第11話 求めるものは

一日の務めを終え帰り支度を整えていれば、ケホケホと、向こうから少し苦しそうな咳が聞こえた。

何気なくそちらに目を向ければ、咳をしていた身体の弱いクラスメイトの側には既にその幼馴染がおり、心配そうにその背中を擦っている。

赤い頬で、嬉しそうに幼馴染の手を握るその姿に知らず知らずに口角が上がる。

彼女が支えられているようでその実、互いが互いを支え合っている。俺の様に一方的に押し付ける優しさ紛いとは違う確かな繋がり。

素直に羨ましいと思う。交友関係は多くあれど、あそこまで深いものがあるかと聞かれると言葉に詰まるから。


まあ、つまり、要するにだ。











「……彼女欲しいな……」


ガチャンッ。


その夜。何気なくテレビを見ている時に何気なく呟いた言葉に何気なく反応したのかは知らないが、静かな居間に激しく食器がぶつかり合う音が響いた。


「葵?」

「問題ありません全く一切この上なく」

「は、はぁ……」


何事かと心配になって葵が洗い物をしているはずの水場を覗き込めば、こっちを見るんじゃないと言わんばかりの射殺す様な目で睨まれてしまったため大人しく回れ右する。

何かしただろうかと首を傾げながら定位置に戻れば、布巾で手を拭いながら葵が戻ってくる。そして、そのまま俺の隣に座るも、無言。妙な空間でテレビの笑い声だけが部屋に虚しく響き渡る。


「兄さん」


と、葵がテレビを消して横から俺の顔を覗き込む。淑やかな所作と、何やら真剣な様相で。


「ん?」

「……彼女が欲しいんですか?」

「え、ああ、まぁ、いたら楽しそうだなって」

「…………」


何となく、そう思っただけなんだけど。もう高校二年生だしね。ぱっと見、軽薄にも思える俺の言葉をどう思ったのか、葵は前髪をくるくると指先で弄っている。


「………兄さんにはまだ早いかと」

「何て?」

「対象年齢に達していません」


おかしいなぁ、俺、花の高校二年生なんだけど。あれ?恋人ってそんなアダルトな関係なの?R-18?しかし、いたって従妹殿の顔は真剣である。


「いやいや」


流される訳が無かろうに。それだったらさっきの二人は大分エロティックなことになってしまうではないか。いや、まだ恋人じゃないはずだけど。まさか既に肌と肌を見せ合う関係と言う訳でもあるまいに。


「そこでだ」

「はい」


さりとて気を取り直し。今重要なのは、生の声。


「葵から見て、俺ってどう?」

「………ぅ゙ぐ………」

「葵?」


何か葵らしからぬ声が聞こえたような。気のせいだろうか。思わず葵の顔を見つめてしまう。


「どぅ……ど、どう、とは…?」


うん。小さく咳払いをした彼女の顔はいつも通りの冷静沈着。やはり気のせいか。


「俺、ルックスは悪くないと思うんだよ」 


そこは、有り難くも見た目だけは美人の母親譲り。見た目だけは美人の。


「そうですね。か…悪くは…ないです」


「料理も出来る」

「異論ありません」


「気配り上手?」

「良し悪しは置いておいて、あちこち首を突っ込むのはどうかと思いますが」

「……あ、はい……」


無表情だが、言葉の中にちょっと棘があったような気がする。そんなことにも気づかないのか無意識だったのか、葵はそのまま顎に手を当て考え込む。怜悧な顔立ちによく似合う仕草だ。


「…ふむ。…例えば、兄さんを束縛しない方。最後には自分の元へと帰ってきてくれればそれでいいとか、そんな放任主義的な方も案外合うかもしれませんね」

「つまり?」

「ラ◯ウ」

「ラオ◯!?」


拳王!?確かに最後に我が元に居れば良いとか言ってた気するけど、それは違うじゃん!?恋愛以前に性別という大きな壁あるじゃん!?


「世はまさにジェンダーレス時代。兄さんの新たなる北斗七星も見えるかもしれません」

「それ死兆星では!?」


従妹よ。お願いだからそんな自信満々にとんでもないトンチンカン発揮しないでくれ。


「ふむ。タイプではない、と?」

「当たり前では!?」


従妹よ。何でキョトンとした顔をしているのだ従妹よ。葵は俺を何だと思っているのか。ぜひ、今度じっくりと話し合いたい。


「でしたら或いは…」

「…或いは?」


「………そんな兄さんだから支えたいと思う様な献身的な女の子、とか……?」

「献身的な……」

「………」


…確かにそんな恋人なら、俺も今までみたいに無茶しようとはならなくなるのかもしれない。それに、俺尽くすタイプだし。多分。恋人いた事ないからよく分からないけど。


「うーん…」

「………あの…」

「何をアホ言ってるのよ息子。自分で動かない男に女の子が寄ってくる訳ないでしょ」


腕を組んで考え込んでいると、葵の腕がそっと俺に伸ばされ…突如聞こえてきた嫌味ったらしい声に二人揃って扉に顔を向ける。何とも雑な開き方で、珍しく我が母が珍しくなく顔を赤くして帰ってきた。…いや、実は最近はちょくちょく帰ってきている。それもこれも


「や〜ん、あおちゃんただいま〜ん。ついでに息子」

「おぅふ」

「おい酔っ払い」


可愛くない息子ではなく、可愛い娘が家にいるから。

倒れ込むように母さんが葵へと抱きつく。重い上に酒臭いだろうに、葵はしっかりと酔っ払いの身体を受け止める。

ぎゅうぎゅうと、葵の頭は母さんの胸の中へ。


「懐かしいわ〜。あたしとマイダーリンの運命的な出逢い……」

「おば…、息っ…」

「はいはい…聞き飽きたって」

「何度語ろうと色褪せないメモリーなのよぉ」

「そっちにとってはね…」


母と父は本当に仲が良い。それこそ寝物語として惚気話を何度聞かされたのか分からない程に。嫌だな、親の馴れ初めを諳んじられる息子。


「くふ」

「「あ」」


そして哀れ葵は、またもや柔らかな胸の中で静かに意識を失ったのだった。






閑話休題。


「やっぱり自分から行かなきゃ駄目かぁ」

「ったり前でしょ自惚れんじゃないわよぶっ飛ばすわよ」

「そこまで言う?」

「『好き』っていうのはそんなお安くないのよ。ねぇ、あおちゃん?」

「…………」


母上からのチクチクとした有り難いお言葉を刻みつける、というか突き刺さる。

缶ビール片手にニヤニヤと俺と、何故か葵を見るその顔は実に憎たらしい。てかまだ飲むのか。


「アンタ、気になる子の一人や二人いないの?」

「……む」

「気になる子かぁ」


改めて色々思い返すと中々これと言う顔も思い浮かばない。友達は数多くいれど、一歩その先の関係へ。だなどと、そんな事考えたことも無かった。


あれ、でもそう言えば


「そう言えば、こないだラブレター貰った」

「あらあらあらあら!?」

「…………!!??」


母のムカつくニヤケ面がより深まり、失礼なことに何故か葵が目を見開いて驚いている。


「それでそれで?アンタどうしたのよ?あれ?母さん報告されてなくない?何で?」

「一々報告するわけないだろ」

「いえ」


馴れ馴れしく横から肩を組んでくる酒臭い酔っ払いの顔を手で突っぱねようとしていると、前からズイズイと葵が顔をよせて来る。近い。


「報告してください兄さん」

「えぇ……?」


謎に鬼気迫る従妹に気圧され、俺は大人しくこないだのラブレター事件について話した。

それは葵がやってくるよりも少し前のこと。

奥ゆかしくも、下駄箱に入っていたラブレターで裏庭に呼び出されたこと。

以前助けてくれたことを感謝しており、それから自分が気になっていると告白されたこと。


……正直、その事を全然覚えて無くて、申し訳なくて断ったこと。


「えぇー…勿体ない」

「おばさん」


言葉通り、心底つまらなそうに酔っ払いが足を投げ出す。ツマミにする気満々だったようだが、人の恋路を酒の肴にしないでもらいたい。


「付き合ってみて初めて分かることだってあるかもしれないのに〜」

「おばさん」


確かに一理ある。例えば葵からして、初めて出会った頃よりかは無表情の中にも割りと感情が読み取れることが何となく分かってきたし。本当に、何となくだけど。


断ったことは早計だったか。…いやでもそれはそれで不誠実な気が…。


「んふ、ここだけの話、実はアンタ意外と人気有るのよ(お婆ちゃんと子供だけど)」

「え、そうなの?」

「!?」


衝撃的な酔っ払い、いや救世主のお言葉。おいおい、それはとても由々しきことではないか。

この厄介な性分がいつの間にかそんな縁まで手繰り寄せていたとは。


「これは今こそ起つべき時なのでは……?」 

「おーガンバレ若人ー」

「………」


ビールを煽る母の適当極まりない声援を背に、俺は拳を握りしめ決意を固める。

そう、ここから俺の素晴らしく甘酸っぱい青春が幕をあげるのだ。











などと喜び勇んで気合を入れた結果、モテはした。近所のじじばばに。泣いた。











「……おばさん、何であんなこと………」

「ふふ、拗ねないの。私は貴方も、あの子も大切よ?」

「ぅ」


「だから後悔なく幸せになってほしい」

「うう」


「あ、因みに人気があるってのはガチだから」

「な」


「んふふー頑張らないと時既に遅し。何てことになるかもね?」

「おばさん嫌い」

「あ、待って、ウソ、冗談、ジョークだから、待って、行かないで、あ、あおちゃああん!!」

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