第12話 嵐の様な君

「先輩、夕莉ですっ!」

「急にカチこんでくるじゃん」


とあるお昼時、友人と二人仲良くお弁当を口にしていれば教室の入口から突如響き渡る可愛らしい声。

何事かと他の皆が現れた道場破りに目を向け、そしてその目標が俺である事を認識して『何だ穂村か』、みたいな感じでさっさと興味を失って食事に戻る。何で。


「あ、……えへ……お騒がせいたしましたでさぁはい………へへ」


先程までの威勢は何処へ。皆の視線に貫かれて全身穴だらけになったことが無事致命傷だった風峰さんが、三下極まりない様子で縮こまりぺこぺこ頭を下げながら俺達の下へとやって来る。


「おっす後輩」

「おっす先輩……あの、今宜しいでしょうか…?」

「いいかな隼人」

「え」

「構わんが」


俺が前の、風峰さんの立ち位置的には右側に目を向けそこにいた隼人に一応の確認を取れば即座に返ってくるあっさりとした返事。

恐らく俺以外を視界に入れないようにしていた風峰さんが俺の声に誘われる様に横を見て、そして固まる。


「………ひぃ………や、やややヤンキぃー………っ」

「…………」

「……食べないでぇ………確かに風峰はこの見目麗しい見た目からして大変唆るし絶対美味しいけどもぉ…」

「やっぱ余裕あるよなこの子」


実は演技なのでは??即座に眦に涙を溜め、及び腰でファイティングポーズ(デトロイトスタイル)を取る小動物後輩を見ながらついそんな事を考えてしまう。


勝ち目の無い戦でも立ち向かおうとする気概は買うが、そのヤンキーは見た目だけで至って無害。それを教えるべきか否か。子鹿の様に震える後輩は何とも面し、可愛らしいのでこのまま眺めているのも吝かではない。

されど、そんな阿呆の考えることなどお見通しなのか、目の前の隼人くんが白い目で俺をぎろりと睨んでいる。これをはよ何とかしろ、というお達しらしい。


「風峰さん、そのヤンキーは優しいヤンキーだから怖がらなくて大丈夫だよ」

「優しいヤンキーってそれつまりヤクザじゃないですかぁ親切に言葉巧みに誘導された後に無知な風峰は哀れ東京湾に沈められるやつじゃないですかぁ」

「葵」

「ここに」


さり気に風峰さんから遅れる様にして音もなくやって来ていた頼れる我が従妹。葵は俺の声に頷くと、再度音もなく風峰さんの背後へと回りその肩に手を置く。


「夕莉」

「あ、あーちゃん…風峰今から海の藻屑になります…そしたらあーちゃんは悲しんでくれますよね親友ですもんね……?」

「そんなことより兄さんに用があったのでは?」

「ああそうでした風峰うっかり」


雑な対応も何のその。ころころころころ掴みどころ無く、『喜怒哀楽の迷子』たる風峰さんはわざわざ隼人を避けるように、あくまで視線を逸らさず大回りで俺の背後へと辿り着きそのまま身を縮ませ隠れ始めると、俺の耳に顔を近づけ囁いてくる。


「あの〜穂村先輩…」

「…何かな風峰後輩」

「無知な風峰略して無知峰にお勉強教えてくださいませんか……?」


可愛らしい声が耳をこしょこしょと。その依頼に俺は無言で葵を見やる。


「…お前は俺を怖がらないのな…」

「何もされていませんので」

「兄貴似」


隼人に会釈し、何故か堂々と俺の机に弁当を広げ始めようとしていた葵は俺の視線に気づくと、珍しくも子供らしい拗ねた様子で唇を尖らせる。ほんの少し。


「私が教えると言っているのに頑なに断るんです。無知峰大変ワガママ峰」

「お、おどれどの口がぁっ!風峰の繊細な心は既に折れるどころか擦り潰されて粉末状態!!風峰は確かに皆の心に染み渡るけどあくまで漢方ではなく人の子なんですよ!?何故そんな血も涙もない事が出来るのですかあーちゃんはっ」

「私も先達より学んだ道です。仲良く手を繋いで歩きましょう親友なのでしょう?」

「ゴールでこっち見て立ち止まってるだけのくせにぃ!!」


いかにも友達らしい軽妙な掛け合いと共に、爽やかな無表情という相反する顔で迫る葵を歯を剥き出しにして威嚇する風峰さん。そんな可愛らしい小動物の鳴き声を、教室の女子が何目線なのかは知らないが微笑ましそうに見つめている。いや、ただ一人、何故かいつもニコニコの月城さんが凄い申し訳無さそうに丸くなっていた。


「あーちゃんは駄目です駄目すぎます!!もっと風峰に甘く優しく接してくれる先生を強く所望します!だから先輩お願いします!私をあーちゃんの魔の手から救ってぇ!!!」

「俺も別に教えられる程では無いからなぁ」

「〜〜っほむみな兄妹優しくなぁいっ!もっと心にバファリン持ちましょうよ!!」

「ですか」

「多分俺達半分以上優しくしてるよ」


そんなに人の耳元で喚かれると耳キーンとするからやめようね。

さりとてさりとて、勉強を教えていただきたいと言うのなら、うってつけの人材に心当たりがあるではないか。教えるのが上手で、分かりづらいだけで実は優しい、そんなうってつけの先生が。


「隼人せーんせ」

「………………」


この野郎巻き込みやがったな。さっきから気配を消して弁当を黙々もくもく口にしていた土方さんちの隼人くんがそんな感情をありありと乗せた凄い面倒くさそうな目で俺を睨んでくる。生半可なパンピーならここで失禁することだろう。


「風峰さん。隼人に勉強教えてもらえば」

「え」

「頭良いよ隼人」

「………」


急にピタリと静かになった風峰さんの視線が、俺と隼斗の間を何度も何度も往復する。隼斗は何も言わない。ただ静かに見ているだけ。だけど、これでも彼なりにこれ以上怖がらせない様に気をつかっているのかもしれない。短くはない付き合いからそう思う。


「あの、でも、……私……、私は」


幾度かの後、俯き言葉を詰まらせてしまう風峰さん。その迷子の様な顔を見て、俺達三人は顔を見合わせる。ていうか、葵も隼人と初対面の筈だけど微塵も怖がっている様子が無い。人を見た目で判断しない、お兄ちゃんポイント1点。


「兄さん」

「……ああそういう……」


葵が静かに俺の名を呼ぶ。そう、ただ名前を呼ばれただけ。それだけだが、その声色だけで葵が何を言いたいのかが何となく分かってしまった。慣れ?とは怖いものだ。


「じゃあ風峰さん」

「…は、はい」

「今度、俺と葵も入れた皆で勉強会しようか」

「………あ………」


要はその人さえ理解できればいいのだ。この子はあの葵と仲良くなれる子。そしてあの葵がいつになく気安く接する子。人を見る目はある方だと自負しているが、きっと隼人とも直ぐに打ち解けられると信じている。


佇まいを正した風峰さんが目を閉じて静かに2、3度深呼吸する。

再び目を開けた時、その顔には澄ました仮面が見事に張り付いていた。


「あの、先程は大変失礼を致しました。…どうか宜しくお願い致します、…えっと」

「土方隼人」

「あ、ありがとうございます土方先輩。風峰夕莉です……」


ぎくしゃく。油の切れた機械の様にぎこちない動きで頭を下げる風峰さん。

隼斗が小さく溜息をつく。それを敏感に聞き取ったのか風峰さんの肩が震え、隼人は実に隼人らしくない様子で静かに咳払いすると努めてゆっくり腕を組む。


「………別に変に畏まらなくていい。お前はさっきみたいにはしゃいでろ」

「………あ……」


低く、そして見えない圧こそあるが、棘を丁寧に丁寧に抜いた大人しい声。そこに込められた意味を理解したのであろう風峰さんの顔からすっと憑き物が落ちていく。やはり、葵と上手く付き合えるだけあって考えを汲み取ることに長けている。

それにしたって静かな彼女と破天荒な彼女、果たしてどれが本当の彼女なのやら。


「こほん……ん゙っん゙……わ、分かりましたっ。では勉強会楽しみにしていますね土方先輩。いえ、ごく先!」

「…ごくせ……?」

「『すごくヤンキーっぽい先輩』」

「『極々ヤンキーな先輩』では?」

「拳骨されてぇかそこの従兄妹」

「ひぃ凄く乱暴な先輩…」

「極道パイセン」


輝く笑顔と共に呑気に手を振って、嵐の様にやってきた風峰さんがまた嵐の様に去っていく。

それを追いかけるため、名残惜しそうに開きかけの弁当を回収した葵も隼人から逃げる様に足早に立ち去っていく。どうやら口にしないだけで単純に風峰さんを心配してついてきてあげただけらしい。


「………やっと静かになった……情緒も距離感もどうなってんだあいつは」


首を回しながら、隼人が惜しげもなく大きな大きな溜息をつく。

けれど分かる。これは単純に彼の照れ隠しなのだと。

失礼ながらも笑みが漏れて。全くどいつもこいつもフリーダム極まりないくせして


「何だかんだ優しいんだからー」

「…お前が悪い病原菌でも振り撒いてるんじゃないか」

「…………ん?あれ?褒められ、てる………のか?」

「さあな」


さてさて、言った以上約束は守らねば。いつ何処で勉強会と洒落込むか、さっさと予定を決めねばなるまい。と言ってもさして悩むことも無い。今の俺は素晴らしい程に暇人なのだから。











「あーちゃんあーちゃんっ、あの方、ああ見えて凄く心の優しい先輩ですね!!」

「………ふむ。…二人共ハズレ、と」

「……えっと、…あーちゃん。何故私の頭を撫でるんですか…?」

「何故でしょうね」

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