02.瀬戸さんとの出会い


 休憩後は僕が梨香さんの勉強を手伝った。

 彼女は理数科目が苦手らしく、迷っているときは適切な解法パターンを伝えてアドバイスしてみた。


「遥希くんのおかげでスムーズに解けるわ。いつもは一問につきカルルピ一話分も消費しちゃうのに」

「えっ? アニメを見ながら勉強しているんですか?」

「本当に見てるわけじゃないのよ。諦めそうなときに、名シーンを思い浮かべてモチベーションを保っているの」

「イメージトレーニングみたいなものでしょうか?」

「訓練というか、投影にちかいかも?」


 つまり梨香さんは、自らの状況をカルルピが強敵に勝つシーンに重ねてやる気を漲らせているのだ。

 少し変わった勉強法だが、優等生の彼女が言うと説得力がある。『かめはめ波ぁぁ!』とか、『神之怒(メギド)!』とか、有名な必殺技を叫ぶと力が湧くのと同じ原理だろうか。


「遥希くんもやってみて。自分の好きなキャラクターが逆転するシーンを心に思い浮かべると、難問に直面しても粘り強くなれるから」

「はい、僕もやってみます」


 新たな必殺技を獲得したところで、僕らは学習席を後にした。

 時刻は夕方の五時前。本来ならまだ開いているが、蔵書整理の為、今日はもう閉館になるのだ。


「遥輝くん、七夕があるよ」


 帰り際に館内を回ってみると、交流スペースに七夕笹飾りがあった。

 そういえばもうじき七月七日だ。

 天の川を観測するのは八月中旬だが、短冊を飾るのは七月七日を基準にする地域が多い。



 受付で短冊を貰い、僕らは願い事を書いてみることにした。


「どんな願い事にしますか?」

「『遥輝くんが虎になりませんように』にしようかな?」

「李徴さんじゃないんだから……」

「それじゃ『遥輝くんの漢詩が広まりますように』」

「それも李徴さんの願い事です」

「じゃあ、『遙輝くんと素敵な思い出を作れますように』にする」

「えっ?」


 にこっと、悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女に、僕は胸を衝かれてしまった。

 なんだい。

 小ボケの連発後に不意打ちするなんてズルいや。


「僕も決めましたよ」


『花火大会が晴れますように』と、僕は短冊を吊るした。


 僕らは七月末の花火大会に行くことを約束していたのだ。


「楽しみだね。遙輝くん、どんな浴衣が好き?」

「僕は――」


 建学祭のときは可愛らしい桜色の着物だったから、大人びた雰囲気も見たいかも。

 そんな願望を伝えようとすると、なにやら騒がしい声がした。

 見ると数人の男性が一人の女子に話しかけている。


「安心しなよ。俺たちこう見えて真面目で、ここに来たのも卒論の為なんだ」


 一人はカフェにいた金髪の男性で、他に中折れ帽子を被った人に、ニットシャツの筋肉質な人がいる。どうやら全員大学生らしい。

 彼らが囲んでいるのは、僕らよりも少し年下に思える、小さな女の子だった。


 ドレスのような服に、肩口で切り添えられた白い髪というお嬢様風な容姿はたしかに人目を惹きつける。

 男たちは怯える彼女のことなどおかまいなしに、肩や腰にべたべたと触れていた。



 僕は拳を握りしめていた。

 こんなの犯罪だ。見てみぬふりはできないぞ。


「遥輝くん、あの子を助けましょう」


 梨香さんも同じ気持ちだったらしい。

 ここは蔵書コーナーと違って司書さんがいないし、他の利用者もいなかった。僕らが動かなければ、彼女は野獣たちに襲われてしまう。

 僕は梨香さんに作戦を伝えてから、少女に声をかけた。


「あの――!」


 精一杯、大きな声で。


「――待たせてごめんね。もう終わったから、一緒に帰ろうか?」


 少女がきょとんと見上げてきた。

 金髪さんたちも動きを止めて僕を睨んでくる。


「すみません皆さん、うちの後輩がご迷惑をおかけしましたか?」

「なに? この子の知り合い?」


 三人の懐に入り込むと、その隙に梨香さんが少女をサファリーパークから連れ出した。


「課題は終わった? 外で先生たちも待っているから急ぎましょうね?」


 ナイス梨香さん。誰かが待っていると言えば、牽制になるだろう。


「僕らはここで補習を受けていたんですよ」と、僕は適当な話題で時間を稼いた。


 猛獣たちに囲まれるのは冷や汗がでたけど、二人の安全が確保できるまで囮が必要だ。

 というか、大学の陽キャさんって高校生とは雰囲気が桁違いだ。人間って僅か数年でこんなにワイルドになるのだろうか。


「では失礼しました」と、梨香さんたちがエントランスをくぐるのを確認してから足早にその場を去る。幸い、追いかけてくる様子はない。


 僕は外で梨香さんたちに合流すると、安堵の息を吐いた。

 だが、まだ油断はできない。

 僕は二人を図書館の裏にある芝生スペースへ誘導した。


「今帰れば追いつかれるかもしれません」


 案の定、金髪さんたちが出てきたので僕らはモニュメントの陰に隠れた。


「来て損したな~~。お前がここに美人の司書がいるって言うから期待したのによ」

「わりぃわりぃ。この前話しかけまくったから恥ずかしくなって転勤したのかも」

「それにしてもあの子、お嬢様って感じで可愛かったな。一緒にいた眼鏡の子も綺麗だったよな? 二人ゲットできるチャンスだったのに勿体なかったな~~」

「いつまで騙されてんだ。あのガキども顔見知りなんかじゃねぇ」


 ガン! と、筋肉さんが駐輪場の自転車を蹴った。

 サイクルスタンドがあるので倒れたりはしないが、自転車はひどく歪んでいた。どんな脚力だよ。



「本当に先公がいたら面倒になるから見逃したが、アイツらは嘘ついてやがる。俺たちの遊びを邪魔するとはいい度胸だ。次に会ったらドライブに連れていこうぜ?」


 筋肉さんの言葉に掌が汗ばんだ。

 梨香さんの機転で助かったけれど、危うく誰かが拉致されるところだったのかもしれない。


 三人はぞろぞろ駐車場へ歩いて行くと、車高の低い車で図書館を走り去った。


「‘危ないところだった’。気付かれずに行ってよかったです」

「遥輝くん、それ李徴さんの台詞よ?」


 梨香さんがくすりと笑う。そういえば冒頭でそんなシーンがあったな。

 緊張が解けたこともあって、僕も表情が緩んだ。

 僕らの後ろでは、白髪の少女が片手を胸に抱いて佇んでいる。

 その姿は今にも溶けてしまいそうなぐらい儚げだった。



「突然話しかけてごめんね。困っているように見えたんだけど、お邪魔だったかな?」


 少女がふるふると首を振るう。

 彼女は僕らの視線を避けるように俯いているが、梨香さんと繋いだ手をずっと握っている。なんだか迷子センターにいるときの凛みたいだ。


「君、これからどうやって帰るの?」

「私たちは家があっちの方向なんだけど、よかったら一緒に帰らない?」


 少女は黙っていた。

 窮地を脱したとはいえ、あんな人たちに囲まれたら恐怖が抜けないのも当然だ。

 そもそも見るからにか弱いし、このまま帰宅させたら別な人に誘拐されるような気もして心配だった。


 そのまま刻々と時間が流れ、だんだんと夕闇が迫ってきた。


「どうしよう遙輝くん?」

「放ってはおけません。タクシーを呼びましょう」


 不意にクラクションの音が鳴り、少女がはっと顔を上げた。

 振り向くと駐車場の前に一台の車が止まっていた。

 どうやら迎えらしい。入口が封鎖されているので敷地外で待機していた。


 少女は頭を下げ、とてとてと車へ走り出した。

 助手席のドアを開けると、彼女はもう一度僕らへと振り返ってお辞儀をした。

 僕らも一礼し、市内へと走り出す車を見送るのだった。


「無事に助けられてよかったね。遙輝くんが隠れるように言わなかったら車で尾行されたかも」

「いえいえ。そもそも梨香さんがいなければ返り討ちだったと思います」

「そんなことない。外に出るまで守ってくれたし、生で見るより格好よかったよ」

「生ってどういうことですか……、あれ?」


 談笑も束の間、僕らは少女の手提げ鞄が置き去りになっていることに気付く。中身は図書館で借りた本のようだ。


「どうしよう? 返却ボックスに入れるべきかしら?」

「私物の本も混じっているかもしれません。開館してから直接届けましょう」


 蔵書整理で明日も休館なので、僕の家であずかることにした。交番に行くべきか迷ったけど、財布の類はなさそうだから図書館で保管してもらったほうがいいだろう。

 ふと。栞のように図書カードが挟まっているのが見えた。


「『瀬戸旭(せとあさひ)』さん?」

「え? 瀬戸さん?」


 裏面を確認すると、綺麗な字でそう記されている。

 梨香さんは、その名前に聞き覚えがあったようだった。

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