間章.約束
建学祭が終わってからというもの雨の日が増えた。
しとしとと降る雨に肌寒さを感じるような朝もあれば、風情のかけらもない豪雨にみまわれることもある。夏本番を迎えるまでこんな天候がつづくのだろう。今日も朝からはっきりしない天気で、明るくなったと思えば急に雨が降るという、そんな空模様だった。
「高校でも生徒会役員になるなんて驚いたな。真奈美さんも喜んでいたぞ」
僕は車窓から目を離すと運転席の父さんに、メンバーに恵まれたからだと告げた。
車が大通りを曲がり、脇道からつづく坂道を登っていくと、緑に囲まれた遊歩道が見えてくる。そこには傘を差して散歩する人の姿も散見できた。さらに進めば、生垣を背にして連なる墓石が見えてくる。ここは公園墓地なのだ。
車を駐車場にとめ、参道を歩く。
実母の墓石は、入口付近の区画にあった。
墓石の前で手を合わせる。
実母が病死したのは僕が十歳の頃だ。
今にして思えば残酷だが、火葬場で納骨を終えたとき、当時の僕はほっと胸を撫で下ろしていた。ようやくこの人に口座を監視されずに、叩かれなくていいと思うと監獄から脱出したような心地になっていたんだ。
ところが死別しても実母の呪縛からは逃れられなかった。僕には実母の教育がしっかりと根付いており、お金の使い方を誤ろうとすれば過去の痛みを思い出すようになっていた。
でも、実母の教えが役に立っていることは事実だった。
もっと感謝すべきかもと思いながら、ショルダーバックから無地の封筒を取り出した。
「本当にいいのか? 実母さんはそんなことを望んでいないと思うぞ?」
「ダメだよ。約束したんだもん」
父さんに傘を持ってもらい、墓前に折り畳んだ新聞紙を敷いてから封筒を供えると、ライターで火をつけた。
炎はゆっくりと広がり、封筒のなかの現金を燃やしていく。その金額は、六歳の誕生日に渡されたのと同じ金額。積み立てていた銘柄を売却して口座から引き出したのだ。
「返済義務(やくそく)は守ったよ、お実母さん……」
消火を終えると、最後にもう一度、墓石に手を合わせた。
目を閉じたまま、僕は誕生日での実母との約束を思い出した。
『いいこと遙輝? 私がプレゼントしたのはお金じゃなくて‘利息’なのよ』
『りそくってなに? 靴下のこと?』
『このお金はいつか私に返さなくちゃいけないの。だけど何年先になってもかまわないし、手数料も要らないの。そんなに恐がらないで。自信を持って受け取って、自分が正しいと思うことに使ってみなさい』
『正しいことにだけ使うの?』
『そう。遙輝ならきっとできるわ。でも、どうしてもわからないようなら、私に聞きなさい。私が正しい使い道を教えてあげるから……』
漫画やゲームソフトの方が嬉しいのに、なぜ返済義務のある現金を渡されるのか。
なぜ父さんがいない隙にこそこそと渡すのか。
正しい使い道とはなんなのか。
戸惑う僕に実母は封筒を押しつけるのだった。
今にして思えば放置プレイもいいところだ。
使い道がわからなくて口座に入れっぱなしにしておけば睨まれ、誰かの為に使うことが正しいのかと思って万年筆をプレゼントすれば激昂されるなんて……。
実母は本当に、お金にしか価値を見出せなかったのだろうか。
それは大切な価値観だし、教え込まれた知識を捨てるつもりはない。
だけど、それがすべてじゃないはずだ。
好きなことに正直に生きることも大切なのだと、僕は梨香(こいびと)に教えてもらったんだ。
「実母さんのことが、嫌いか?」
父に訊かれ、苦笑いがでる。好きと言えば嘘になるけど「感謝はしているよ」と自信を持って言えた。
父が笑い、僕も笑った。
車に戻り、墓地を出た。
僕は実母さんの墓石がバックミラーの彼方に消えるまで眺めていた。
とうとうそれが見えなくなり、ふと車窓に目を移すと遠くに虹がかかっているのが見えた。
だんだんと雨が弱まり、雲の隙間からは夏の日差しのような爽やかな光が降りそそいでいた。
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