第10話 風の様な君

「やっぱりチョキを出すべきだったな……てっきり隼人は喧嘩っ早いからグーしか出さないのかと……」


それはとある昼休みのこと。

隼人との生死を懸けた頂上決戦に敗れ、彼に献上するためのお飲み物を買いに人気の無い中庭を一人寂しく流離っていた時のことだった。


「……あれ…?」


ふと、視界の隅に何かが映り込んだ様な気がして、俺は道を外れてそこへと足を踏み入れた。


「財布……だよな」


古臭くはあるが、シンプルながらもその中に確かな可愛らしさを秘めたその財布は、庭の隅で誰にも気づかれることなくその身を野に晒していた。

不躾ながら拾い上げて、中は見ないで眺めてみる。…デザインからして男子のもの、ということは無いだろう。無論、可能性は0では無いが。


「どうするか…。いや、まぁ、職員室にでも届けるべきなんだろうけど」


それでも今は昼休み。落とした張本人はきっとご飯が買えなくて困っているだろうし、このまま見つからなければ午後の授業も気が気でないであろうことは想像に難くない。


「……まあ、少しだけ足使って探してみるか」


取り敢えず周辺だけでも。それらしき人がいなければ、その時は諦めて先生に届けるとしよう。

己の難儀な性格に小さく溜息をつくと、俺は早足でその場を立ち去


「兄さん」

「おわっ!!?」


ろうとした俺の目の前の草藪の裏から飛び出して来たのは、まさかの従妹。

前々から普段学園で何をして過ごしているのだろうと気になっていたが、まさか野生に帰っていたとは。


「この辺りでお財布を見かけませんでし……おや」

「え」


頭に葉っぱを乗っけて周囲を見回していた葵の目が、俺の手元でピタリと止まる。


「あ、もしかして、これ?」

「…兄さんが見つけてくれたのですか?」

「いや、たまたま。少し辺りを探してみようかと思ったんだけど…」

「ですか。手間が省けました」


靭やかな長い脚を駆使して、葵が低めの草藪を跨いでこちらにやってくる。

短いスカートと膝上まである黒いハイソックスの先にまた別の黒い何かが見えた気がして慌てて顔を背ければ、背けたその先にひょこんと現れる綺麗な顔立ち。


「?兄さん?」

「…いや、何でもない。…あまりそういうことはしない様に」

「……?はい」


首を傾げるそのお顔は確実に分かっていない様子だったので俄に不安になったけれど、ここで俺がそんな事を言うわけにもいかず。

何とも苦い思いで、俺は手に持っていた財布を葵へと差し出した。


「これ、葵のだったんだな」

「いいえ」

「え」


「私の友人のものです」












『ううぅ゙ぅ〜〜〜………えぐ…………うあぁぁぁ゙〜〜……ぐしゅ』


「あの子です」

「…あの、この世の終わりを3回くらい垣間見た顔でべそかいてる子?」

「はい」


葵に誘われるがままに連れてこられたその先では、色素の薄い亜麻色の長い髪をした何とも可愛らしい女の子が、地面に膝をついてこの世の無情を儚んでいた。よく見ればあちらこちらが薄汚れており、必死に探し回ったであろうことが窺える。


『終わりです……神は死んだ……風峰はこのままひもじい思いで一人寂しく朽ち果てるしかないのです……ごめんなさいおじいちゃんおばあちゃん……よよよ』


「余裕があるのか無いのか」

「あれでも無いと思います」


容姿は大人びて美しく、黙っていればまるで深窓の令嬢の様なのに。けれど口調や仕草が幼いからそのギャップがことさらに。何か小動物みたいな娘だな、などと失礼ながらもそんな感想を抱いてしまう。


「あの〜…」

「ぴっ」

「(ぴ?)」


さりとて、いくら珍妙だろうが獣ではなく紛れもなく人。このまま見世物として鑑賞し続ける訳にも行くまいと背後から深く考えずに声をかけてみれば、振り向くやいなや恐ろしいものを見る目で距離を取られた。


「は、はいっあの、な、何でしょうか。べ、べ、別に私は決して怪しいものなどでは…」

「夕莉」

「あ、あーちゃんっ!」


俺の背中からひょっこり顔だけを覗かせた葵を見るなり、夕莉と呼ばれた少女から恐れが消えていく。

…正直言うと、怖いのはどちらかと言うと俺より葵の方では?何て思わなくもなかったけど、それを乗り越えて友誼を結ぶだけの信頼関係を築いているのだと思えば従兄冥利に尽きるというもの。別に傷ついてないよ。


「ありましたよお財布」

「ほ、本当ですかっ!?」

「兄さんが見つけてくれました」

「いや、本当偶然だけど……」


誇れるほどの活躍なんて何もしていないのに、葵がドヤドヤと背を押してくるものだからこちらとしても反応に困ってしまう。勿論、謎の男にグイグイ来られるあちらさんも。


「に、……兄さん…?」

「はい。兄さんです」


葵の言葉に、唖然と俺を見上げる少女。

こうして間近で対面すると、本当に可愛らしいというか綺麗というか、不思議とその2つが両立する顔立ちをしている。


「……あの最近あーちゃんがことあるごとに口にする兄さん…?」

「………多分?」


ふるふる。少女がまたまた震えだす。

いや、どちらかと言うとふるふるというか、わなわなみたいな感じで己の両手を見つめて。


「…あの、あーちゃんがここしばらく風峰の名よりも兄さんと口にする回数の方が増えるわ私に構ってくれないわで近頃つぶさに憎しみと妬み嫉みを抱いていたあの例の兄さん…??」

「葵、友達は大切にしような」

「しているつもりですが」


どうやらこの子も中々に癖の強い子の様だ。












「…改めまして、風峰夕莉と申します。この度は本当にご迷惑をおかけいたしました」

「あ、いや、これはご丁寧に穂村といいます…」


落ち着いてくれた後、これまでのエキセントリックな姿とは打って変わって丁寧な所作で頭を下げる風峰さんに、思わずこちらも佇まいを正してしまう。


「穂村先輩、本当にありがとうございます……ああ良かった……」


改めて返した財布を見つめる風峰さんの瞳は、ここではない遠くを見つめるような、けれども柔らかい、優しい目をしていた。


「…こちらは私の祖父母から頂いたものでして、二人との思い出が詰まった大切なお財布だったんです…」

「…そう、だったんですか」


…そういうことか。だからあんなに泣き崩れるまでに必死に探して――


「まあ二人はバリバリご健在なんですけれども」

「………」


…まあ、俺が勘違いしただけだもんな。怒っちゃ駄目だよな。


「穂村先輩、ですよね?話はいつもあーちゃ、葵ちゃんからお聞きしています。とても頼りになるお兄さんなのだと」

「…そう、ですか…?」

「私の方が仲良しこよしの親友なのに」

「…………」


笑顔の裏に棘を感じる。一体、俺が何をしたというのか。


「ふふ……葵ちゃんは本当に楽しそうに先輩の事を話してくれるんですよ…?勿論、表面上笑顔はあまり見せませんが…」

「………そう…なんすね……」

「私のことはあんなに楽しそうに話してくれないのに」

「葵」

「こういう子です」


ころころころころ。笑ったと思ったら落ち込んで、かと思えば怒って泣いて。誠に表情筋が安定しない子だこと。葵とは正反対。いや、マイペースという点では同類だからある意味気が合うのか。


「…ご存知かは知りませんが、葵ちゃんは本当に良い子なんですよ?」

「………」


知ってるし。ちょっと顔が怖いくらいで優しいことくらい。

成程、これはひょっとしなくても勝負を挑まれているということか。初対面で中々に舐めた真似してくれるじゃないの。隼斗程ではないにしても、俺は売られた喧嘩はそうそう無視できない人間ぞ。


「この間なんか二人きりで勉強教えてもらっちゃっ……………、て」

「………ん?」


先攻・風峰。

しかし初手、葵との仲良し話でも話すのかと思いきや、突然風峰さんの笑顔が固まってしまった。

一体何事かと、葵と顔を見合わせたその直後。


「べん………キョー、………勉キョう……?」

「「…………」」

「あ、……ああ………嫌………嫌だ……もう嫌です………っ……問答無用の200問全問正解するまで帰れま10……突然差し込まれる抜き打ちの問いかけ……答えられなければもう10問……ああ……ああぁ゙ぁ゙」

「葵」


頭を抱えて膝から崩れ落ちた彼女。それを作り出したであろう元凶を見る。既に顔を逸らされていた。


「あの…風峰、さん……?」

「ハイ、カザミネ、ベンキョー、スキ」

「本当ごめんなさい…うちの従妹が」

「……………!!!!!」


いつか君に会えたなら、必ず謝ると決めていた。あれ?夢の中の話だっけ?まぁ壊したのは事実みたいだからどっちでもいいや。

俺の心の底から申し訳無い声が芯に届いたのか、風峰さんはばっと顔を上げ


「……………」


「………………っ」


「…………………………っ!」


その大きなくりっとした瞳に徐々に徐々に光を取り戻していく。


「…先輩…優しい……!」

「え」

「あーちゃん!お兄さん!良い人!!」

「知ってます」


がしっ。力強く、恥ずかしげもなく両手で手を握り、風峰さんが輝く笑顔を振りまいてくる。気の所為でなければぶんぶん振られる尻尾が後ろに見える様な。


「良かったですね兄さん。懐かれましたよ」

「何だろう、嬉しくない」

「これでも人見知りの凄まじい子なので、あくまで私補正が大きいのでしょうが」

「………」

「もう逃げられませんね」

「………………ぇ゙……………」


顔を逸らしたままの葵から発せられたその言葉に、冷たい汗が背を滴り落ちていく。


「あーちゃんの兄さんはそれ即ち私のお兄さんっ!仲良くしましょうね穂村先輩っ」

「………ぇ゙ぇ゙………?」


この子もこの子で明らかに先程よりも笑顔の輝きが増しているし。

結局、鐘が鳴る直前になって漸く、何故か不機嫌になった葵が風峰さんを無理矢理引き剥がすまで、俺はこの竜巻の様な後輩に振り回され続けたのだった。


………あ、飲み物……。

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