第16話 ちぐはぐな僕ら

「はい、という訳で記念すべき第一回穂村家開催お勉強会〜」

「わー」

「わーい」

「………」


その日、お互いに改めて軽く自己紹介も済ませた俺達4人は俺の、いや俺と葵の家の居間に集まり仲良く卓を囲んでいた。

俺の気の抜けた号令と共に各々が位置に付く。俺の隣には当然の様に葵が座る。

そうなれば必然的


「よ、よろしくお願いします……!」

「おう」


隣り合う事になる見た目お嬢様中身小動物と見た目ヤンキー中身ヤンキー。哀れ小動物はプルプルとその小さな身体を震わせている。

ヤンキーが腕を組めば、その動きにすら過敏に反応しシュバッと反射的に臨戦態勢をとる風峰さん。…まだ完璧に慣れたとは言えないらしい。


「半端は許さねえ。やるからには満点取るくらいの気概を見せてみろ後輩」

「お、おす!てやんでいっ!!」


「……大丈夫でしょうか…」

「前も言ったけど頭いいよ隼人」


流石に心配そうに眉を寄せて葵が二人を見つめているが、俺は彼の面倒見の良さを知っている。俺も度々世話になっているし、だからこそ彼を教師として頼みとしたのだ。


「…ですか。兄さんがそう言うのなら」

「…ま、俺らの方は特に教え合うことも無さそうだけど」


優秀な従妹に今更俺が教えることなど。かと言って俺が葵に教えを請うのも格好がつかない。自然と交流の少ない寂しい勉強になりそうだ。ま、従兄妹の交流の時間など終わってから存分に取ればいい。


「…では兄さん、ここ、教えてください」

「ん?」


などと思っていた俺に、開いた教科書のページを指し示しながら葵が肩を寄せてくる。ふわりと柑橘系のような匂いが鼻孔をくすぐり、何やらむず痒い感覚が身体に走る。何故彼女が。重ねて言うが今更俺に教わる必要などあるのだろうかと。


「?…私が教わっても問題ありませんよね?」


そんな俺には気づいていないのか首を傾げ、下から俺を覗き込む様に見上げてくる葵。何を考えているのか分からない。分からないが女の子の上目遣いというものが破壊力抜群というのだけはよく分かる。


「兄さん」

「っ分かった、分かったから…!」


ずずいっと。更に身体が寄せられる。押し当てられる何やら柔らかい感触から意識を逸らすように、俺は彼女の示すページへと意識を集中させるのだった。












「──…だから、ここでこの式を使う事によって綺麗な答えが導き出せるって訳だ」

「あ…本当です。さっきまであんなに不安になる答えだったのに…」


「ふむ…合ってるな。…何だやりゃあ出来るじゃねぇか」

「っ……あーちゃんより教え方が丁寧で、その上拷問もされない……!……バファリン先輩……!!」

「拷………誰がバファリン先輩だ」


「(割りと息合ってる、のか?)」


気づけばいつの間にやら和気藹々と勉強を捗らせている二人。何だかんだいいコンビと言ってもいいのかもしれない。


対して、一方こちらと言えば。


「………………」


長い事無言が続く俺の席。隣では葵が黙々と自分の勉強を進めている。

結局質問してきたのは最初の方だけで、自分のペースに入り込んでからはひたすらお兄ちゃんそっちのけで集中してしまっている。別に寂しくなんてないけど、まさか俺達の方が気まずくなるだなんて。いや、勝手に俺が気まずくなっているだけか。


「………ぉ…」


そんな事を思っていたら。

ピタリ。そんな彼女の手が止まった。ギギギ、と錆びついた機械の様にゆっくりと彼女の顔が俺へと向けられる。明らかに最初と反応が違うんだが。


「………兄さん」

「ん?」


無言で葵がページを指し示す。


「…ここ、分かりますか?」


ここに来てまさかまさかの葵からのご質問。構ってくれたことが嬉しい訳では決して無いが、俺も内心ウキウキで顔を近づける。


「(……お…)」


ここ、この間土方ゼミでやったところだ!覚えの有る公式に思わず心を震わせる俺。その勢いのまま、葵に答えの導き方を教える。まだ記憶に新しいそれは思いの外スラスラと俺の口から滑り出て、葵も流石理解が早く、あっという間に答えへと辿り着いた。


「できました」

「お、やるじゃないか。やっぱり葵は偉……ぁ」

「―――」


無表情ながら何処か得意気にノートをこちらに見せつけるその可愛らしい姿に、無意識に僅か下にあったその頭を撫でてしまい、不意打ちだったからか珍しくまん丸に見開いた目を見て思わず動きを止める。けれど葵に抵抗する様子は無い。寧ろ甘んじて受け入れているようなので恐る恐るそのまま再び。


「……ふふ……兄さんのおかげですね。…ありがとうございます、兄さん」


ふわり。

僅かだけれど、今確かに葵が笑った。






───ありがとう、お兄ちゃんっ───






「……………………?」

「兄さん?」


何か遠い記憶が頭を過ぎり、思わず頭を抱える。夢で見るあの子の声。

様子のおかしいことに気づいた葵が、俺を覗き込んでいる。その顔は既に元通り。


「………なぁ、葵」

「はい」

「…俺達「終わりましたぁっ!!」」


勢いよく聞こえてきた言葉にびくりと二人仲良く肩を震わせる。それにかき消されるように俺は開きかけた口を直ぐに閉ざす。言えば何かが変わってしまう、そんな気がしたから。


向かいでは風峰さんが何やらふんすふんすと鼻息荒くガッツポーズをとっていた。


「今の風峰に死角無し!正に完璧!完峰!今ならどんな問題もばっちこいですよっ!ありがとうございますバフぁ……バッファロー先輩!!」

「お前は俺をどうしたいんだ」

「流石ですね夕莉。貴方はやれば出来る子だと最初から信じていました」

「おのれ貴様ぁまだ言うかぁっ!!」

「すてい」

「横で喚くな」


ぱちぱちと何とも乾いた拍手をする葵に今にも掴み掛からんとする風峰さんを制し、隼人がポキポキと凝り固まった首を鳴らすと時計を指し示す。


「総護。ぼちぼちいい時間なんじゃねぇか」

「……まぁ、そうだな」


外はそろそろ暗くなり始めている時間帯。道行く人も帰路についていることだろう。

開きっぱなしの教科書を閉じ、俺も固まった肩を解しながら立ち上がる。


「…飯でも食う?」

「いえいえ流石にそこまで図々しくはありませんよー」

「まあ、そうだな」

「ならお開きにしようか。送るよ、二人共」

「おお、紳士。あーちゃん、お兄様紳士ですよ」

「ふっ」


「褒められちまったよはーちゃん」

「お前は普通にぶっ飛ばすぞ」







「あ〜疲れた…」

「お疲れ様です」


二人を近くまで送り届けたその夜。

俺は自室でまったりし、そして隣には普通に葵がいる。


「どうぞ」

「お、ありがとう」


葵が差し出してくれた麦茶を飲み、ひと心地入れると共に深く息をつく。

そんな俺を彼女は無言で見つめている。けれど決して気まずい雰囲気ではなく。


「少々意外でした」

「何が?」

「顔が広いとは思っていましたが、土方先輩のような方とまでお友達とは」

「あー、まあ…そうなりもするか…」


あいつは普通に良い奴だけど見た目は完璧にヤンキーだから、初対面の人からしたらさぞ気後れするだろう。風峰さん程とはいかないが、警戒されて当然だ。


「ん?でも葵はそんなに怖がってなかったな」

「兄さんの友達ですから」

「……さいで」


その判断基準もどうかと思うが。

だが、そうはっきりと言い切られてはこちらとしても反論する気にもならない。


「…因みにどういう経緯で知り合ったのか、聞いても?」

「ん?あー…何だったか…」


探りを入れられていることにも気づかず、俺は呑気に隼斗との出会いを思い返す。

今でこそ側だけヤンキーだが当時はフル課金ヤンキーだった彼の事を。


「…大した話じゃないよ。いつだったかあいつの元いた小さなグループの揉め事に思わず首を突っ込ん「は?」」


腹の底から冷え切ったような声が隣から聞こえて思わず呼吸が止まった。恐る恐る視線を向ければ、光を失った双眸が真っ直ぐこちらを見つめている。瞳を覆う長い前髪によりその恐怖はさらに増し増し。


「……兄さんは不良の喧嘩にも首を突っ込んだのですか?」

「いや、流石に喧嘩はしないけどあいつ困ってたからちょっとだけ……」

「困っていたから、突っ込んだのですね?」

「………はぃ…」


深い、深い溜息をついた葵が額に手を添えて頭を悩ませている。


「……おばさん、事態は思ったよりも深刻です………」

「え」




「兄さん」


縋るように、彼女の手が肩に乗せられる。力の込められた手は僅かに震えていた。その深刻な表情に、思わず俺も息を詰まらせる。


「お願いです。……お願いですから、自分を大切にしてください」

「?…大切にしてないなんてこと…」

「っ……違う………」

「…………」


苦しそうに葵が表情を歪ませて俯いてしまう。なのに、俺はそれを何処か他人事の様に見つめていた。






──お兄ちゃんっ──






「っ……」


まただ。酷く頭が痛む。顔だけがぼやけたあの子が俺を呼んでいる。だけど、今度は泣きそうな顔で。

だからという訳でもないだろうけど。


いつの間にか俺は葵を抱きしめていた。


「っ!?に、……兄、さん?」

「…………………」


聞いたことの無い、戸惑うような葵の声。だけど俺はそれ以上に戸惑いまくっている。自分は一体何をやっているのかと。


当然、このままでいられる筈もなく。柔らかな温もりを抱きしめながら俺は必死に言葉を探した。


「……約束は、出来ないけど」

「…、…」

「葵が辛そうだと、何か俺も辛いから」

「…………」

「自分をもっと…大切?にしてみるよ」


出てきたのはこんなふんわりした言葉だけ。我ながら何とも信用の欠片もない言葉だと思うが、葵にとっては大きな意味があるものだったようで。

とん、と彼女の頭が俺の肩に乗せられ、そのままふわりと寄りかかってくる。


「約束は出来ないんですか?」

「…………うん」

「ひどい人」

「う…」


そう言われては返す言葉も無く。


「いいですよ」

「え」

「なら、私が見ています」


「貴方が自分を傷つけないように」


葵の腕がゆっくりと背中に回される。恐る恐る、けれど強く、強く。俺を離さない様に。…まるで、どこにも行かないでと、親に縋り付く子供の様に。


「……………兄さん………」


そのまま暫しの間、俺達は何も言わず二人で静かに抱きしめ合って───











いたその時、けたたましい音を立てて扉が開いた。


「たっだいまー!!あおちゃん!あ、ついでに息子。いる!!??元気してたーーー!?……………………ぉあ………」


人の部屋にノックもせず、突然入ってきた酔っ払いが扉を開け放ってご機嫌に手を上げたままそのままの姿勢で硬直した。


「「………………」」


ついでに俺も。


「………………えっ………と……………」

「あ、おばさん、お帰りなさい」


抱きしめた手は離さず、腕の中からもごもごと顔を出すと葵がいつも通り母を出迎える。この子のメンタルどうなってんの。


「………、あの………」

「はい」

「…………………………ゴムは……つけなさいね……………」


そしてかつてない母の優しい声と共に、そっと音もなく扉が閉まる。


「「…………………」」


…やかましい。

慌てて葵から身体を離して、誤解を解くために俺は母を追って部屋を出ていく。


その背中に注がれる、大層不満そうな視線に気付かないまま。

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