できないので笑顔で誤魔化します。


「えっと、そういう意味で聞いたわけでは……」


 そういう?


「えーっと、とりあえず行きましょう。お荷物はそちらで宜しいですか?」

「はい、お願いします」


 ラシャータ様のワンピースと一緒に届けられた鞄に必要な荷物、ドモに言われて貴重品もしっかり入れました。


「お持ちします」

「いえ、自分で持ちます」


 貴重品は肌身離さず持っていないと盗まれると伯爵邸の使用人の誰かが言っていました。


「……そうですか」


 少し間がありましたが、何か間違えたでしょうか?

 

 ……まあ、悩んでも分からないでしょうから、ここも笑顔で誤魔化しましょう。



「それでは出発します。馬車にお乗りください」


 レダ卿の手を借りて、馬車につけられた階段を上がって馬車に乗ります。

 さっきまで頭一つ分大きかったレダ卿の高く結ばれた髪がよく見えて……


「怖いです」

「え!?」


「あの、馬車ってこんなに高いのですか?それともこの馬車が特別なのですか?」

「いや、別に、普通かと……ラシャータ様、その、お手を……」


 離れようとしたレダ卿の手をぎゅっと握ります。

 離してはいけない、離したらもっと怖くなる気がするのです。


「あの……」

「このまま手を繋いでいていただけませんか?」


「い、いえ、私は自分の馬に……」

「馬も一緒でいいですから馬車に乗ってください、お願いします」


 レダ卿の手を両手でぎゅうっと、力の限り握ります。


「馬は流石にムリなので誰かに……「きゃああっ」……ラシャータ様、少し不作法をしますがお許しください」


「え?」


 首を傾げて斜めになった私の視界で、レダ卿は大きく息を吸いこみ、


「せんぱーい!!ちょっと助けてくださーーい!!」



 まあ、大きなお声。

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