18.人って見かけによらないんだなぁ


「壁紙よ」

「え?」

「聞こえなかった?」

「壁紙?」

「そう。それを譲ってくれたら請求を撤回するわ」


 屋上に、水を打ったような静寂がまいおりた。

 この人は、なにを言ったんだ?


「壁紙って、なんのことですか?」


 わずかに。

 わずかに泉は顔を伏せると、次の瞬間、鬼のような形相で僕に掴みかかってきた。


「い、泉さん? ちょ、ちょっと、なにするんですか!」

「壁紙よ、壁紙! あんた会長からダイヤちゃんの壁紙を転送させてもらったんでしょ!」

「ダイヤちゃんってカルルピの? っていうか、どうして壁紙のことを!」

「察しの悪い男ね、なにがエクスキューズミーよっ!」


 脳裏にレストランで出会った銀髪の女性がよぎる。

 思い返してみれば顔が似ているが、彼女が泉のわけがない。髪や目の色が違うではないか。


「ばっかじゃないの! 外見なんかウィッグとカラコンでごまかせるわよ! ダイエル様のコスプレができるよう衣装だって家にあるんだから!」

「ま、まさかあなたもカルルピのファン……、カルピリストなんですかっ?」

「あんな低俗な連中と一緒にしないで! 私が忠義を尽くすのはダイエル様だけ、あの人こそが私の生きる希望なのよっ!」

「忠義に希望って、泉さんはダイエルのサーヴァントかなんかですか……、ぐえっ!」


 泉が僕の胸ぐらを掴んで持ち上げる。片手で。


「ちょっ、やめて下さいよ! バトル漫画じゃないんだから!」

「うるさい! こっちは映画に文句を言うにわかファンどもで苛ついているのよ! 当人が幸せなら新しい姿を祝うべきなのに、それがわらかなくて炎上とかありえないでしょ!」

「僕を相手に論破されても困ります、っていうかそれって個人(あなた)の感想ですよね!」

「2chの開設者みたいなこと言わないで! しかも、またあの女に先を越されるなんて! 限定品の販売でもいつも先回りされて本っ当に目障りなのに!」

「あの女って、梨香さんのことですか?」

「他に誰がいるってのよ!」


 梨香さんが街で泉を目撃したのはパパ活の待ち合わせではなく、慌てて逃げたのも趣味(カルルピ)を秘密にしたかったからなのか。


「でも、ゲームの景品って自力でクリアしてこそ達成感があるものじゃないですか?」

「あんな無理ゲーを攻略できるわけないでしょ! それとも私が下手だって言いたいわけ!」


 ゴミでも放るような仕草で投げられた。片手で。

 地面に打ちつけられて視界が飛ぶ。梨香さんのときのように趣味がきっかけで親睦が深まるかもしれないが、僕には令呪もなしに狂戦士(バーサーカー)を使役できる自信はなかった。


「に、逃げなきゃ、うわっ!」


 僕は転んでしまう。見ると足首に糸のようなものが巻きついており、その根本をたどると泉が手にしたベース――どこから取り出したのか――から伸びていた。


「ちょっと待って下さい! なんですか、このアメコミヒーローみたいな技!」

「は? 軽音やっていればこれくらいできて当然よ!」


 軽音部に入っていれば誰もが蜘蛛人間のような技を体得するのか。

 茶道といい軽音といい、どうしてうちの女子は異能力を身につけるのだろう。

 僕はずるずると泉のもとへ引き寄せられ、背中に馬乗りされてしまった。


「ぐふっ、重い!」

「は、そんなわけないでしょ! ダイエル様に近づけるよう食事制限しているのに!」

「モデルじゃあるまいし……、痛っ、踵で踏まないで下さいよ!」

「ふんっ、クイズに付き添うだけの男にはあの気高さがわからないのね?」

「え、まさか、あなたもクイズ大会に来ていたんですか?」

「寝ぼけたこと言わないで、ヤバそうな客に絡まれてたから舞台袖に連れ出して妹に手を振ってあげたでしょ?」

「まさかツイッターのアルバイトって、カルルピのスーツアクターだったんですか?」


 僕はステージ上で踊り、客席にひらひらと手を振っていたパールを思い出す。

 あんな可憐な演技を彼女がしていたとは驚いた。

 いったいスーツの中でどんな表情を浮かべていたのかと想像してみると、普段とのギャップのせいか不思議と笑えてきた。


「なにニヤけているのよ! 乗られるのが好きだなんて、とんだドMね!」

「ち、違います! っていうか、ダイエルが好きならどうしてパールを演じたんですか?」

「好きなキャラだからこそ中途半端な気持ちで姿を真似るなんてできないの! あんな使い回しの着ぐるみでダイエル様を名乗るなんて、私にはできないのよ!」

「なるほど。とてつもない愛ですね……」

「わかったのならさっさと転送しなさい!」


 弦が首に絡みき、ギャグ補正ではすまない威力で締めあげられる。

 まずい、このままじゃ本当に異世界転生してしまう。


「うがっ! わかりました、取引に応じます! だから請求を取り下げて下さい!」


 ついでに僕の命も助けて下さいとスマホを取り出す。

 画像を転送すると泉は背中から腰を浮かせ、僕に手をかしてくれた。


「ありがとう、会計さん」


 立ち上がるなり驚いた。

 顔が平時に戻っていたのは梨香さんも同じだったが、彼女が操っていた凶器(ベース)が忽然と消えている。こんなの作画崩壊どころか作画ミスだぞ。後から発売されるDVDとかで修正されるパターンのやつだ。


「取引をうけて感謝するわ。くれぐれも言っておくけど、このことは秘密だからね? 約束してよ? もし誰かに喋ろうものなら、会長の趣味をバラすから?」


 泉が悠々と去った。

 彼女もカルルピ好きとは予想外だったが、そのおかげで助かった。


 部長(いずみ)からの請求なら部員たちは反発することなく経費を負担してくれるだろう。これが壁紙を転送するだけで済んだのなら安いものだ。これならプランBを用意する必要はなかったと、僕は財布をポケットに押し込むのだった。

 不意に、僕の脳裏にある言葉が過ぎった。


 ――人は見かけによらぬもの


 まさにその通りだ。

 梨香さんといい泉といい、女児アニメとは縁のなさそうな彼女たちにそんな趣味があるなんて誰が予想できただろう。

 本当に、人は見かけによらないんだなぁと、僕は屋上で呟くのだった。



 それからというもの建学祭の運営は順調に進み、発表をひかえた部の練習も架橋に入り、僕らもラジオへの生出演もおえ、いよいよ当日を迎えることになるのだった。



 □■□■□



 建学祭当日は晴天にめぐまれた。

 人のいりは上々で、来場者数をカウントしていた副会長曰く、午前中の時点で前年比を越えているとのことだった。

 正面玄関では各部の部員たちが展示内容を記されたビラを配っていた。

 そのなかで一番目を引いてたのが茶道部だ。

 全員が青や黄色、黒といった艶やかな着物姿で、リボンのような飾り帯を巻いた人や、かんざしをさした人までいた。


「皆さん、とても綺麗ですね……」


 思わず声をかけると、和服美女たちが一斉に集まってきた。


「ありがとうございます! よかったら休憩しに来て下さいね、根岸さん?」

「どうして僕の名前をご存知なんですか?」

「当然ですよ、なんたって有名人だし。生徒会役員の『雑用少尉』さんですよね?」


 親近感をもたれるのは嬉しいが、そんな二つ名で喜ぶ男子なんていない。

『独眼竜』とか『白い死神』とかもっと中二病心をくすぐられる異名がほしい。


「ところで、九条さんとは最近どうなんですか?」

「どうと訊かれても……。僕らは同じ生徒会員っていうだけですから」

「嘘っ? そんなわけないですよね? 九条さんにつきまとっていた桑原くんを追い払おうとして、喧嘩までしたんでしょ?」

「そ、そんなことしていません……」


 べつに桑原はストーカーではないし、僕の怪我も自業自得だ。それなのにこんな脚色をされるとは噂とは恐ろしい。


「ちょっと根岸くん、そんなところでなにしているの?」


 そこへ梨香さんが現れ、僕の腕を掴んで茶道部から逃げるように引きずる。


「ボサッとしてないではやく巡回に行くわよ!」

「ま、待って下さい! そっちは怪我した腕なんですけど……!」

「九条さ~~ん。二人きりの見回り頑張って下さいね~~」

「ちゃんと部室も空けてありますからね~~」

「後で報告して下さいね~~」


 きゃっきゃっと彼女たちが口に両手を添える姿に、梨香さんは紅潮している。


「梨香さんにもああいうお友だちがいるなんて意外ですね」

「あんな意地悪な人たち友だちじゃないもん。っていうか、見惚れてないで仕事してよね」

「すみません、着物姿って綺麗だからつい……。あの、梨香さんは着ないんですか?」

「わ、私はまだ生徒会役員の仕事があるんだもん」


 先を歩く彼女は制服姿だ。

 茶屋のシフトは最後らしく、それまではこちらを優先するようだ。

 優先とはいっても、そんなにすることはないし、巡回も大半の展示が一階の教室で行われているので時間もかからないのだが。

 

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