第21話 願いと代償(3)


「貴方のその目……すごく、綺麗ね」

 やり直しを始めたばかりの頃に、リーシャから告げられた言葉。その初めて出会った時と変わらぬ彼女の言葉に、ツルギが身を震わせる程の歓喜を覚えたのは記憶に新しい。

 グィニードとの契約通り、リーシャはツルギのことを覚えていなかった。それでも、彼女は変わらず彼の瞳を好いてくれたのだ。


 リーシャが、目の前で生きている。そして自分を拒まずに受け入れてくれている――それだけで、ツルギは何もかもを捧げても構わないと、心の底から思ったのであった。




 ――そうして始まった二週目の人生。しかし、その進む方向は思ってもみないものであった。

 ツルギが変えようとしていた彼女の破滅の未来を、リーシャは自身の力で変えようと動き出したのだ。そうして自らの意思で運命を切り開いていくリーシャの行動力は、かつての姿とはかけ離れたものであった。


 以前の彼女は周囲に気を遣い、求められる己の役割を果たすことを自らの使命としていた。

 しかし、今は違う。彼女は自分を道具としてしか捉えていない周囲に見切りをつけ、殺される未来にあらがうために戦いはじめた。

 強い意思を持ち、やりたいことに挑戦するリーシャ。その姿は今まで以上に美しく、そして魅力に溢れていた。

 嬉しそうに輝いた顔、楽しそうに唇をほころばせる笑顔、期待と緊張に張り詰めた真剣な顔――そんな初めて見せる彼女の表情ひとつひとつにツルギは魅了され、目を奪われた。その輝きが、眩しかった。


 そして同時にそれが苦しさを伴うものであることに気がついた時、ツルギは雷に打たれたような衝撃を受けたのであった。

 ――リーシャを支えられれば、それで良いと思っていた。そのはずだったのに。

 自分を信頼して見せてくれる彼女の心からの笑みを、そして他の誰にも見せたことのない彼女の悲しみの涙を。いつまでも自分のものにしたいと……いつしかそんなことを願ってしまっていた。


 それが危険な願望だということに、ツルギはすぐに気がついた。この気持ちが膨らんでしまったら、きっと自分はリーシャのそばを片時も離れられなくなってしまう。彼女が自由に羽ばたいて自分を忘れることを恐れて、リーシャを鳥籠に閉じ込めてしまいたくなる。

 彼女を自分だけのモノにしたいという醜い欲望がじわじわと心を侵しつつあることに、ツルギはしっかりと自覚していた。




 ――それこそが、悪魔との契約の恐ろしいところなのだ。

 彼らは間違いなく公正フェアだ。願ったことは遺漏なく実行されるし、求めた以上の対価を奪っていくこともない。

 しかし、彼らの求める対価は契約者の心の柔らかいところを確実にえぐっていて、契約した人間の心をむしばむのだ。望みの叶った契約者の先に用意されているのは、破滅へと続く綺麗な一本道。

 それ故に、悪魔との契約はどこまでも慎重に行わなければならない。


 だから、これ以上自分の欲望が膨れ上がる前に。取り返しがつかなくなる前に一旦リーシャと距離を置こうと、ツルギは苦渋の決断を下したのであった。

 ハロルドによる断罪が回避された今、リーシャの身を脅かす危険はひとまず去ったと考えて良いだろう。少しの間彼女から離れれば、契約の効果通りリーシャは自分のことを忘れるはずだ。


 そうしたら、ただの使用人と主人の関係に戻ることができる。

 一度二人の信頼関係をゼロに戻して彼女の特別な一面を目にすることがなくなれば……心を許した笑顔が自分に向けられなくなれば、こんな醜い衝動からは逃れられる――そう、考えたのだ。


 張り裂けそうな心の痛みを無視して、ツルギは足を急がせる。

 今頃はきっと、リロイ王太子がリーシャを称えて彼女への特別な想いを明らかにしていることだろう。リーシャはまだ迷っていたが、社会的にも人間的にもリロイは望ましい男性だ。彼と一緒になれば、彼女が幸せになれる可能性は高い。

 そして相手が王太子であろうともし彼がリーシャを泣かせるようなことがあったら、ツルギは容赦なく彼を排除するつもりであった。


 リロイの横で幸せそうに微笑むリーシャを想像すると、心臓が苦しくなる。ああ、そういえば自分だけが彼女の特別で居たいと思うようになったのも、リロイがリーシャへの愛を口にするようになってからだった。

 いけない、とツルギは挫けそうな己の心を叱咤する。止まりそうになる足を懸命に動かしながら、パーティの喧騒が届かない屋敷の外へと進んでいく。一度足を止めてしまったら、そこからもう進めなくなってしまいそうだ。


 そうして必死の思いで逃げるように庭へと出たところで……「待って!」と、聞こえるはずのないリーシャの声が後ろから響いたのであった。


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