第3話 中学一年・五月


 中学一年・五月。


 文芸部に入部して、一ヶ月あまりが過ぎた頃のこと。


 ゴールデンウィークも明けて、運動部の連中はそろそろ市大会に向けての練習が本格化してきた。初めての市大会とかで、サッカー部の松清まつきよもやたらと忙しそうだ。


 一方、俺たちの文芸部はというと――運動部のいうような大会は特にないので、活動は平常運転だ。

 

 かたかたかた。俺はパソコンの前で、ひたすら文章を打ち込み続ける。


 文芸部に入部して一ヶ月ばかり。小学校時代も本を読むのがそこそこ好きだった俺は、なんとか文章を紡ぐ作業を続けられている。


 作業が一段落して、軽く伸びをしたとき、篠川しのかわ瀬奈せなが声をかけてきた。


井神いかみくん、よく書くねえ。集中力すごいよ」

「そうか?」


 どちらかといえば、だらだらと書いている気がするが。


「ううん、なんていうのかなあ、スピード感?ていうのかな。だーっ、て書くことにのめり込んでいるの、ちょっと迫力があるっていうか・・・・・・なんか小並感だけれど」

「そうか・・・・・・ありがとな」


 俺はぶっきらぼうに礼を言うと、再び作業に戻る。


 パソコン室は、しばし静寂に包まれる。かたかたという打鍵音と、グラウンドからの運動部のかけ声だけが、室内に響く。


 作業に没頭してから、小一時間ほどしたとき。篠川の「う~ん」という声がする。


 ふと気になり、隣に目をやると、篠川が軽く伸びをしていた。


「ん・・・・・・井神くん、どうしたの?私の顔になんかついているかしら?」

「あ、悪い悪い」


 慌てて篠川から視線をそらす。まずい、ちょっと見過ぎていたかな。


「そろそろ帰る?まだ三十分くらい時間があるけれど・・・・・・わたし、あんまし運動部の帰る時間帯に、帰りたくないのよね。混雑するし・・・・・・」

「そうか。じゃ、そろそろ帰ろうか」

「あ、ちょっと待って・・・・・・眼鏡が曇っちゃっている」


 そう言うと、篠川は眼鏡を外し、レンズクリーナーで吹き始める。


「あっ・・・・・・」


 眼鏡を外した篠川に、俺は思わず見とれてしまいそうになる。


 眼鏡を外したら美人。いやちょっと違うな。眼鏡をかけている篠川も充分可愛い。だがあくまでも「可愛い」だ。眼鏡を外した彼女はかわいさよりも美しさの方が強調されるだ。


 篠川、意外と小顔なんだな。眼鏡が割と大きいので、気付かなかった。瞳も綺麗だし。


「井神くん。やっぱりわたしの顔になんかついていたりする?」


 不審げに俺を見てくる篠川。慌てて弁明する俺。


「いや、違う違う。ただ、眼鏡外した姿が、ちょっと普段と雰囲気が違うなー、て思っただけだから!」

「・・・・・・そう?別にコンタクトにしてもいいんだけれどね」

「いや、眼鏡の方がいい・・・・・・と思います」

「どうしていきなり敬語?ま、井神くんがそう言うなら、眼鏡のままにしておこうかな」

「ああ、それがいいと思うぞ」


 そんな会話を交わす俺たち。


 今にして振り返ってみれば、このとき――篠川瀬奈が眼鏡をとったときこそ、俺が初めて彼女を意識し始めた瞬間だったように思う。

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