01.恋人との勉強会


 とある日曜の午後。僕は梨香さんと市立図書館にいた。

 二人きりだとデートのような雰囲気になりかけるけど、ここに来た目的はあくまで試験勉強だった。

 僕らは三階に設けられた学習席にいる。

 自宅よりも集中できたし、梨香さんが苦手科目を教えてくれるので助かっていた。


「え~~っと、つまり李徴さんが虎になったのは、自分の心がコントロール不能になったからですか?」

「そうよ。肥大化した自意識が猛獣(とら)のように暴走したことで変身したの」


 僕は文系科目が苦手だった。

 文章を読んでいると目が滑ってしまい、何度も読み返していると勉強時間が減ってしまうので対策を後回しにするのが原因だった。


「ありがとうございます。梨香さんおかげで物語が理解できました」


 本文では難解な表現だったけど、意味がわかるとすんなりと読めた。


「その声は、我が友、李徴子ではないかぁ?」

「梨香さん、図書館でふざけないで下さい」


 梨香さんが声を低くして物真似をする。多くの高校生が知っている台詞だし、暗唱できる人もいるだろう。うちのクラスの陽キャさんたちもよく口ずさんでいる。

 勉強が一段落すると、隣で梨香さんも背筋を伸ばしていた。

 時計を見ると午後三時だ。そろそろ休憩をとってもいいだろう。

 僕らは一階に下り、併設されたカフェに向かった。


「私はイチゴタルトにしようかな。あっ、でもティラミスも美味しそう」


 メニューを広げて悩む梨香さんの姿がまぶしい。カフェの一面はガラス張りで、午後の日差しが彼女を輝かせている。

 今日の梨香さんは白の半袖シャツに素足の見えるデニムスカートを着ていた。

 勉強に来ているのだから落ち着いたコーデにしたのはわかるけど、なぜか伊達眼鏡をかけている。不思議に思って見つめていると、これ見よがしに顔を近づけてきた。


「どう? 眼鏡のおかげで賢いオーラが出ているでしょ?」


 もともと梨香さんは学年上位の成績だが、たしかにシルバーフレームの眼鏡をしているとより秀才に見えてしまう。

 例えるなら女医とかキャリアウーマンって感じだろうか。生徒会長時に見せるキリッとした顔立ちに更に磨きがかかり、より美しく見えてしまう。


「遥輝くんも着けてみて?」 と、僕も人生初の眼鏡を着けてみる。


「あれ? なんだか、生で見るよりもクール系かも?」

「いつもどんな風に僕を見ていたんですか?」

「それじゃ、こっちの眼鏡はどう?」


 梨香さんが鞄から別なものを取り出した。コーディネートに迷って他にも持参したらしい。


「黒縁フレームだと勤勉って雰囲気になるね。知性派の遙輝くんだ」

「どうも。知性派のインテリジェンス遥輝です」と、中指で眼鏡を持ち上げると、梨香さんが吹き出した。


「ちょっ、変なキャラクターを作らないでよっ!」

「静かにして下さい、仮にも図書館なんですから!」

「遥輝くんが笑わせるからでしょう、マイナス五十七点!」

「これで減点なんてひどいですよ、しかも点数がややこしい!」


 僕らは先日、軽音部の代理顧問となった嶋崎先生の悪事を暴いたのだが、その際に梨香さんとの約束を破って危険な行動にでてしまい、彼女を怒らせてしまったのだ。

 そのペナルティーとして課せられたのが、この点数システムだ。


 一定値に届くまでキスは禁止で、二人きりでいいムードになった時も点数不足を理由におあずけにされたこともあった。

 ちなみに何点でキスが可能なのかは不明で、点数の加減も彼女の機嫌に左右されるという理不尽ぶり。

 調整不足が漂うシステムだけど、とにかく減点されないように僕は行動に気を付けるようになっていたし、独断で動くことも減っていた。

 なんだかんだ梨香さんの目論みどおり、僕は調教……、じゃなくて矯正されているようだ。


「ねぇ、遥希くんならこの本が好きかな?」


 梨香さんがテーブルに付属したタブレットを操作していた。

 これには利用者の貸出履歴や、入力したキーワードを参照して別の本を提案する機能がある。

 梨香さんが『山月記』と入力すると同じ作者の作品等が出てきたのだが、それらに混じってネコ科の図鑑や写真集まで出てきた。

 明らかに無関係だが、ひょっとして虎から連想したのだろうか?


「ペット好きって言っていたから、こういう本を読むのかと思ったの」

「覚えていてくれたんですか?」

「当然でしょ」と、梨香さんがタブレットをスライドする。


 趣味を伝えたのは映画の後でペットショップに寄ったときだ。

 僕は動物(ペット)が好きで、幼い頃に両親にせがんだ時期もある。

 当時は実母に反対され、それ以降も断念していたけれど、梨香さんに助言されてからはペットのことを考えるようになっていた。



「もちろん自立できるまでは飼いません。あと、お店ではなく譲渡会や保健所を通じて探したいと思ってます」

「譲渡会って、カルルピでやっていたやつのこと?」


 試験間近でもカルルピの視聴は譲れないらしい。もちろん僕も視聴済みだが。

 今朝のカルルピは、四人が捨て犬を見つけて里親捜しに奔走するというお話しだった。犬はソラと名付けられ順調に人慣れしていたが、敵幹部の暗躍によって巨大な怪物へと変貌してしまい、四人は人々を守る為にソラと戦うというハードな展開だった。


「今回は本気でカルルピたちを応援していました。凛よりも熱中して見てたと思います」

「わかるわ。あの悪事には私もリモコンをへし折っちゃったもん」

「えっ、またですか?」


 次々にメンバーが倒れるなか、最後までソラに立ち向かったのは情熱の戦士、ルビーだった。



『悪戯は止めなさいって、私が何度も教えたでしょう?』


 鞭で四肢を縛ると、彼女はソラに掌をかざす。

 これは里親にお行儀よくできるよう覚えさせた『待て』のポーズだった。記憶が戻ったソラは自力で悪の力を振り払い、彼女と協力して敵幹部を撃退したのだった。


「でも意外よね。ソラを拾うことに反対してたルビーちゃんが率先してお世話をして、添い寝までしちゃうなんて。里親さんが見つかったシーンなんて別れたくないって泣いていたもん」

「いわゆる‘ツンデレテイマー’ですね」

「え、なにそれ? 異世界の職業?」

「ペットを否定していたのに、いざ同棲すると一番のりのりでお世話をする人のことです」


 ちなみに、僕の造語だ。



「あのルビーちゃんがツンデレなんて、人って見かけによらないわね」


 ルビーの正体は体育会系の中学生。誰とでもコミュニケーションをとれる性格だが、ときにそのハキハキとした物言いで誤解が生じることもあった。

 ソラを保護するときも彼女の言葉が原因で喧嘩にまで発展していたが、それは動物(いのち)に対する責任感が強いことの裏返しだったようだ。


「それにしてもあの敵幹部はひどいですよね。先週のお話しで仲間が負けたときも『くくく、やつは四幹部のなかでも最弱にすぎん』って嘲笑していたし」

「私もそう思うわ。ファンクラブでも歴代最凶の悪役だって評判だもん」


 四天王で最初に負けるのはパワータイプで、最後まで残るのは悪知恵の働くやつと決まっている。ソラを操った幹部はまさにそのポジションだろう。



 カルルピについて語り合っていると、不意に店内が騒がしくなった。

 振り向くと金髪の男性と店員さんがカフェの入口で口論している。


「申し訳ありませんが、館内での撮影はお断りしております」

「そうなんすか? でもここはカフェだから問題ないっしょ?」

「いえ、あくまで館内の施設になりますので」

「そっすか。でも、もう撮っていないんで」

「あの、写真は削除していただけないでしょうか?」

「ういっす、後でやっておきま~~す」


 男性はスマホを下ろしてそそくさと立ち去る。僕らよりも少し年上だろうか。短パンにサンダルという軽薄な恰好をしていた。


「ひどいわ。入口にも撮影禁止って書かれていたのに」

「図書館に来たことが少ないんだと思います。鞄とかも持っていませんでしたから」


 おそらく観光気分か、誰かの付き添いで来たのだろう。失礼だけど休日を図書館で過ごすタイプにも見えなかったし。

 じつはこの図書館、県内の観光名所に選ばれるぐらい人気がある。

 外観がケーキ箱のような箱形建築という独特さにくわえ、カフェや交流ホールなどの設備も充実しているからだ。それで本に興味のない人の来館も多いのだ。


「これを機にマナーを守ってくれればいいんですけど」

「そうね。せっかくの図書館なんだから、皆で気持ちよく利用したいわよね……」


 何事もないことを祈りつつ、僕らは学習席へ戻る。しかしその期待は後々打ち砕かれてしまうのだった。

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