19.着物姿の梨香さん


 手芸部や美術部の展示を見ている途中、隣の教室から拍手が聞こえてきた。

 そこはパソコン部が使っている教室で、部員たちの発表が終わったところだった。

 

 来場者からの質疑応答を受けているのは佐野たちだが、プロジェクターの前でマイクを握っているのは立花姉妹だ。

 僕は泉のアカウントを特定したお礼として助っ人を送ることを約束していたのだ。


 防犯用AIの研究は顧問からも絶賛されているらしいが、彼らは人前で喋るのが苦手でパソコン部に興味をもっていた立花姉妹――というか美音――に発表を手伝ってほしいとお願いしたのだ。

 二人は佐野たちと打ち解けていた。

 男たちに囲まれる姿はオタサーの姫のようだが奢る様子はなく、美音にいたってはサイバー戦について興味があるらしく、プログラミングや画像解析の方法を真面目に訊いていた。

 生徒会役員では見せない美音の真剣な眼差しに、僕らは嘆声を漏らした。


「すごい熱心ね。美音ちゃん、このまま入部しちゃったりして」

「生徒会役員になったのも鈴音の付き添いと言ってましたからあり得るかもしれません」

「そっか。そうだったんだね……」


 梨香さんの複雑な横顔に、余計なことを口にしたと後悔した。

 生徒会役員といっても任期があるわけではないし、誰しも自分の好きな部活(こと)に優先して時間を割くのは当然といえる。

 それについては梨香さんも理解しているようだった。


「一番やりたいことが見つかったのなら爽やかに送りだしてあげなきゃ」

「そうですね。でも、ここにだって魅力的なことはあります。僕らで楽しくなるよう盛り上げていけば、掛け持ちでつづけてくれると思いますよ」


 僕の言葉に、梨香さんがきょとんとした顔をした。

 僕が首を傾げると、彼女はふふっと笑った。


「なんだか私よりも会長みたいだね?」

「思ったことを言っただけです。せっかくの仲間(メンバー)を失いたないですし」

「うん。そうだね。私も根岸くんを見習わなくちゃ」


 そこで昼休みのチャイムが鳴った。

 今日は土曜日だが、建学祭ということで学食も営業しており、来場者もそこで食事をとれるようになっている。学生(ぼくら)も利用できるが、僕はこれから吹奏楽部の荷物運びとして体育館に向かわなければならなかった。


「僕はもう行きます。会長はこれから茶道部ですか?」

「うん。今から部室で変身しなくちゃ」

「変身ってカルルピじゃないんですよ?」

「えっ? あ、ちょっと、なんてこと言わせるのよ……!」


 むーっと梨香さんが僕を睨み上げる。べつに言わせたつもりはないんですけど。

 きっと彼女は着替えをするときに変身シーンを脳内再生しているんだろう。凛も服を着るときにテーマ曲を口ずさんでいるし。

 ぐいっと梨香さんが僕の袖を掴んだ。

 振り返ると「作業が終わったら来てね。待っているから」と耳元で囁かれた。


「え?」

「『え』じゃなくて、味見するって約束してくれたでしょう?」


 梨香さんはそれ以上なにも言わず、足早に部室へ向かった。


 茶道部の展示は一階の突き当たりの教室で行われている。

 茶屋を模した飾り付けがされているが、それを満喫するのは一仕事を終えてからになりそうだ。


 体育館に入ると、先程まで公演していた吹奏楽部が撤収作業にとりかかっていた。

 僕が一人増えたところで大差ないけど、これから軽音部のリハーサルなので早めに場所を空けるにこしたことはない。


「まだ片付けが終わってないのかよ?」


 そこへ機材を持った桑原が現れる。僕らの様子を見て舌打ちすると、客席に腰を下ろして昼食をとっていた。


「ここは飲食禁止です」

「うるせーな、っていうかなんでお前がいるんだよ」


 文句を言いつつも食事を中断する。

 謹慎処分の後だから以前よりも大人しい。

 立ち去る彼を目で追っていると、異様な集団が見えた。

 私服姿の見慣れない男子たちが手を振っている。どうやらスタジオをシェアしている他校の軽音部のようだ。


「桑ちゃん今からリハ? 俺たちも手伝おうか?」

「いいって、まだ他の奴らがいるからできないんだ」

「マジかよ。段取り悪くね? スタートまでの時間奪われているわけ?」


 僕らのことなどおかまいなしに彼らは談笑しながら体育館を去った。


「皆さん、気にせずに続けましょう」


 僕は声をかけつつ、積極的に重労働を引き受ける。

 台車も使って荷物用のエレベーターで三階まで運ぶのを繰り返し、片付けを終えた頃には一時を過ぎていた。

 手伝いをおえて茶道部の教室へ向かうも行列ができていた。


 肩を落としてしまうも、室内の様子には驚かされた。

 緋毛氈(ひもうせん)のはいった縁台や朱色の傘が配置されており、そのなかを落ち着いた所作の茶道部がお盆にのせたお茶とお菓子を振る舞っているのだ。これなら行列ができるのも頷けるが、僕は不安になる。いくら室内を見渡しても梨香さんの姿が見つからないのだ。

 まさか急用で抜けてしまったのだろうか?

 ちょうど待ち時間を告げに部員が出てきたので、梨香さんのことを訊いてみた。


「あなた根岸さんですか? 九条先輩なら部室に――」


 彼女が上階を指差した瞬間、背後で歓声が聞こえた。

 振り返るなり、目を疑った。

 そこには着物姿の梨香さんがいる。桜模様の着物に飾り紐のついた帯をしており、いつもなびかせている長髪は一つに結い上げて可愛らしいリボンで縛られている。

 他の生徒に囲まれた彼女は一輪の花のようで、あまりの美しさに女子生徒たちがツーショットをせがんでいたほどだった。


「早く行って下さい。九条先輩は部室でずっと待っていたんですよ?」

「あっ、そういえば部室って言われたかも……」

「茶屋だと空席ができないからそっちを空けておいたんです。生徒会役員で忙しいだろうから、当日はゆっくり過ごせる時間をあげようって、茶道部全員で決めたんです」


 ということは、一時間ちかくも彼女は待機していたのか。

 いかん。それならここで見惚れている場合じゃない。


「おい、邪魔だぞ! さっさとどけよ!」


 突如響き渡った声に、僕は不吉な予感を覚えた。

 見上げると二階から桑原たちが下りてくる。乱暴な口調に皆が顔を歪め、あれほど賑わっていた廊下の空気は凍りついていた。


「ん? 九条のやつ着替えたの? へぇ、その格好で閉会の挨拶でもすんの?」


 桑原も梨香さんに見とれており、学外の男子たちも同様だった。

 と、桑原の背後から見覚えのある男子が現れた。


「え、九条って、もしかして九条梨香さん?」


 その顔を見て、僕は唇を噛んでいた。


「俺だよ、俺。覚えてるよね?」

「神崎、くん? うん。久しぶりだね」

「へぇ。茶道部も生徒会長も続けていたんだ。俺は高校から軽音を始めて、桑ちゃんとスタジオを共用してたんだよ」


 不意に神崎が失笑し、桑原が訝しげな顔をした。


「ごめんごめん。九条さんの黒歴史を思い出しちゃった。さすがにもう卒業したよね?」


 梨香さんが身体を震わせる。周囲の生徒も気にしており、桑原も例外ではなかった。

 まずい。こんな大勢の前で暴露されるわけにはいかない。


「黒歴史ってなんだよ? 中学のときになにかあったのか?」

「ああ。じつは九条さんって――」


 ドン! と、僕の掌打が神崎の言葉を遮った。

 僕は大急ぎで人混みをかき分け、彼に壁ドンしたのだ。


「えっ、なんで壁ドン? あれ? この人、前にどこかで会ったような?」

「お久しぶりですね。先日はうちの妹がすみませんでした」

「あ、モールにいた人……?」

「おい雑用、なにやってんだよ!」


 桑原が僕を引き剥がし、胸ぐらを掴んだ。が、すぐに手を放した。


「二人とも、今ここでなにをしていた?」


 見ると生徒指導の先生が駆け寄ってきていた。


「べつになにも。コイツが意味不明なことしたんで止めただけっす」

「すみません先生、僕は壁ドンするのが癖なんです」

「壁ドン? 本当は喧嘩じゃないのか? 誰か見ていなかったのか?」


 周囲の生徒たちが一斉に先生から目を反らした。


「先生、二人の言っていることは本当です」

「君は九条会長か? 君が言うのならそうかもしれないが……」


 先生は梨香さんの説明に不承不承頷き、最後にトラブルを起こさないようにと忠言して、僕らのもとを去った。


「変なことするんじゃねえよ、こっちはお前のせいで謹慎くらったばかりなのに!」


 僕は拳を握りしめるが、反論して喧嘩になれば梨香さんの厚意が無駄になるので耐えていた。


「行こう、根岸くん」


 梨香さんは神崎に適当に挨拶を済ませると、僕の袖を引っ張った。

 彼女に促されて部室を目指すも、背後から桑原の笑い声が聞こえてきた。


「マジかよ、いい歳してそんなのを見てるのかよ!」


 神崎に耳打ちされるなり、手を叩きながら爆笑している。


「あいつら……!」

「いいの根岸くん、私は平気だから」


 梨香さんは笑みを絶やさずに耐えようとしているが、その目は潤んでいる。

 僕は、彼女の笑顔を守れなかったのだ。


「桑ちゃん声がでかいよ。秘密にしてあげなきゃ可哀想でしょ?」

「いや、無理だって! ただえさえアニメなんて気持ち悪いのに、子ども向けなんて――」


 僕は桑原に掴みかかっていた。


「なんだよ、また怪我したいのか?」


 散り散りになっていた外野も異変に気付いて集まっている。

 どうして誰かの趣味を嗤うんだ。好きなことを、生き甲斐を全否定することが、どれだけ心を傷つけるのかわからないのかと、僕は彼らに怒鳴っていた。


「うるせえな、雑用のくせにいいかげんにしろ!」


 桑原が僕の腕を振り払い、反撃しようとする。全員が固唾を呑んだ次の瞬間、なにかが炸裂したような、耳鳴りを起こすような衝撃音がなった。


 自分の目が信じられなかった。

 梨香さんが袂から腕を伸ばし桑原の頬に掌を振り抜いたのだ。

 音を置き去りにするような速さのそれは平手打ちなんて生易しい威力じゃない。

 よろよろと立ち上がる桑原だが、ガンっ! と、拳で壁ドンされて震え上がっていた。

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