第14話 気まぐれ猫に振り回されて

改めて思った。


俺は葵の趣味趣向といったものを何も知らない。仮にも一つ屋根の下、一緒の部屋で暮らしていると言うのに。


「………」


仮にも仮にもお年頃の女の子。実は我慢しすぎて無理をしているのではないかと。

居間で茶を飲みながら、目の前でカバーをかけた小説を静かに読んでいる葵に気づかれない様に、俺はちらりと一瞬目を向けてみる。


「何でしょう?」


だと言うのに、葵はしっかりとそれを察知して。


「…何でもないよ。うん」 

「?」


無表情で首を傾げる従妹。…まあ、焦ることもない、のか?こうして静かに本を読むことが好きだということも、一緒に暮らして分かったことの一つなんだから。

もう少し時間をかけていけば、きっと――










「(――とはいえ、…とはいえなんだよなぁ…)」


焦るつもりは無いけれど、決して焦るつもりは無いけれど。因果なもので、人は一度気になりだすとそれを追求せずにはいられぬもの。


その日、俺はどうしても外せない用事があるからだの適当に理由をこじつけて、明らかに訝しんだ様子の葵を先に帰らせることにどうにか成功した。


そして今、俺は帰路につく葵の背後で気づかれない様に後をつけている形となる。


「(…よく考えなくても、これアカンやつでは……?)」


なんてことの無い町並みをなんてことの無い様子で姿勢正しくゆるゆると歩く葵。

真っ直ぐに家路につくことは無く、色んなお店をあちこち回りながら所々で店頭に並ぶ様々な品を足を止めてじっと見つめる事があるが、今の所入店する様子は無い。おかげで俺も隠れ場所に苦労している。もし通報されたら何一つ申開きできないだろう。


「(…意外とウインドウショッピング的な事が好きとか?)」


それとも本当は喉から手が出るほどに欲しいけどお小遣いが足りなくて泣く泣く我慢しているとか?よく見ればやけにお高そうな食べ物の店の前ばかりで足を止めているし。

もしそうなら言ってくれればお兄ちゃんが買ってやらないでもないと言うのに。ワガママの一つや二つ、余裕で聞き入れるだけの蓄えはある。主にお節介のお駄賃だけど。

それに母からも、もし彼女がワガママを言うことがあったならば、俺はどうなってもいいから叶えてやれとのお達しが出ているのだ。言ってて悲しくなるけど出ているのだ。


「………」


と、その時だ。ついに葵が店に入った。

外で待つのもいいが、あの読めない従妹が何を求めているのかはどうしても気にかかる。俺も後に続こうとして


「(……危ねえレディースショップじゃねえか!!)」


即座に急ブレーキ、そして回れ右。いや、別に彼女へのプレゼント探しなど相応の理由があれば入れるのかもしれないけれどいややっぱ無理だ。流石にここに制服着たまま入る勇気は無い。


仕方ない。何処かで時間を潰すか?そう思ったのも束の間、直ぐに葵が出てきた。相も変わらずの手ぶらで。


「……何か気になるものでもあったのか…?」


されど手ぶら。そして無表情。買えて満足、とか買えなくてがっかり、とかそういった感情もおよそ見受けられない。


そしてその後、葵は商店街を抜け、住宅街へ。結局、最後まで手ぶらのままだ。

彼女が曲がり角の奥へと消えていき、俺も慌てて追いかける。


「…あれ」


いない。

然程距離が離れていた訳でもなかったはずなのに、前方に葵の姿が影も形も無い。完全に見失ってしまった。


『にゃー』


さてどうしたものか、とその時。斜め前にあった小さな空き地から猫の鳴き声が聞こえてきた。ひょっとしてそこに入っていったのだろうか。

足音を殺しながら、一歩一歩踏みしめるように空き地へと歩を進める。

顔だけを出してそっと中を覗いたその時だった。


「にゃー」

「にゃ〜ん?」

「にゃにゃにゃー」

「にゃにゃ〜」

「にゃーにゃ?」

「にゃ〜………」


「………………」


可愛らしい猫が数匹。

……いや、葵が隅っこにしゃがみ込んでそこにいる野良猫達と話、……話?……会話…している。……多分…恐らく……めいびー。

果たして皆様には今のどれが葵だったのか理解出来るだろうか。俺は出来なかった。だって猫の鳴き真似がそっくりなんだもん。にゃんこガチ勢のそれだったもん。


多分、いや間違いなく、今、俺は見てはならないものを見ているのだと思う。バレたら消されてもおかしくないレベルの禁忌に足を踏み入れてしまった。

これはいけない。大変いけない。かつてない緊張感と共に俺は踵を返し、即座にその場を離れようとして


ぱき。


「(〜〜〜〜〜〜っ〜〜!!!???)」


――何。――枝っ!?。――今?――どこから。――急―――リスポーン?―――やってしまった。――やらかした。―死。―殺され―――


「に い さ ん」

「―――――――――――――――――」


気配も無く後ろから手を回され、耳元で蕩ける程に優しい声が響く。まさに猫撫で声が。

あの距離を今の今、1秒すら無かったはずの一瞬でどう詰めたのか、この甘ったるい声は本当に葵なのか。尽きることの無い疑問を抱えたまま俺の意識はそこで途切れt












「覗き見は感心しませんね」

「………はい…」

「そもそも、覗きもストーカー行為も立派な犯罪。私でなければ御用でしたよ」

「……ごめんなさい…」


膝を揃えてしゃがみ込んだ葵が、猫じゃらしで野良猫と戯れている。斜め後ろで正座する俺からは顔が見えないが、ぷんすこ機嫌を損ねていらっしゃることは膨れた様なそのお声から嫌でもよく分かる。

後、葵と猫の手元が超高速で動いてて俺の目では捉えられないんだけど、あれがガチ勢の戯れということなのでしょうか。俺には経験値が足りなすぎて分かりません。教えて猫飼ってる人。


「それに兄さん。尾行するならもう少し気配は消さないと。ですよね?にゃあさん」

「にゃ〜」

「ぇ゙。…気づいてたの?いつから…?」

「最初から」

「………」


にゃあさんと呼ばれた猫の両手をつまみ、こちらに向けてミームみたいにふりふり揺らす横顔を見て今更理解する。つまり、俺はこの年下にいいように弄ばれていたということ。

今にして思えばやけに回り道が多かったのも、じっくり時間をかけて店を眺めていたのも完全に俺を弄んでいたのだろう。いつしびれを切らして、ボロを出すことかと。


「それでも兄さんはそんな事しないって信じていたのに……」

「う」

「……ひどい……」


膝に頭を埋めた葵の、くぐもった声が震えている。

大切に預かっていた親戚の信頼を損ねてしまった。己がどれだけ愚かな事をしたのか今更になって思い知る。


「……ごめん、葵……」

「………くすん………」

「っ…俺に出来ることなら何でも「ですか」ん?」


けろっ。泣いていた顔を上げて、いやそもそも泣いてすらいない相変わらずの無表情だったのか、平然とした様子で立ち上がり野良猫の頭を撫でて別れを告げると、葵が来た道へと歩き出す。俺も慌てて後に続けば


「では仕方ないですね。私の恥ずかしい秘密を知ってしまった兄さんには、お詫びに買い物に付き合っていただくとしましょう」

「………」

「その為の吟味はここに来るまでに一通り済ませましたので」

「え」


心做しか弾む背中を眺めながら、俺は彼女のその言葉の意味を考え直す。

ここに来る前までに見てきた葵のウインドウショッピング。ざっと羅列してみてもそこにお手頃価格のお店は一つたりとも存在しない。


「あ、いや、それはいいんですけど一気に高いのはちょっと……」

「…え…そんな兄さんひどい……私のプライベートやら恥部やら陰からこっそりねっとり舐め回すように観察しておきながらまさか断るんですか…?」

「大いなる誤解!!」


されど俺に断る権利など。友人に悪い影響を受けていそうな口ぶりにそこはかとない不安を覚えながら、俺もさっさと歩を進める葵に遅れてついていくのだった。






「兄さん見てください」

「…何?この全身刺されて見るも無惨な状態なのにそれでも笑顔のゆるキャラ……」

「もずのはやにえくんです」

「早贄………」

「可愛いですよね」

「……ぃゃ……………………うん、そうだね……………………………」




「おや兄さん。カップル割、なんて言うのもあるらしいですよ」

「…勘弁してくれ…」

「ですね」




「…兄さんのアイスは何味でしたっけ?」

「抹茶」

「美味しいですか?」

「うん」

「私は小豆です。美味しいですよ」

「…うん」

「美味しいですよ。にゃー」

「……一口食べる?」

「ですか。なら私も一口あげますね。はい、あーん」


…結論から言えば、色々奢ることにはなったけれど、その中に別に高いものは無かった。それどころか、ああ言った割にはあれこれ欲しがる事も無かった。

連れ立って店を色々眺める時間が増えるにつれ、分かりにくいが確かに機嫌を上げていく葵。懐は確かに多少寂しくはなったけれど、何処か嬉しそうな彼女をこうして眺められるのなら全くもって安いものだと、そう思う。


…思うけれど、本当に、お年頃の女子というのはよく分からない。

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