第20話 願いと代償(2)


「あった、これだ……!」

 喜びの声がツルギの唇から小さく洩れた。

 城下町にある青い屋根のタウンハウス。事前の情報通りにあった隠し部屋へと足を踏み入れたツルギは、そこでようやく目的のものを見つけることができた。


 彼の足元にあるのは、粗暴な性格のハロルドが作成したとは思えない程に精緻な書き込みの為された召喚陣。

 供物の位置から召喚陣に使う血の種類まで忠実に伝統をなぞらえたは、思いがけないハロルドの才能を窺わせるほどによくできたものであった。

 この状態であれば、「最後の1ピース」が嵌まった瞬間に、悪魔召喚の陣はすぐさま効力を発揮することであろう。……ただし、今はまだ最後に必要な代償となる贄の文言は、続きが空白となったままだ。悪魔召喚は今のところ、実現していない。


 ――今回の件でリーシャが用意したとされた悪魔召喚の陣。

 それがよくできたニセモノであることに気づけたのは、祖父からロマの技を学んでいたツルギだけであろう。それの意味することに気がついたのも。

 すなわち、悪魔召喚はただリーシャを断罪し処分するための手段ではなく、それ自体に目的があるのだと。


 であれば、必ず本物の召喚陣があるはず。それさえ見つけられればリーシャの潔白は証明できる……そのために、ツルギは必死にその証拠を探してきたのだ。

 ようやく見つけた――リーシャが連れ去られてから数日間ロクな睡眠もとっていないツルギは、またとない証拠を前に疲弊とも安堵ともわからない溜め息を吐き出す。




 ――さっそく衛兵に伝えねば、とそうしてひと通り確認を終えたツルギが部屋から出ようときびすを返そうとした、その時だった。

 今まで何の反応も示さなかった召喚陣が、突然仄暗い光を放ちはじめた。血のように紅い文言が妖しく燃えはじめ、そして踊るように身をくねらせていく。

「…………っ!?」

 何が起きたのかと呆然と佇むツルギの目の前で、陣の中には新たな文字が生成されはじめる。空白だった贄の欄に記されていく、あってはならない名前――『リーシャ・バートン』。その名前から、まるで彼女の身体から流れ落ちるように朱い鮮血がどくどくと滲み出る。


「嘘だっ、まだ裁判まで日があるはず……!」

「ふふ。こらしょうのないあの男に、そこまで待つような余裕なんてあるわけないじゃない。対価は、確かに受け取ったわ」

「っ、誰だ……!」

 思わず洩れた彼の呟きに答える、突然の声。

 ばっと顔を上げたツルギの目に飛び込んできたのは、召喚陣の縁に腰掛けた男の姿であった。下半身は陣の中央に沈み込んだまま、男は艶やかな微笑みを浮かべて「ハァイ♪」とツルギに向かって親しげに手を振ってみせる。


「対価って……! まさか、お嬢様は……!」

「はいはい、大袈裟に騒がないの。アナタ、本当はもう、どういう状況かわかっちゃっているんでショ? アナタの大切なオジョーサマは、もう居ない。贄として捧げられて……召喚の儀は、完成した。だから、ワタシがここに居るってワケ。……あの王子、ナヨナヨしたお坊ちゃんかと思ってたら、自分で最後の手を下すなんてやるじゃない。チョット見直しちゃった」

「……っ!」

 その言葉で、ツルギは自分が間に合わなかったことを察する。裁判まではまだ時間があると思っていたのに、あの男ハロルドはどこまでも姑息で無法であった――リーシャは最後のトリガーである贄として利用され、身の潔白を明かすことも許されなかったのだ。




 言葉をなくすツルギを前に、突如現れた男は「よいしょ、と」と召喚陣の中央に沈んでいた半身を引き上げてゆっくりと立ち上がる。

「こんにちは♪ ワタシの名前は、グィニードサガン。グィニードって呼んで頂戴ちょうだい。様付けも要らないから」

「貴方は……」

 魂を抜かれたように立ち尽くすツルギに、グィニードと名乗る男は「シィー」と人差し指を唇に当てると、軽くウインクをしてみせる。


「ワタシが何者かなんてツマラナイこと、訊かないでね? 賢いアナタなら、……わかるでショ?」

 ニンマリと唇を吊り上げて囁くグィニードの姿は、軽い口調とは裏腹にこの世のものとは思えない程美しい。均整のとれた肉体に、この世の闇を煎じ詰めたような漆黒の髪。そして日差しの気配を感じさせない蒼白い顔の両側には、捻れたツノが生えている。見るからに人間ではない、異端の存在。


 温度のない視線に射すくめられ、ツルギは背筋に氷を押し当てられたような寒気を覚えてぞくりと身を震わせた。

「……祖父からお聞きしています」

 言うべき言葉を考えながら、ツルギは慎重に口を開く。

「悪魔召喚とは、願いを叶える術ではないのだと。これはあくまで『気まぐれな隣人』を呼び寄せる手段で……ここまで払った対価は、それだけのためのものに過ぎないのだと」

「あら、そこまでちゃんと伝承が残っていたなんて驚き。あの王子はそんなコト、ちっとも知らなさそうだったけれど」

 揶揄からかうような言葉と共に、グィニードは首を傾げる。

「それで? アナタは何を考えているのかしら?」


「それなら『気まぐれな隣人グィニード』よ、貴方は召喚主ではなく俺と取引をすることも可能、なのでは?」

「…………」

 何も答えずにグィニードは無言でツルギの言葉の続きを催促する。そんな彼に向かって、ツルギは躊躇ためらいなくがばりと頭を下げた。

「払えるモノなら何でも払います。俺の命を捧げたって構いません。だから、お願いします。どうか……どうか、お嬢様をこの馬鹿げた死の運命から救ってほしい。幸せに生きられる道を、そのチャンスを、いただけないでしょうか!」

「へぇ? 何でもする、って言うだけなら簡単なのよね。彼女のタメに今すぐ死ね、って言われて果たして本当にできるのかしら?」

 冷めたグィニードの声にも、ツルギは怯まない。


「ええ。それで彼女が、幸せになれるなら。それさえ成し遂げられるのであれば……俺は、この世界を差し出せと言われても構いません」

「この世界を、ですって……?」

 思いも寄らないことを言われた、とグィニードは口に手を当てる。

 しばし呆気に取られた顔をしてから、彼は肩を震わせて笑いはじめた。くつくつと忍び笑う声は、やがて部屋を震わせる程の哄笑こうしょうとなる。


「想い人のタメなら世界すら犠牲にする……? ふふっ、美談に見せかけてなんたる傲慢、なんたる横暴なの!」

 人ならざる美しい生き物は、嘲るような言葉と共に天を仰いだ。

「そう、それだからこそ人間は面白いのよ! 要人の暗殺なんてツマラナイ仕事、何を言われようと引き受けるつもりはなかったけど、そんな願いならワタシもたぎるというもの!」


 ビシリとツルギを指差して、グィニードは妖艶に笑む。

「己の幸運に感謝することね。他の同族と違って、ワタシは血や争いを好む野蛮なタイプじゃないの。ワタシが好きなのは苦悩、悲嘆、そしてその後の歓喜。――良いわ、アナタの願いを叶えてあげましょう。アナタと、アナタの大切なお嬢様の時間を戻してあげるわ。対価は……」

 少し思考を巡らせてから、グィニードはポンと手を打った。


「彼女が持つ、アナタに関する記憶……とか面白いんじゃない? 。最初は顔、そして名前……やがてアナタの存在すら、彼女は忘れてしまうでしょう。少し側を離れただけで、アナタという存在は彼女の記憶から消えてしまう」

 どういうことかわかる? とツルギの顔を覗き込むグィニードの表情は、悪戯を思いついた子供のように無邪気で残酷だ。


「アナタがいくら彼女に尽くそうと、それはすぐに忘れられてしまう。アナタの献身は、いつまで経っても報われない。――そんな一方的でいびつな関係が、果たしてどれだけ続くことかしら」

「なんだ、そんなこと」

 しかし仄暗いグィニードの嘲弄とは対照的に、それを聞いたツルギの表情は晴れやかであった。


「それなら俺はもう、とっくに報われている」


 ――リーシャと初めて出会ったあの日に。

 彼女はツルギ本人すら諦めていた自分の生命を、拾ってくれた。今まで見つけられなかった己の価値を、見つけてくれた。それは、彼が初めて手にした救いであった。

 だからもう、それだけで十分なのだ。彼女に忘れられようと、自分がその思い出を忘れることは決してないのだから。その記憶ひとつには、彼女のことを一生守り抜くだけの価値がある。


 ――彼女の中に、自分が居なくても構わない。彼女が幸せに笑えるのなら。

 そして……少しだけ贅沢を言うのなら、そんな彼女の姿を見られたらそれで良い。




「提案を受け入れましょう。契約を、お願いします」

 静かな声でツルギが答えれば、グィニードはつまらなさそうな顔で片眉を上げる。

「じゃあ、契約成立ね? 観客としてはここで苦悩してもらいたかったところだけれど……まぁ良いワ。……あ、もちろんこの契約のことを口外することも禁止よ? せいぜい、正体不明の存在として彼女に怪しまれなさい」

「お嬢様が救われるなら、そんなこと問題にもなりません」


 きっぱりとそう返すツルギに、グィニードは得体の知れないものを目にしたような視線を向ける。

「それだけこじらせた執着を、強い忠誠心に捻じ曲げるなんて……本当に、アナタたち人間って不思議な生き物。じゃ、せいぜい頑張ってワタシを楽しませて頂戴ちょうだい。アナタ達の足掻く様を見届けてあげるから」

そう言うとグィニードは無造作に片手を上げてパチンと指を鳴らした。


 途端にツルギの周囲を薄紫色の旋風が吹きはじめる。風は金色に光る不思議な文字をまといながら、ツルギの姿を覆い隠すように徐々に強く舞い上がっていく。

 ツルギの存在を外界から隔絶させるような強い風。その風に覆われてグィニードの姿と声は遠ざかっていく。


 その姿が完全に見えなくなる直前になってから、「あぁ、そういえば」とグィニードは思い出したように口を開いた。

「言い忘れてたけどワタシ……意外とハッピーエンドが好きなのよ?」

 じゃぁネ♪、と投げキッスを送るグィニードの姿は、もうツルギの目には届かない。


 吹きつける風の強さに目を閉じていたツルギがやがて再び目を開けた時には――既に、過去への転送は行われた後であった。

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