第5話 追放したリーダーが、病気で長くない 結②

 

「……エルヴィン、サラ、ナターシャ。

 今まで本当に、ありがとうな。

 お前らのおかげで、悪くない人生だったよ」


 自宅のベッドの上で、ミッシェルがつぶやく。

 3人に笑いかけるミッシェルの顔には頬骨が浮き。

 目の下には深い隈ができている。


「そんなこと、言わないで。

 きっとすぐに元気になって、また一緒に冒険できるわ」


 涙をこらえるように、ナターシャが言う。

 その言葉はまるで、砂漠に落とした一杯の水のように、虚しく部屋の壁に吸い込まれた。



 ―――――



 半年前。

 酒場で、まだまだ冒険を続けると宣言したミッシェル。


 しかしひと月ほど経つと、徐々に身体が言うことを聞かなくなってきた。

 手足の痺れによって、思うように技が出せない。

 疲労がすぐにたまり、パフォーマンスが大きく下がる。

 気丈に振舞っていたものの。

 仲間達から見ればその変調は明らかだった。


「ミッシェル。

 ……しばらくクエストは、お休みしましょう?」


 そう提案したのはナターシャだった。

 その言葉に、ミッシェルは頷くことしかできなかった。


 休むだけ。

 少し回復したら、また。

 その時は、そのつもりだった。


 ……しかしそれから先。

 このパーティーがクエストに挑戦することはなかった。


 3か月後。

 ミッシェルは、走ることさえできなくなった。

 歩くだけでも息が切れ。

 脈が早鐘のように打ち。

 全身に形容しがたい痛みが走る。

 少しずつ、ベッドの上で過ごす時間が増えていった。


 そんな彼を、仲間達は何も言わずに支えた。

 交代で家に泊まりこみ。

 励ましながら、身の回りの世話をした。


 しかし、さらに時間が経ち。

 ついには何もしていなくても苦しくなった。

 眠っている時だけが救いだというのに、息苦しさと痛みで眠ることができない。

 食事も満足にとれず、身体はどんどん痩せていった。


 そして皆で飲んだあの日から、半年が過ぎた今。

 もはやミッシェルは、起き上がることすらできなくなっていた。


「――ありがとう、ナターシャ。

 でもなんとなく、わかるんだ。

 多分、次に眠ったら、もう起きることはないと思う」


「そんな……」


 ナターシャが絶句する。

 その後ろでは、サラとエルヴィンが歯を食いしばり、立ち尽くしていた。

 ミッシェルは呼吸すらも苦しい中で、言葉を紡ぐ。


「アルはさ。

 やっぱり、もうこの街にいないんだよな……?」


「……ああ。

 半年前に、馬車で国外に出たままだ。

 それから先、帰ってきたって情報はない」


「そうか……」


 エルヴィンの返答に、ミッシェルは虚空を見つめる。


「……死ってのは、恐ろしいもんだな。

 あの時の選択は、間違ってなかったと思うんだ。

 こんな俺を、あいつに見せるわけには、いかなかった。

 それは、間違ってなかった」


 ゲホッと、ミッシェルが咳をした。

 ナターシャが口元を拭くと、白い布に大きな赤い染みができた。


「でも俺は今。

 あいつの顔が見たくてたまらないんだ。

 死を前にすると、心の虚飾は全部、剥ぎ取られてしまうらしい。

 自分がこんなに、弱い人間だとは、思わなかった。

 自分で決意したことすら、貫けないなんてな。

 ……ただこれは多分。

 あいつにあんなひどいことを言った、罰、なんだろう」


 誰も、言葉を発せなかった。

 沈黙がその場を支配する。

 夜の帳の中に響くのは、まるで鎮魂歌レクイエムのような虫の声だけ。


 ――そこに。

 ドンドンッ! と。

 ドアノッカーをたたく音が響いた。

 皆が音の方を向き、顔を見合わせる。


「誰だろ、こんな時間に……」


 訝しさ半分、憤り半分、といった声を出して。

 サラが部屋から出ていき、玄関へと向かう。


 そのわずかな間も、ノックの音は響き続けた。

 ナターシャとエルヴィンは、不快そうに眉間に皺を寄せる。

 しかしミッシェルだけは。

 ほんのわずかに、何かを期待しているような表情に変わった。


「うるさい!

 ミッシェルの身体に響くじゃない!

 ……って、え? うそ……」


 ガチャリとドアを開ける音の後。

 サラの声は聞こえなくなり、代わりに足音が響く。

 ずんずんずんずんと、近づいてくる。

 そして、部屋のドアが開いた。

 入ってきたのは――。


「兄貴!」

「「「アル!?」」」


 入ってきたのは、アルフォンスだった。

 突如、乱入した彼に一同が驚く。


「ただいま、みんな。久しぶり」


 懐かしさを滲ませて、アルフォンスが言う。


 皆が驚く中で。

 ミッシェルは胸がつまり、言葉が出なかった。

 久しぶりに見たアルフォンスは、大人びて見えた。

 それはまさに、ミッシェルが最期に見たいと切望した、成長した弟の姿だった。


「アル、よく……よく来てくれた。

 ちょうど今。

 世界で一番、お前の顔が見たいと思ってたんだ」


「兄貴……」


 アルフォンスは、兄の姿を見て言葉を失う。

 ミッシェルは、半年前とは別人のようだった。

 頬はこけ、手足は細くなり、話す声にも力がない。

 瞳に宿っていた優しい光さえ。

 迫る死の影に、かすんでしまっていた。


「……アル、今更こんなこと言ったって、もう遅いのは分かってる。

 でも、頼む。

 言わせてくれ。

 すまなかった。

 あんな……あんな酷いことを……お前に……」


 ミッシェルの目から、涙が溢れた。

 それを見たアルフォンスの目にも、涙がたまる。


「いいんだ、兄貴。

 全部……全部わかってるから」


 アルフォンスはミッシェルのやせ細った身体を抱きしめた。

 その瞬間。

 アルフォンスは、パーティーを追放されてから苦しんだ日々の全てが、報われたような気がした。


「……すまない。

 本当は、こんな姿を見せるつもりはなかったのに。

 結局お前に重荷を押し付けてばかりに、なっちまったな。

 だが……もう、やり残したことはないよ。

 ありがとな、アルフォンス」 


 ミッシェルはそう言うと、一息つき、安らかな顔で目を閉じた。


 ベッドに横たわるその身体からは、もはや生気というものが使い果たされていた。

 その顔を見て、その場にいる者は悟った。

 今日がミッシェルの命日だと。

 最期に、彼は弟に会うことができた。

 そんなせめてもの幸運を、噛み締めた。


 ……ただ一人を除いて。


「ダメだ」


「……は?」


「ダメだよ、兄貴」


「ダメって……何がだ?」


 自分の遺言ともいえる言葉を否定され、ミッシェルは戸惑う。

 しかしアルフォンスは、絶対の決意を以ってこう言った。


「まだ死なせないってことだよ」


 コトリと。

 アルフォンスはガラス瓶を、机に置いた。

 中には、虹色に輝く液体が入っている。


「それは……なんだ?」


 ミッシェルが尋ねる。

 こんなものは、誰も見たことがなかった。


「これはさ、北の国のS級ダンジョンで手に入れたんだ。

 霊龍の角から作った、霊薬だ」


「え?」


 声をあげたのは、ナターシャだ。


「それってつまり……。

 あのおとぎ話に出てくる、アレってこと?

 万物の不例を取り除き、その調和を取り戻す、と言われてる、あの……?」


 ナターシャが、驚愕の面持ちで呟く。

 アルフォンスはその瓶の蓋を開けて、ミッシェルの口元へと近づけた。


「兄貴、飲んでくれ」

「……いいのか?」

「当たり前だろ、ほら、早く」


 ミッシェルはゴクリと、液体を飲み干す。

 途端、ミッシェルの身体が淡く輝き始めた。


「……なんだ、これは!?

 痛みが、消えていく!

 さっきまでの息苦しさが嘘みたいだ!」


 動かすことも困難だった両腕を軽く持ち上げて。

 光る手の平を見ながらミッシェルは言った。


「ウソ、ホントに?

 ホントに治るの?

 また一緒に、冒険できるの!?」


 サラが期待を抑えきれないように言う。

 ナターシャは絶句し、エルヴィンは嗚咽を漏らしながら、涙を流していた。


「……身体から病魔が消えたのを、確かに感じる」


 光が収まった後。

 ミッシェルが、まだ信じられないといった様子で呟いた。


「……ははっ。

 俺は夢でも見てるんじゃないか?

 もう会えないと思ったアルに会えたと思ったら。

 今度は治らないはずの病が治ってしまった。

 こんなっ……こんなこと……。

 夢じゃない、ほうが、おかしい……」


 抗い続けていた病。

 恐怖していた死。

 それらから解放された喜びは、筆舌に尽くしがたいものだった。

 涙と嗚咽で、ミッシェルはうまく言葉を紡げなかった。

 そしてその様子を、その場の皆が涙して見守った。




 皆の涙が止まった後。

 ミッシェルは、アルフォンスに礼を言った。


「本当にありがとう、アル。

 お前のお陰で、まだ生きていられるよ。

 ……しかしこんな貴重なもの、手に入れるのは大変だっただろう?」


 その質問に、アルフォンスは少しだけ、言葉を詰まらせた。

 アルフォンスの頭に、その代償となったものが浮かぶ。


「……気にすんなよ、兄貴」


 しかしアルフォンスは、何でもないように言った。


「兄弟なら、当たり前だよ」



 ―――――



 数か月後。

 いつかの酒場。


「今日も疲れたねー」


「疲れたのは、お前がダンジョンに忘れ物なんかするからだろーが、サラ」


「うるさいなー。

 エルヴィンだって前に同じようなことしたじゃん。

 自分のことを棚に上げるなんて、よくないと思うなー」


「まぁ、いいじゃない過ぎたことは。

 とにかく座りましょうよ」


「そうだな。せっかくクエストを達成できたんだ。

 祝おうじゃないか……なぁ、アル」


「ホントだよ、みっともないぜ、二人とも?」


「うるせー、お前だって……」


 中身のない話を、ダラダラとしゃべりながら。

 5人でテーブルを囲み、食事を注文した。


「「「「「カンパーイ!」」」」」


 今日のエピソードを、面白おかしくサラが語る。

 皆でそれを笑いながら、酒を飲む。

 それはいつも通りのクエスト後。

 何の変哲もない、星の綺麗な夜だった。


 宴もたけなわになった頃。

 ポツリと、アルフォンスが言った。


「なぁ、本当に俺、このままここにいていいのか?

 もう占星術師じゃなくなって、星占い師、なんて下位の職業になっちゃったんだけど。

 スキルのレベルも1になっちゃったし。

 けっこう、脚引っ張ってる自覚あるぞ?」


 隣のエルヴィンが答える。


「関係ねーよ、アルフォンス。

 俺らがお前と組んでるのは、能力があるからじゃねえ」


 その返答を聞いて。

 アルフォンスは少しだけ、聞いた自分を後悔した。

 ……わかってる。

 足を引っ張る俺と、みんなが一緒にいてくれるのは。

 俺があの時、兄貴を救ったから――。


「もちろん、お前がミッシェルの病気を治したからでもねえ」

「……は? 違うの?」


 エルヴィンは、当然のように言う。

 しかしアルフォンスには、その他の理由が浮かばない。

 ふと周りを見ると、パーティー皆が、訳知り顔で頷いていた。


「それはな……お前が、お前だからだよ」


 エルヴィンがアルフォンスのグラスに、なみなみと酒を注ぐ。


「下らねーこと言ってないで、ほら、飲め!」


 やめろよ、と言いながら。

 アルフォンスは嬉しさに上がる口角を、噛み殺すのに必死だった。


 それは自分がどんな状況に陥っても。

 この仲間達から「追放」されることは、もうないのだと。

 そう信じることが、できたからだった。





 了



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