奏汐音と猫3

「あーマジ疲れた」


「お疲れにゃん」


 そう言って奏が俺の首筋にペットボトルをピタリと付けた。


「ふー生き返るー」


 ペットボトルの中は水で、キンキンに冷えている。ありがてえ。

 奏はこの水を得意げに渡してきたが、これはお客さんである山城さんから貰ったものだ。


「じゃあ、戻ろっか」


 ぴょんぴょんと俺の二、三段前を早足で降りていく、奏の後ろ姿を追いかけた。


「ねえ翔君」


 奏はこちらを振り返る事なく話しかけてきた。


「うん。なんだ?」


「翔君っていつからお家のお手伝いをしているの?」


 あれは、俺がこの町にやってきた時からだから


「小学校六年からだな」


「ふーん。そうなんだ。気が付かなかったなー」


「うん?何がだ?」


「なんでもなーい」


 そう言うと奏は降りる速度を早めた。


「急ぐと危ないぞ」


 慣れていても息があがる程の急な階段だ。踏み外して足を挫くなんて事もあるかもしれない。


 しかし、奏は俺の忠告を無視して一気に階段を駆け下りていった。


「まったく。よくわからんやつ」


 怪我なんてしたくないから、気持ち早足程度で階段を降りた。あまり待たせても悪いからな。



 ______________________

 なんとか追いつき公園にたどり着くと、ぐったりとした奏がベンチに座り、額から大粒の汗を流し、空を仰いでいた。


 こんな暑いのに無理するから。セミすらも鳴くのを自重していると言うのに。


「ちょっとだけ休ませて」


「ああ」


 返事を返して台車を取りに行き、奏の元へ戻ると、水を一気に飲み干し、真夏に仕事終わりのおじさんが、ビールをイッキで開けた時のような声を上げている所だった。


「プッハー。やっぱり夏はこれよね」


「なんかお前、おっさんみたいだな」


「ムー。おっさんじゃないもん!」


 言って奏は俺の右手に握られていた水に手を伸ばし、掠め取っていった。


「おい、それは俺のだぞ」


「罰なのだよ」


 まだ開けていなかった栓を開けると、奏は口をつけて一口飲んでしまった。


「うー、お腹がガバガバになりそう」


「だったら、なんで飲んだんだよ」


「はい。やっぱり返す」


「……」


「なんで受け取らないの?喉乾いているんでしょ」


 なんでって、それを俺が飲んだら……


「色々問題があると言うか」


「どんな問題?」


「ほら、なんというかあれだよ」


 こいつ本当にわかっていないのか?……いや、奏の事だ。わかっていてなおかつ、俺をからかっている可能性もあるな。


「だ・か・ら、はっきり言って?」


 奏の真っ直ぐな瞳で射抜かれる。なんかからかっているばかりか、馬鹿にされているような気すらしてきた。


 あーわかったよ。飲んでやらあ。


 奏の手から強引に水を奪い取ると、栓の締められていない呑み口を凝視した。

 やるぞ、俺はやってやるぞ……!


 三秒ほど呑み口と見つめ合った後、口元にペットボトルを近づけた。


「ちょちょちょ、ちょっと待って!やっぱりそれ、私が全部飲むよ!」


 慌てた様子で奏が俺から水を再度奪い取ると、キャップを締めて、大事そうに胸元に抱き込み、俺から目を背けた。


 これは俺の勝ちって事で良いんだよな……?なんか勝負には勝って試合には負けた気分だった。


「ちょっと、水買ってくる」


 なんやかんや言って喉は乾いているからな。

 見渡して見ると、公園入口側に自動販売機があるのを見つけた。少し早歩きで近づき水を購入。すぐに栓を開けて水を一気に流し込んだ。


 冷たい水に冷やされて、胸元が爽やかになっていく、それとは打って変わって、外気が高いせいか、頭や顔は凄く熱くなっているような気がした。


 公園を再度振り返り、奏が座っていたベンチに目を向けると、そこに奏の姿は無かった。


「あれ、あいつどこ行ったんだ」


 園内に戻ると、奏の姿はすぐに見つけられた。


 何やら小さな女の子と話しているようだった。

 女の子の視線に合わせ、座り込み、優しい口調で話しかけている。

 奏の背後にゆっくりと近づき、様子を伺ってみる事にした。


「どうしたのかな?おねえちゃんでよかったら、おはなしきくよ?」


 猫に話しかける時よりもさらに優しい口調だった。

 女の子もそんな奏の様子に心を許したのか、ポツリポツリと話し始めた。


「あ、あのね、はーちゃん、がね、いなくなっちゃったの」


「はーちゃん?、それはおにいちゃんかおねえちゃん?」


「ちがうの。はーちゃんは、はーちゃん、オトモダチなの」


 女の子は今にも泣き出しそうな勢いで、鼻もぐしゅぐしゅ鳴らしている。

 奏は優しくなだめるように、女の子の頭を撫でる。


「うんうん。だいじょうぶだよ。おねえちゃんと、このおにいちゃんがそのオトモダチをさがしてあげるからね」


「ほ、ほんとう?」


「うん。ほんとう」


 優しく微笑みかける奏、女の子は安心したのか奏に抱きつくと、大声を上げて泣き出してしまった。


「うん。こわかったんだね。もうだいじょうぶだからね」


 奏は自分の服が汚れてしまっているのも気にする素振りも見せず、女の子をなだめ続けた。そして、少し落ち着いた頃合いに、こう切り出した。


「どこではぐれちょったの?」


「あ、あのね」


 女の子はたどたどしい口調で、嗚咽おえつで詰まりながらも言葉を紡いていく。

 それを奏は頭を撫でながら優しく聞き出していく。


 女の子は右手を突き出して、指折り数えながら説明をしようと一生懸命な様子だった。


「きのうの、きのうの、きのうに、いなくなっちゃったの」


 昨日の昨日の昨日、三日前と言う事だろうか、今日は水曜日だから、その三日前なら、日曜日と言う事か。


しかし、どういう事だ?小学校にも上がっていなそうな小さな女の子が三日前ないなくなった友達を公園で探しているとは……


奏も同じ事を思っていたようで、疑問の込められた瞳で俺を見つめてきた。


そんなの俺にもわからないよの意味を込めて首を左右に振った。


それにしても、どういう意味だろうかと公園内に改めて目を向けて見ると、かなり人馴れした愛玩動物が多数横たわっているのが目に付いた。


「なあ、そのはーちゃんってのはもしかして猫の事か?」


俺に話しかけられた女の子は驚いたのか、奏にしがみついた。

何故か奏も俺を睨みつける。驚かすなって意味だろうけど、そんなつもりはないのよ。


一歩下がってどうぞと奏に合図を送ると、再度奏が噛み砕いて同じ質問をした。


「いなくなったオトモダチって、にゃんちゃんなの?」


女の子は、目に涙をためながら頷いた。


やはりか。子供の頃って大人には黙って猫に餌を上げていたりするもんだよな。

そしてある日突然居なくなって、失う悲しみを知る。そうやって大人になっていくものだ。


ウンウンと一人で納得していると、奏は明るい口調でこう言ったのだ。


「それだったら、おねえちゃんと、このおにいちゃんにまかせて!ぜったいさがしだしてあげるから」


えっ!?はっ!?



「ほんとう!?」


 女の子は真ん丸な目を大きく見開き、キラキラとした眼差しで奏を見つめていた。


 それを受けて力強く奏は頷く。


「うん。まかせておいて!!」


 そして振り向き、俺に一言だけ言ったのだ。


「ねっ?翔君」と


「はっ?」


 続けて『お前なに言ってんの!?』っと反論しようと口を開きかけて、女の子のキラキラとした純粋な眼差しが俺の姿を映し出している事に気が付いた。


 ……こんなの反則だろ。

 縦に首を振る以外の選択肢は俺には無いようだった。

「おっおう……」

 だから仕方なく俺は頷いたのだ。

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