第15話 私の宝物

「葵、近所の陶芸屋行くけど来る?」

「…陶芸…ですか…」

「?うん」

「…いえ、すみません。またの機会に」

「………」












「タケ爺。『めちゃくちゃ美人の従妹と一つ屋根の下で暮らす様になりました』ってどう思う?」


とある休日。俺は近所の爺さんに頼まれて店の棚卸しの手伝いやら何やらをやらされた後、彼とともに古めかしい盤を厳かな雰囲気の中、囲んでいた。

上品な扇子で己を扇いでいた厳格そうな老人、店主のタケ爺はゆるりと頭を動かすと鋭い眼差しで俺を射抜く。


「何じゃ。新作のラノベかなんかか。儂的にはもうちょい捻りとエロスが欲しい」

「いや、マジの話」


絶賛、閑古鳥の鳴く陶芸品店の店先で、俺は駒を指して何気なく声をかける。別に油断を誘うとかそういう気など一切無い、あくまで世間話程度の話だ。俺達の間に流れる油断ならない緊張感。道行く人が何事かと俺達にちらりと目を向け、そして手元を見て唖然として通り過ぎていく。


パチン。俺の駒が相手の兵士を挟んでひっくり返す。


「ほう。総護も隅に置けんなぁ」

「いや、そういう話でもないんだけどさ」


端から見ると何とも背徳的かもしれないが、今のところ色っぽい展開があった訳でもない。けれど、俺はあの子の事が何故か妙に気になっている。それは確かだった。

葵を見ていると、何か己が大切なことを見落としているような気がして、心がざわざわしてならない。


「悩みでもあるのか」

「悩み…って訳でも…」

「…その子はいい子なのか」

「いい子だよ」


それは断言する。表情は薄いけどね。

妙手を考えていたのか、何やら似合わぬ真面目な顔をしたタケ爺の指した駒が再び俺の駒をひっくり返す。…む、これは。


「王手ぇ!」

「オセロに王手無いよ」

「角取りゃ王手みたいなもんじゃろがい!!」

「へー」


俺が駒を置く。面白いくらいに色を変える盤とタケ爺。

タケ爺が驚愕の様相で至近距離まで顔を寄せて盤を眺める。そして気づく。置ける場所が無い。詰みである。絶望に染まる皺くちゃの顔。

容赦の無い俺の連続攻撃。たちまち盤が色を変えていく。


「はい俺の勝ちね」

「んがぁ!?何故じゃあ!!」


弱いからじゃないかな。頭を掻きむしるタケ爺を他所に俺はまた葵のことを考えていた。気の所為だろうか。元々考えの読みづらい子ではあったが、最近はいつにも増して浮世離れした、と言うかふわふわしている感が強くなった気がする。我ながら頭の悪い言葉だけれど。


「…なるようにしかならん」

「ん?」


しょぼくれた顔で盤を片付けるタケ爺が小さくそんなことを言う。


「お前もその子も別に嫌いあっている訳じゃないんじゃろう」

「うん」

「なら、時間が自然と解決してくれるわい。儂の豊かな経験上な」

「タケ爺の経験かぁ」

「文句あるんか!」


また嘘っぱちじゃなければいいけど。

この間もくだらない嘘をついて近所のお茶飲み友達のお婆さんに鉄山靠を食らっていたこのジジイの言葉はどうにも信用ならないのだった。







「あ」


そしてまたある日。そんなあっさりした声の直後に響き渡る、ガラスが割れるけたたましい音。急いで水場を覗き込めば真っ青な顔の従妹と、足下に無残に散らばるコップの姿。しゃがみこんで散らばった破片に手を伸ばそうとしたから急いで近づきそれを制す。びくりと、視界の外で葵が固まる気配がした。


「怪我は?」

「あの、兄さ、ごめんなさい……」

「いや、いいって。大丈夫だから」


俺が片す間に掃除機を持ってきてくれないかと頼めば、はっとした葵は急いで掃除機を持ってきてくれた。その慌てっぷりに思わず苦笑…する気にはなれなかった。

彼女はまるで怒られるのが怖い小さな子供の様に震えていたから。


「(そう見ると、やっぱ歳下なんだよな…)」


俺はうまい言葉が出てこなくて、葵は黙り込んでしまったままで。互いに気まずい時間が過ぎる。

そして破片を集めながら、ふと思った。


「葵」

「っはい…」

「葵のコップ。買いに行こうか」

「……、ぇ」


彼女は今でもわざわざ来客用のコップを使っていたらしい。別にそれは構わないけれど、一緒に暮らしているのに何処か他人行儀な気がすることも確かで。

思えば彼女の私物というものは本当に少ない。旅行鞄一つに収まるレベルだ。だからこそ俺の部屋に簡単に上がり込めてしまえる訳で。


「…怒らないんですか?」

「…?何で?」


別にわざとではない事くらい今の葵を見れば分かることなのに。未だ不安そうに俺を見つめる彼女の姿を見て、今度こそ俺は苦笑した。












「………」

「(悩んでるなぁ)」


真剣な様相で陳列された湯呑みを見比べる葵の後ろで、俺もまた気になった小物などを適当に眺めていたのだけれど、一回りして戻ってきて尚、立ち位置が一歩も変わっていない彼女を見て、またもや苦笑した。

けれど、小物に年相応に頭を悩ませる女の子らしいところを見れたこともまた安心した。一体何目線なのだと自分で思わなくもないけれど。


「確かにいい子じゃの」

「ん?」 


湯呑みを作った店主。つまりはタケ爺なのだが、俺の隣に並び立つとそんなことを言ってくる。


「タケ爺もそう思うんだ」

「陶芸好きに悪い奴はおらん」

「そっち?」


謎の自信に満ち溢れたタケ爺の言葉にもはや何度目かという苦笑い。


「しかし、お前ももう少し可愛らしい店に連れていけば良かろうに」

「葵が興味を示したんだよ。ここが良いって」

「…それはそれは」


嬉しそうに喉を鳴らすタケ爺。同好の士というものは何人いても嬉しいものなのだろう。


「一つ一つ丁寧に見ておるのう」

「そう、…なんだ?」

「うむ。今時の子にしては感心感心。…顔は怖いが」


悩んて悩んで、漸く二つに絞れたのだろうが、葵の表情は先程よりも険しく、まるで親の仇を前にした様な逼迫した顔を見せている。

それはタケ爺の言う通り、中々に迫力があるもので。


「兄さん」


険しい顔と、険しい声で。葵がこちらに戻って来る。その気迫に圧され、俺とタケ爺は笑顔のまま無言で一歩下がった。けれど下がった分、葵が一歩距離を詰める。眼前に迫る綺麗な顔と、ふわりと香る彼女の匂い。


「お、…」

「兄さんはどちらが良いと思いますか?」


葵が俺の前に2つの湯呑みを差し出した。どちらも実によく出来た、タケ爺自慢の一品である。年頃の女の子が持つには少々渋すぎる気もするが。


「俺が決めていいの?」

「兄さんがいいです」

「……そ、そうか」


横でニヤニヤと面白そうに眺めているタケ爺が鼻につくが、そう頼られて悪い気がする筈もない。

左右の湯呑みを見比べて、作り手はともかくその出来栄えに感心して。そして右手の湯呑みを見て思わず視線が止まった。

丁寧にあしらわれたさり気ない花模様。それでお茶を飲む葵を想像したら、それが妙にしっくりきて。自然と指は動いていた。


「…じゃあ、こっち」

「ですか」


微かに満足そうな葵の声。それがどうにも気恥ずかしくて、俺は道を開けるさり気ない風を装って身体をずらす。どうやらタケ爺にはバレバレだったみたいだけれど。


「タケ……お爺さん。これを買います」

「おお毎度。総護と嬢ちゃんに免じて大まけしてやるぞ」

「え」

「いいもん見れたからのぉ」


提示されていた額よりも大分安い金額に葵もぱちくりと目を瞬かせている。

続いて、なだらかな八の字の眉で俺を見つめる。ニヤつくタケ爺の言葉はちょっと引っかかったけれど、俺は二人に頷きを返す。


「お言葉に甘えようか」

「…では……ありがとう、ございます」


湯呑みが包まれた紙袋を礼を言いながら丁寧に受け取った葵が、それを大事そうに胸に抱え込む。

それを見たタケ爺が先程までとは違う満足そうな笑顔でカラカラと笑った。

多分、恥ずかしかったのだろう。葵はぎゅっと唇を噛むとさっさと背を向け店の外に出ようとして


「お嬢ちゃん」


その背中にタケ爺が声をかけた。


「はい」

「興味がありゃまたいつだって来るとええ」


その言葉を聞いた背中が一瞬、小さく震えたように見えたのは気の所為だろうか。

コクリと、振り向いた葵が静かに頷き、そして深く腰を折る。それを見たタケ爺はくしゃくしゃの顔を更にくしゃくしゃにして嬉しそうに笑う。何だか分かりあった風の二人に少しもやもやしたものを感じながらも、けれど家に着くまで大切そうに紙袋を抱えていた葵を見て、俺は連れてきてよかったと、素直にそう思えた。




そしてその日の夜から早速、葵の前にはいつもその湯呑みが置かれることになるのだった。

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